【コラム】海外論潮短評(123)

地方紙衰退が著しいアメリカ
―報道の質的変化が政治的分裂を促進―

初岡 昌一郎


 ニューヨーク・コロンビア大学の発行する専門誌『コロンビア・ジャーナリズム・レビュー』2017年春季号が、アメリカにおける地方紙の著しい衰退を特集し、アメリカン・ジャーナリズムの原点が失われつつあることに憂慮している。この特集が冒頭に掲載しているのが、2015年に行われた調査に基づく、それ以前10年間に廃刊となった地方62紙のリスト。その中には、サンフランシスコで発行されてきた邦字紙『北米毎日』も含まれている。

 その特集から、2編の論文を紹介してみる。
(1)マイケル・オレステス「地方がクールでなくなる時」。
 筆者は「アメリカ公共放送ネットワーク」副社長・ニュース編成責任者である。
(2)マイケル・ローゼンワールド「利益追求とデジタルメディアが地方ニュースを圧殺しているのか」。
 彼は有力地方紙『ボストン・グローブ』報道記者を経験し、現在はアメリカの代表的な日刊紙『ワシントン・ポスト』の報道記者。

◆◆ 1.あらゆる記事がコミュニティに結びついていたジャーナリズムの原点
          ― その消滅が地方の「風格」を喪失させた

 アメリカン・ジャーナリズムの活気が地方紙の社内に漲り、そこでの仕事がラジオやテレビで増幅されていたのは、それほど昔のことではない。当時の下院議長ティップ・オニールが云っていたように「すべての政治はローカル」で、最も重要な仕事がローカルであることをジャーナリストは承知していた。

 もちろん、多くのジャーナリストはワシントンや海外に派遣されることを望んでいたが、スター記者たちは重要なニュース源がどこにあるか承知していた。連邦制度をとるアメリカの政治は他の国よりも地方性が濃い。報道記者が駆け出し時代に鍛えられるのが定期的な警察回りで、これは他の多くの先進国の新聞と異なる。だがこれは過去のこととなり、この20年間における新聞業界の衰退とデジタルメディア台頭による新モデルが現在の危機を惹起している。

 技術革新が進み、強力な新形態によるジャーナリズムが生まれた。だが、ほとんどすべての投資と新機軸は全国レベルにおいて実現した。この新しい報道文化が、コミュニティを対象とした基本的な作業に向けられていた資源を縮小させた。ワシントンに向いた重点のシフトが、地方在住記者を減らし、首都で働く取材者を増やした。報道の焦点も変化した。新しいデジタルメディアの多くは特定少数の読者を対象とするニッチなもので、ビジネスの観点から政治・行政の動きをフォローしている。他方で、地方紙の首都常駐特派記者数は半減した。これにより全国レベルの記事が減り、首都の動きが地方とは無関係という政治的雰囲気が助長された。

 長年にわたりジャーナリストの数が減ってきたことは衆知のことであるが、我が国の市民文化を支えてきた地方ジャーナリズムの役割と価値が、今になって理解され始めている。アメリカのジャーナリズムと市民社会にとっての大きな危機は、新聞対オンラインメディア、テレビ対動画メディア、伝統メディア対ソーシャルメディアという、プラットフォーム・レベルで理解されうるものではない。市民社会と地理的なレベルで把握されるべきものである。その危機はローカルなものだ。

 だが、潮目が変わりつつあるのが感じられる。これまでメディア・ビジネスの焦点は全国、さらにグローバルな動向に当てられてきた。今や新しいアイデアがローカルに向けられている。ローカルな動きに焦点を当て、それを繋ぐことに関心が高まっている。規模の拡大によるメリットと利潤の追求よりも、質の向上と新しいベンチャーに目が向けられている。換言すると、地方の真空状態が有望なビジネスチャンスを提供している。

 近年に公共ラジオ局が発展し、少なからぬジャーナリストを採用している。それが聴衆の増加によって報われている。公共放送とデジタルメディアの目的は異なるが、今まで満たされていなかった需要に応えている点では共通している。それは、マスコミが大企業によって支配され、少数意見や異なる見解が伝わりにくくなった現状に対する反応でもある。

 広告主の意向に関わらず、最良の新聞は貧困地域や少数民族有・有色種社会をカバーすることをその使命の一部としているが、そのパターンは一様ではない。
 ニューモデルでは、メインストリームとなるメディアは出現しそうにない。それは活発で有力なメディアが生まれないという意味ではなく、地方政府当局者の責任を問い、住民を繋ぎ、地方の主要な問題をめぐって意義ある対話を行うようなジャーナリズムではないことにある。情報流通の主要なプラットフォームとなっているフェイスブックやツイッターは、伝統的なジャーナリズムをある面では肩代わりしているが、編集機能や自ら重要な情報を発信する役割を持っていない。

 人口2億3,500万人の国において、分極化や分散化を全国規模で克服することは困難だ。国家指導者がその状況を利用し、自分の政治目的のために対立を煽りたて、財界がその分裂を自分にとって都合に良いインセンティブと考えている場合には、特にそうだ。

 地方的な諸関係はそのように単純なものではなく、少なくともより繊細で複雑なものである。近隣に住む人々の間では、共通の場を見つけることが容易だ。地方に基礎を置く報道機関はその信頼再構築に加わるのに有利な位置にある。これに取り組むことは我々ジャーナリストにとっても、地方社会にとっても良いことだ。

◆◆ 2.ローカル・ニュース報道を圧殺している利益追求とデジタルメディア

 社会的投資を主導するウォーレン・バフェットが、5年前に28の地方紙を買収したとき「これは不可解な行動と思われるかもしれない」と投資家宛の手紙で書いた。「新聞産業の広告収入と利益が低下することは確実だ」とその手紙で書いたが、新聞買収に払った4億4,400万ドルは全体的な商品価値からみて買い得だと彼は弁護した。インターネットは求人広告、野球の結果、株式相場、漫画などで盛況を呈しているが、「新聞は引き続きローカル・ニュースの伝達で優位を保つ」と彼は投資家に向けて書いた。

 バフェットは、経費削減でコストを下げるという、他の新聞経営者の採る道を選ばないと述べた。薄っぺらなニュースは読者層を薄くする。バフェットの言葉はニュース報道に一筋の光明を照射した。世界的大富豪の一人が新聞の最も基本的な役割を擁護するチャンピオンになった。
 振り返ってみての後知恵だが、彼の楽観主義がナイーブだったように見える。地方紙はかなりのスピードで低落を続けている。経済が復調しても、発行部数と広告収入の減少が止まらない。繁栄する都市でも、問題を抱える地域でも下がっている。

 歴史的に回顧すると、1830年ごろから全米的に地方紙が盛況を呈するようになった。大きな都市では複数の地方紙が競い合い、報道記者を警察、官庁、裁判所、教会など、主要なニュース源に常駐させるようになった。多数の読者を獲得することで、広告の場として重要性を増し、薄利多売による新聞の経営を安定させた。この戦略がその後の170年間はうまくいった。

 全国的に見て、新聞は大小にかかわらずインターネットによって再編を迫られている。印刷されたニュースが中心であった時代では、地方教育委員会が学校食堂の食事の質を検討する調査委員会を設置したというニュースを何人の読者が読んだか、新聞編集者にはわからなかった。今はネットニュースに何人がアクセスしたか、ソーシャルメディアでどのようにニュースが共有されたか容易に分かる。デジタルメディアがニュースのプラットフォームとして新聞に急速に取って代わっている。これまで退屈な記事を書くことも「記録性」で弁護されていたが、これは通用しなくなった。

 オンライン・ニュース読者に関する最近のいくつかの調査は、読者のビヘービアを理解する上で掘り下げたアプローチをとっている。その一つは、オンライン・ニュースにアクセスする人はそのニュースに関心を持つ人だけではなく、チェック、モニター、スキャンなど他の目的のために行っていることを明らかにしている。ある調査では、地方ニュースは読者の見た記事の9%にすぎなかった。しかし、印刷された記事では地方ニュースが20%を占めた。

 この調査によるとオンラインでニュースの見出しだけを見て、内容は新聞記事で読む人が多いことが分かる。ネットニュースにアクセスが多いことは、必ずしも読者がそこから満足するニュースの内容を得ていることを示してはいない。オンラインで得られるニュースの範囲を超えて、ローカル・ニュースには価値があると諸調査が結論を下している。

 オンラインと新聞の両方を利用してニュースを読む人たちは、時間をかけて記事を読み、広告をよく見ている。彼らは速報性だけではなく、記事の信頼性と分析を重視している。継続的な報道、批判的な分析、編集による情報の選別が、新聞の優れた機能であり、これはソーシャルメディアでは安定して果たすことのできない仕事である。

 経済的観点からだけで、地方紙本社を街の中心から郊外や空港付近に移転するのは、あまりにも受け身な対応だ。報道記者がニュースを求めて取材する伝統的な役割を軽視し、日常的にニュース源をカバーする報道記者を削減、突発的な事件だけを追わせるのでは調査・分析力のある記者は育たない。新聞の経営者と編集者の側で時代のニーズを先き読みし、能動的に対応することが地方紙生き残りのカギである。

◆ コメント ◆

 コミュニティの崩壊と地方紙の衰退が密接な関係があるという指摘は納得できる。コミュニティの生活と活動では、異なる価値観やライフスタイルに対する寛容や、隣人との連帯・調和が不可欠だ。こうした経験はバーチャルな世界では得られず、協力の作法はネットの世界で学べない。

 世界的な対決型政治の横行、シンボリックな言動が巻き起こす風による投票行動の激変、検証されない情報の氾濫と単純な回答を求めるポピュリズムなどの現代政治の特徴は、地域的コミュニティやあらゆる職業的団体と労働組合が衰退していることと深くつながっている。

 ジャーナリズムの問題を正面から議論するのは私の手におえるところではない。オルタの筆者と読者に多くのジャーナリズム関係者・経験者がいるので、この問題はそれらの方々の掘り下げた検討に委ねたい。ここではアメリカなど他の先進諸国の動向の一端を紹介することにより、一石を投ずることにとどめたい。現在、英『エコノミスト』誌が「ジャーナリズムの将来」を継続的にフォローしようとしているので、いずれ機会を見てこれも紹介したい。

 (ソシアルアジア研究会前代表・オルタ編集委員)

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