【侃々諤々】

多様な人々との交わり方を身につけたい

                         福岡 愛子


十年以上前、仕事の後輩だった30代の女性から聞いた話である。今でいう在日コリアンの友人のことを、当時つき合っていた男性に話し出したところ、「差別されてきたとか苦労したとか、そんな話なら聞きたくない」と突っぱねられたそうだ。

同じ頃、身近にいる20代の女性からはこんな話も聞いた。“元彼”と再会した時、つき合っている頃には見る機会のなかった彼の免許証を、偶々見てしまったという。そこには、彼の顔写真と見知らぬ名前とがあった。日本語にはない漢字が並んでいた。とっさに、自分と同じ社会に生まれ育ちながら本当の名前を名乗らずに生きなければならない人がいるんだ、と悟り衝撃を受けた。友人にその話をすると、「デリケートな問題だから、彼が隠してきたのならそっとしておいた方がいい」と言われた。しかし彼女は、その聡明な友人の反応に、世間が隠蔽してきた問題を感じとった。そして、彼に直接尋ねることにした。彼は動じることなく、在日朝鮮人三世である自分とその家族の歴史を語ってくれた。

その後、自らも学歴や親のコネに頼らず生きてきた彼女は、非正規雇用の現場で様々なマイノリティや低所得層と接してきた。日々の暮しを通して、名前や来歴にこだわるより、多様性を楽しみ仕事仲間としての親近感を大切に思う気持ちも強まった。周囲でも、コリアンが勧める韓国料理を一緒に食べたり、帰省した仲間からの中国土産に喜んだり、という人々が大勢を占めるという。

反面、先の例であげた男性のような心情を背景に、「在特会」が生まれ増長してきたともいえよう。根拠のない笑止千万な言動とはいえ、その暴虐ぶりは現に特定の人々を傷つけることを目的としたものであり、断じて見過ごせない。法規制についても、それに便乗して起こりうる言論弾圧への警戒を怠ることなく、議論していきたい。

しかし、ある種の媒体で執拗にくり返される他者への敵愾心むき出しの言論は、一般市民の排外主義を煽るというよりも、それに対抗する良心的な論者の上ずった反応を引き出しがちである。語彙が激化するばかりで、議論は単純化される。それを避けるには、より広い社会集団や階層に目を向けて、一部の勢力の過剰な言論を相対化しなければならない。そうすれば、前述の第二の事例で指摘したような大勢の長期的変化の中で、多様な人々との交わり方を身につける機会のなかった者たちが孤立する姿も見えてくるだろう。
(社会学者)
(2014.11.20)


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