■ 地球環境問題解決へのアプローチ(4回目)

                          阿野 貴司 
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◇【意識の成長】


  ところが段々と成長してくるとそこに砂場があって校舎があって、もっと成長
してくるとこれは何々町で何々県の一部で、日本はどうで、地球はどうのってこ
とが分かってくるように、我々も、百年後の地球というものを二十四時間全自動
で当たり前に感じられるまでに成長していくことができるわけですが、その成長
していくもの、それが意識です。そのときにどういう方向にいけば、我々は持続
可能な循環型社会に移行可能なのだという意識の目標、イメージがないとなかな
かうまくいかないようです。

 そういうふうにして成長していく中で、豊かな人間関係を築き、十分な充実、
幸せ感の中から、人生を味わい楽しみながら、生きるとは何か、人間とは何か、
地球環境とは何かということを自分なりに考え続けていく、そういうプロセス、
それが意識の成長と深く関わっているというようなことが大事なのではないでし
ょうか。

 環境問題の原因は、本質的には確かに、物質の大量生産、大量消費、大量廃棄
でしたが、そういう問題を起こさせている我々の意識自身が変わらないと、いつ
まで経っても物質レベルで、モグラ叩きのような対策をやり続けることになり、
本質的な解決にならないということです。

 まずは捨てるための経済、捨てさせるための経済、大量廃棄のために大量生産
をやっている、そういうことに気づく。そして、なんでそんなことをしているの
だろう?という疑問を持てば、そうかそうか近代主義だったから、物をたくさん
作ったら幸せになれると考えて実行してきたんだ。だから最初に考えてくれた人
は、みんなのことを考えてくれたわけで良かったわけです。だけど、そろそろ物
の所有量、消費量の増加だけじゃ幸せを増やすには、駄目だということも考えな
ければいけないな。じゃあどうしたらいいのか、私は、なにが出来るのだろうと
いうような考えになる。
 
  こういう方向に向かうと自然に色々と気づくのですが、なかなか普段の忙しさ
にかまけていると、こういうことを考えられない。あるいは考えたら損という意
識が支配的になります。

 実は競争意識というのが、近代主義を進める原動力にあります。競争というの
は、本当に環境と調和してくると不必要だということも分かってくるのですが、
とりあえずそれは置いておいてどういうときに気づくかというと、たいてい、も
のすごい病気をしたり、交通事故とか癌とかの大病で手術を受けたりして死にか
けた人が、死ななかったときに、大切なことに気付かれてものすごく人間として
丸くなられるようです。
 
  本や新聞記事などで多くの実話が紹介されていますので、皆さんもご存知だと
思いますが、例えば社長さんが病気をされて病院のベッドで生きるか死ぬかって
いう状態になったときに、自分はいったい何のために何をしてきたのか、家族に
とって、従業員の皆にとってどういう人間だったのか、などと初めて考えるので
す。そうして、目の前の利益だけに向かう努力のむなしさや、家族や従業員との
間の失った喜びや信頼関係といった本当に大切なもの、生きる喜び、幸せそのも
のを与えてくれる源泉に気付くわけです。

 そうしたときに生きかたを変えようということで考え方が変わり、真剣に幸せ
な家族とは、全社員にとって幸せな会社ってどんな職場、というようなことを考
え始めます。大切なことは、本質的なことに気づくということだけですので、い
ちいちこんな大変な目にあわなくても、例えば今日のような科学的なデータや他
人の体験などに基づいて学習を積み重ねていけば、そこまで苦労しなくても、も
っと自然に自分やまわりの人々が幸せに豊かに生きていくことの大切さがわかる
のではないでしょうか。
 
  こうして一人一人が、本質的に自分が幸せで豊かに生きていけば、大量生産で
はなく、必要最小限の経済となり、地球環境問題そのものが消失してしまうのだ
ということが分かるのではと思います。結局は、生き方の問題、考え方の問題、
人間とはなにか、生きるとはなにかということを考えていけば、自然と環境に配
慮してしまうライフスタイルになり、生態系、あるいは存在物というものは、ど
れほどの関係性を持っていて、その大きな循環の中で、我々は生かされていると
いうことに気づいてしまうと思います。

 そうするとそういう考え方が出来る人間が最初は少しでしょうが、段々増えて
くると、意識の転換が起こった人類が増えてくることになります。新しい価値観
に目覚める人が増えたときに、競争と奪い合いから、共生と分かち合いという新
しい文明の段階に自然と移行していくことができると思われます。このような新
しい秩序にもとづいた文明に転換できるチャンスが、この地球環境問題なのです。

 すなわち、先ほどの社長さんが、病院のベッドの上で気づいたように、地球と
いう大きなベッドの上で、人類が、このままじゃ駄目ですよ、地球環境全体を見
て、後世のためにも我々の文明全体が、どのように変わっていけばよいのかとい
うことを感じて、分かった人たちから順番に考え方を変え、ライフスタイルを変
える中で実行していくわけです。

 地球全体のことを思い、このままでは持続性がないことに気付き、これではま
ずいと思えば、だったらどうすればいいんだ、あっ、そうか、こういう考え方で
やればもっと自分が幸せに豊かに生きることができ、結果として地球環境にも配
慮していることになるんだということになっていくのではないでしょうか。

 百年後すなわち子供さんお孫さんに対して美しい地球を残したい、そしてその
ために自分は、毎日自分を大事にして、家族を大事にして、兄弟を大事にして、
友達を大事にしてという日々を大事にする。ここが大事なのですが、日々を大事
にするのだけれど、常に100年後の美しい地球というビジョンをイメージできた
状態であるということです。このような状態で、日々を、目の前のことを大事に
するのですから、そういう人達の一歩一歩の蓄積で、次第に100年後の美しい地
球という大目標に移行していくわけです。そして、気がついたら地球環境問題っ
て、何それっ、ていうくらいに変わっていくのではないでしょうか。


◇【私たちも自然界の一部である】


  心の態度が自然と関係しているということについて考えたいと思いますが、地
球全体というとちょっと大きいので、自然環境というものを今、縮小して考えて
見ます。環境を牛だというように例えて考えてみます。我々は、牛(地球環境)
からミルク(資源や食糧)を頂きます。我々は、地球環境からあらゆる資源を貰
っています。魚であっても木であってもすべて環境から貰っているのです。

 何故心の態度が大事かということを、牛というミクロのミニチュア地球環境で
考えてみます。私達が牛からミルクを貰うときはどうするでしょうか。いきなり
絞りますか。すごく牛を大事にして、餌を食べてもらって牛の世話をとにかく一
生懸命やります。それからありがとうと言って貰うわけです。

 牛を大事にするように、我々が自然から必要なものすべてを頂いていることが
分かってくれば、地球環境を大事にする気持ちに自然になってくるのです。とこ
ろが今は、環境から私達は、略奪する一方ですから牛には一切エサはやらない、
ミルクだけを絞りたい。ミルクを出さなくなった牛は使い捨てというような考え
や態度なのです。森林を伐採して丸坊主にしたら次のところに移るというような
態度のままだったらどうなるでしょうか。

 牛と我々の関係にまで縮小すれば明らかです。我々の未来は無くなる。牛が死
んで、ミルクも無くなって、結局、我々も駄目になる。それが大規模なら、地球
全体が駄目になったとき物質循環がおかしくなって、我々の文明もおかしくなる
ということになります。ですから大切なことは、我々の態度が、自然を大事にし
ようというようになることであるという当たり前のことです。

 もう一つの例として、今度は、植物でりんごの木だったらどうでしょうか、こ
れはもう本当に農家さんを見て分かるように、りんごの木の栄養を考え、日光が
当たるようにものすごく大事にされます。りんごの木(地球環境)を大事にした
結果、実ったりんご(資源や食糧)を頂く、そういう気持ちをりんごの木を自然
環境というふうに読み替えて頂ければ、我々の意識が変わるのが先で、大切なこ
とだということに気付かれることでしょう。

 つまり、地球環境問題というのは心の態度を変えるということ、それが最初に
くることが大切だということがお分かりになられることでしょう。逆に言えば、
我々の考え方、態度が問題となって、今のような地球環境の状態になっているの
ですから、ここさえ変われば、本質的な解決に自然と向かい始めるということも
容易に理解できるのではないでしょうか。

 このポイント、方向性さえ分かれば、わかった人からドンドンと自覚して、地
球環境の現状はこうだということを勉強して、本質的原因はこうだから、こちら
の方向に意識が成長することを自覚して、それを現実に実行してというようなこ
とを続けていくことができます。それも無理しないで、簡単なことから少しずつ
実行に移せば良いのです。いきなり地球環境が無理であれば、先ずは自分を大事
にしてください。次はお父さん、お母さん、を大切に思い、兄弟や友達に優しく
し、職場やバイト先でも豊かな人間関係を築くことが出来たら、その優しい気持
ちを生態系や自然に向けるまで広げて、植物、動物、微生物、土、空気、水とい
うような広範囲の関係性、恩恵を被っているものに感謝の気持ちを広めていけば
いいだけのことです。


◇【忘れていたもの】


  それでは最後に、どうしてこのようなことになっているのかということについ
て考えてみたいと思います。今すごく科学が進んでいます。西洋で発達した自然
科学ですが、力学、物理学、化学を始めとして多くの学問が、現在の科学技術の
基礎として、現代文明に大変な貢献をしています。その根底にあるのが、デカル
トに由来する機械論的自然観です。

 デカルトは『心』についても考えようとしたようですが、『心』には質量、重
さとか距離がない、ということは数量化出来ないわけですから、物理学の対象と
は成り得ないわけです。機械論的自然観を心に適用することはできない、という
ことで、とりあえず世界を二つに分けたわけです。片方が、機械論的世界観の適
用できる物質からなる世界。もう一つが機械論的世界観の適用できない精神の世
界です。このおかげで、物質の扱いを中心とする自然科学が飛躍的に発展し、現
在のロケット、新幹線、携帯電話、コンピューター、等々の科学技術の発展に貢
献してきたわけです。

 そしてこれら科学技術の発展のお陰で、機械化による大量生産が可能となり物
質の消費により豊かさ感、幸せ感が得られるという近代主義の考えを押し進め、
大成功に導いてきたのが20世紀前半までです。その後20世紀後半にかけて加速度
的に環境問題が顕在化してきて現在に至っている訳です。

 大事なことは、とりあえず二つの世界に分けて取り扱いの容易な物質の世界に
関する科学のみを発展させてきたという前提を忘れかけているのではないかとい
うことです。デカルトから三百年、とりあえず置いておいたという事実を我々が
忘れかけているということが問題なのです。物理学が適用できない心の問題をと
りあえず横において、計測が可能な物質、重さと長さがあるほうの物質に絞って
頑張った結果、その後の三百年で近代科学が発展した、しかし、その忘れてい
た、横に置いておいた問題の副作用として、地球環境問題が顕在化してきている
という捉え方ができるのではないでしょうか。

 携帯電話は素晴らしいわけです。車もインターネットもあらゆる食糧も、根源
はすべて自然からもたらされています。ところが先ほどの牛との関係で考えたよ
うに、我々の危機的状況は、我々の自然や環境に対する心の問題から発生してい
ます。これは、心の問題が大切だという認識や、心の大切さについての学問を科
学的に進めようということを忘れていることに起因する問題なのです。

 ですから、物質文明がここまで発展してきて素晴らしい成功を収めている訳で
すから、そろそろ、心の問題の大切さについて考えることを忘れていたというこ
とを思い出す、ということが大切なのではないでしょうか。ということで私の話
を終わります。ありがとうございました。

※司会 地球環境問題は難しい問題ですが科学技術はもちろん大事ですがそれだ
けでなくそれを使う意識が大切だという話を理工学部の先生からお聞きして、び
っくりした感じもしましたが大変結構なお話を頂きました。有難うございまし
た。

       (筆者は近畿大学生物理工学部教授)

※この原稿は2010年7月24日・東京明治大学で行われた社会環境学会セミナーの
講演をオルタ編集部加藤宣幸が整理し著者に校閲を受けたものですが文責は編集
部にあります。 なお、質疑応答はスペースの関係で略しました。

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