■世界規模で拡大する所得格差            鈴木 不二一

困難な時代の苦い真実

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過去30年の間に、世界中のいたるところで、貧富の格差が急速に拡大した。そ
れは、現代世界が直面している最大の社会的・経済的・政治的難題のひとつであ
る。残念ながら、問題の深刻さは日を追うごとに深まるばかりだ。けれども、一
方で、現代の不平等化にいかに対応すべきか、という時代の要請に応えて、不平
等研究の深化・拡大が近年著しく進展していることは大いに頼もしい。

本稿では、地球規模で拡大する所得格差の実相に関して、最近の研究成果によ
って明らかにされたいくつかの興味ふかい論点を紹介し、その政策的含意につい
て考察してみたい。

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■多くの国・地域で進む不平等化

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2008年秋、マネーゲームの果ての金融危機を引き金に、世界経済の繁栄は音を
たてて崩れ、急転直下、未曾有の世界大不況のパニックに突入した。過去の経済
繁栄が普通の人々にとっては一向に実感できないものであったのとは逆に、急激
な景気後退は弱者直撃型であった。所得の階段を下に降りるほど、経済的ダメー
ジは大きかった。

能力のある人たちの努力が高収入で報いられるのは当然だ。そのために格差が
拡大しても仕方がない。トップの牽引力で経済が浮揚すれば、いずれは底辺にも
豊かさの恩恵が滴り落ちる「トリクルダウン効果」が働くのだという教説が、し
ばしばまことしやかに語られる。しかし、これが真っ赤な嘘だったことは、いま
や誰の目にも明らかであろう。

OECD(経済協力開発機構)が2011年末に発表した報告書『所得格差の中―
なぜ格差は拡大し続けるのか(Divided We Stand: Why Inequality Keeps
Rising)は、OECD加盟国および新興経済国を対象に所得分配の変化を詳細に
分析した結果、近年の景気下降局面までの30年間、大半の国・地域で顕著な所得
格差の拡大があったことを明らかにした。

1980年代半ばから2008年の世界経済危機開始までの間に、OECD平均の家計
可処分所得は実質年率1.7%で成長した。しかし、所得上位10%の実質所得が年
率1.9%で伸びたのに対し、下位10%のそれは1.3%にとどまり、上に厚く配分さ
れる傾向が顕著であった。当然ながら、所得の上下格差が拡大した。

表1によって、所得不平等度の一般的尺度であるジニ係数(0と1の間の値をと
り、1に近いほど不平等)の変化をみると、OECD計のジニ係数は、1980年代
半ばの0.290から2008年の0.316へと、0.026ポイント(9%)増加した。また、
2008年には、所得最上位10%の富裕層は最下位10%層の所得の9.3倍の所得を得
ており、この所得倍率は1980年代半ばの7.7倍を20%も上回っている。

所得不平等の度合いは国ごとの違いが大きい。概して、ヨーロッパ大陸諸国お
よび北欧諸国ではOECD平均を下回り、英語圏諸国および日本、イタリーはO
ECD平均を上回る傾向にある。とはいえ、従来、平等な所得分配を特徴として
きたスェーデンやドイツにおいても、近年は所得格差の拡大がみられる。

表2によれば、こうした所得格差拡大の動きは先進工業国だけではなく、新興
経済諸国にも及んでいる。とりわけ、中国のジニ係数の増加が目立っていた
(1980年代0.32→2000年代0.42)。

◇表1 OECD加盟国の所得格差


      ジニ係数        所得格差倍率
     (家計可処分所得)   (最上位10%/最下位10%)
      1980年代半 2008年   1980年代半  2008年


スェーデン  0.198   0.259    3.5     5.8
フランス   0.300   0.293    7.3     6.8
ドイツ    0.251   0.295    5.1     7.1
日本     0.304   0.329    8.6     10.3
イタリー   0.309   0.337    7.8     9.7
イギリス   0.319   0.345    7.2     10.1
アメリカ   0.337   0.378    10.8     15.1
メキシコ   0.452   0.476    21.8     27.0
OECD計    0.290   0.316    7.7     9.3


出所: OECD Database on Household Income Distribution and Poverty

◇表2 新興経済国の所得不平等度―ジニ係数の推移


       1980年代 1990年代 2000年代 1980年代~
                      2000年代の変化


ブラジル   0.59   0.61   0.57   -0.02
中国     0.32   0.38   0.42    0.10
インド    0.31   0.30   0.37    0.06
インドネシア 0.36   0.32   0.39    0.03


出所: IMF“World Economic Outlook Database”, “World Income Distribution”

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■富める者はますます富み・・・

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地球規模で進む格差拡大の先頭を走っているアメリカでは、いま19世紀末の
「金ピカ時代(the Gilded Age)」を凌駕するような富の集中が進行しつつある。
所得上位1%の富裕層が手にした国民所得のシェアは1980年の8.2%から2010年
には17.4%へと倍増した。これは100年前の所得集中とほぼ同じである。さらに
上位0.01%層(約1万6千世帯)の所得シェアをみると、同じ期間に1%強から
約5%へと4倍にもふくれあがった。この超富裕層の所得シェアは100年前をも
上回る。

富裕層への驚くべき所得集中の傾向はアメリカだけにとどまらない。表3にみ
るように、イギリス、スェーデン、日本、中国、インドなど、世界中のいたると
ころで広く観察されている事実だ。平等主義の国スウェーデンですら例外ではな
い。

『フォーブス』誌の長者番付の解説記事によれば、インドの富豪ムケシュ氏が
所有する世界最大の新築住宅は27階建ての摩天楼で、周囲にあるスラム街の平均
居住面積の3千3百倍の大きさでそびえ立っているという。それは「勝者の一人
勝ち」による富の一極集中を象徴する光景といえよう。

◇表3 所得上位1%富裕階層の所得シェア(単位:%)


年  アメリカ イギリス スェーデン 日本  インド  中国


1915  17.6   ―    28.0   19.6   ―   ―
1920  14.5   19.6   13.5   17.1   ―   ―
1930  16.4   ―    13.7   16.8   ―   ―
1940  15.7   17.0   10.3   16.5   ―   ―
1950  11.4   11.5    7.6    7.7   ―   ―
1960   8.4    8.9    6.8    8.2   ―   ―
1970   7.8    7.1    6.2    8.2   ―   ―
1980   8.2    6.7    4.1    7.2   4.8   ―
1990  13.0    9.8    4.4    8.1   7.4   3.3
2000  16.5   12.7    6.0    8.2   9.0   5.0
2010  17.4   13.9    6.9    9.5   ―   ―


出所:World Top Income Database

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■ワーキング・リッチの興隆

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不平等に対する時代的関心の高まりの中で、社会における格差の有様について
の地道な研究も格段の進展をみせている。研究手法の新機軸が打ち出され、新し
い視点からの事実発見も相次いでいる。そのような最先端の研究テーマのひとつ
に税務統計を用いた高額所得のシェアや所得源泉の推移に関する研究がある。

例えば、税務データを用いたイギリスの財政政策研究所による分析によれば、
2004-2005会計年度における、イギリスの所得上位0.1%の高額所得者(約4.7万人、
平均年収78万ポンド、全納税者平均年収の31.5倍)の所得源泉は、雇用者報酬や
自営業収入などの勤労所得が80%にも及んでいた。これは戦前の富裕層と決定的
に異なる点である。われわれがいま眼前にしているのは、かつてのような怠惰な
金利生活者ではなく、勤労高額所得者階級(ワーキング・リッチ)なのだ。そし
て、これらの勤労高額所得者階級の多くは、ロンドンおよびイングランド南東部
に居住し、金融業や対事業所サービス業に従事する銀行マン、弁護士、会計士、
経営者などであった。

現代の富裕層がワーキング・リッチとしての性格を持っていることは、税務デ
ータによる格差研究のパイオニア的存在であるトマ・ピケティ(パリ大学)の研
究でも確認されている。

表4はピケティらの国際比較研究グループが運営するデータベースによって、
アメリカ、フランス、日本について、1914年から2010年にいたる所得上位1%層
の所得源泉の変化を整理したものである。高額所得階層の所得源泉は、いずれの
国でも、戦前においては非勤労所得(利子、配当、地代など)が7~8割をしめ、
勤労所得(賃金・俸給)の比重はごくわずかであった。ところが、今日では、所
得上位1%層の主たる所得源泉は勤労所得である。その構成比は、2000年時点で、
アメリカ、フランスが5~6割、日本の場合は8割強におよび、戦前とは様変わ
りの変化をとげている。

ワーキング・プアとワーキング・リッチが、ともにその比重を増していること
こそが、いま進行しつつある先進工業国共通の現象としての現代的(あるいはポ
スト・モダン的)不平等化の顕著な特徴のひとつなのである。このことに留意す
ることは、近年の不平等化の意味を読み解き、その対策を立てる上で、きわめて
重要といえよう。すなわち、現在の所得不平等を是正するためには、雇用と仕事
の質への着目が不可欠であることを示唆しているからである。

◇表4 所得上位1%富裕階層の所得源泉―所得に占める賃金・俸給の割合 (単位:%)


年   アメリカ  フランス  日本


1915  19.5     13.8    20.6
1920  32.1     17.1    18.4
1930  32.4     ―    32.4
1940  39.4     ―    17.3
1950  36.0     44.0    51.1
1960  42.5     43.6    ―
1970  45.6     43.9    63.7
1980  60.5     43.4    72.3
1990  57.9     46.7    78.6
2000  63.0     50.4    81.4
2010  57.7     ―    81.4


出所:World Top Income Database

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■痩せ細る中流の所得階層

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所得分配が平等化するパターンはいくつかのルートが考えられる。ひとつは
「貧困の平等」である。誰でもが等しく、平等に貧乏になる。国敗れて、山河の
みが残り、生活の荒廃が全土を覆うような時期に見られた特殊な状況である。ひ
もじくはあるけれども、社会には連帯感がみなぎる。けれども、このような状態
が持続することは誰も望まない。

もうひとつ考えられるのは「富裕の平等」で、誰でもが金持ちになることによ
る平等化である。もし実現するなら、反対する人はいないだろう。けれども、経
済的資源の本質は希少性にあり、その総量には限りがあるから、このような状態
が実現することはない。

所得の平等化の歴史をふりかえると、結局実現したのは、ふたつの極端なケー
スの中間であった。極端な金持ちと極度の貧困の両方、あるいは片方が減り、そ
の中間の所得層のシェアが増えることによって平等化が実現したのである。1950
年代半ばから70年代半ばにかけての20年間に欧米や日本でみられた平等化は、ま
さにこのパターンであり、社会の「中間層的平準化」と呼ばれた。

ところで、この「中間層的平準化」の時代は、1970年代半ばを過ぎると、次第
にフェイドアウトの様相を呈する。とりわけ、1990年代以降には、アメリカを典
型とする「中間層の縮小」が工業国全体の共通のトレンドとなった。

表5は、上位20%と下位20%に挟まれた所得中位60%層の所得シェアが、1985
年前後から2004年前後にかけてどのように変化したかをみたものである。ここに
掲げたいずれの国においても、この20年近くの期間中に、中位60%の中間層の所
得シェアは減少した。もっとも減少幅の大きかったのはイギリス、アメリカ(と
もに▲3.3%ポイント)であった。これまで平等主義的傾向が典型的にみられた
スェーデンにおいても、中位60%層所得シェアの減少幅は比較的大きかった(▲
2.3%ポイント)ことが注目される。

残念ながら、日本について同様のデータは得られなかった。けれども、筆者が
かつて「家計調査」データによって、年収「500~1000万円」の中産階層の世帯
数構成比の変化を調べた結果からは、「中間層の縮小」が日本でも進んでいるこ
とを確認できる。すなわち、2000年時点で全世帯の半数近く(46.1%)におよぶ
最大勢力であった年収「500~1000万円」は、2009年に42.0%のシェアにまで縮
小してしまったのである。

分厚い中間層の存在は、政治的安定と同時に、旺盛な国内消費需要の源泉でも
あった。「中間層の縮小」による不平等化の進行は、この安定と繁栄の基盤を揺
るがす、まさに憂慮すべき事態といえる。

ところで、近年の実証研究は、現在の不平等化の背後にあるもっとも大きな要
因のひとつが労働市場の構造変動による雇用の二極化であることを明らかにして
きた。

ヨーロッパにおける職種別雇用の変化を分析した最近の研究(Goos et. al.
2009)によれば、1993~2006年までの期間に、高賃金職種と低賃金職種の雇用シ
ェアが高まり(それぞれ6.19%増、1.58%増)、その中間の中賃金職種は減少
(7.77%減)するという変化が観察された。まさに、絵に描いたような「中間層
の縮小」である。

日本では、雇用システムにおける職種区分が不明確で、賃金も含めた職種別雇
用構造の変化をとらえることには困難がともなう。けれども、日本における業務
タイプ別雇用と実質収入の変化に関する分析結果(鈴木 2011)によれば、ヨー
ロッパほど明瞭ではないが、日本でも、賃金が伸びている「非定型専門職」(調
査・研究、設計、法務、医師、教育等)と、賃金が停滞している「非定型手仕事」
(販売・サービス)の両極の雇用が増え、その中間の職種グループの雇用は縮小
しつつあることが明らかにされている。日本の労働市場もまた、「格差拡大と二
極化する雇用」という世界的なトレンドの渦の中に巻き込まれていることは、ほ
ぼたしかだろう。

では、どうしたらよいのか。両面作戦が必要となろう。ひとつは、中間層から
の脱落を防止するための「良好な雇用機会」の創出・拡大であり、もうひとつは、
サービス化で需要増が見込まれる「非定型手仕事」の雇用改善、所得底上げであ
る。雇用の難局打開をめざして、労働組合の役割がますます重要となってくると
いえよう。

◇表5 縮小する中間階層の所得シェア (単位:%)


  国   1985年前後      2004年前後
      中位60% 上位20%  中位60% 上位20%


フランス   55.5    37.2   54.2 ↓  37.1 ↓
ドイツ    55.1    35.7   54.1 ↓  37.0 ↑
イタリー   52.2    40.5   51.8 ↓  41.0 ↑
メキシコ   45.9    49.6   44.3 ↓  51.2 ↑
スェーデン  58.6    31.6   56.3 ↓  33.7 ↑
イギリス   54.1    38.0   50.8 ↓  41.9 ↑
アメリカ   54.4    39.5   51.1 ↓  43.1 ↑


(注)「2004年前後」の所得シェアの数字の後の記号は:
   「↓」:1985年前後に比べてシェアが減少
   「↑」:1985年前後に比べてシェアが増加
出所:Atkinson and Brandolini (2011)

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■平等と効率は必ずしもトレードオフではない

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様々な利害が錯綜し、せめぎあう世の中にあって、すべてが丸く収まることは
ほとんどない。「あちらを立てれば、こちらは立たず」は世の常だ。とりわけ、
両立しがたい諸要素に満ちあふれている経済法則は、われわれの悩みの種の見本
市のごとくである。

平等と効率のトレードオフ関係もまた、われわれを悩ませ続けている厄介な法
則のひとつだ。すなわち、平等を追求しようとすれば効率が損なわれ、成長が阻
害される。成長なくして生活水準の向上はないから、貧困の平等から脱出したい
と願うのであれば、工業化の初期における不平等化はじっと我慢するしかない。
いずれは、経済が成熟化し、豊かな社会が実現して、平等化の余裕が生まれるよ
うになる。これが、主流派経済学の伝統的な見方であった。

けれども、最近になって、平等化は持続的成長を支える要因であり、平等と効
率は必ずしも両立し難いものではないという見解が広く受け入れられるようにな
ってきた。たとえば、不平等度と成長パターンの長期的推移を詳細に検討した国
際通貨基金(IMF)調査局のバーグとオストロイの研究は、過度の不平等は経済社
会の不安定化を通じて成長の持続性を阻害し、長期的にみた経済効率を損なうこ
とを明らかにしている(Berg and Ostry 2011)。彼らの計測結果によればジニ
係数10%の減少(ジニ係数0.40が0.37に下がることに相当)は、予想成長持続期
間を50%増加させるという。

世界銀行主席エコノミストのブランコ・ミラノビッチは、近年になって、平等
と効率の関係についての見方が大きく転換するにいたった背景には、経済発展に
おける人的資本の重要性が増したことがあるという。物的資本の役割が重要であ
った時代には、「貧しい人よりも、所得の多くを貯蓄し、それを物的資本に投資
できる富裕層が重要であった。」けれども、機械設備よりも人的資本の役割が重
要で、かつ希少となった今日においては、成長を支える鍵は教育にあり、教育の
普及には比較的均等な所得分配が必要となる。

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■アジアにおける格差拡大傾向

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いまや世界経済を牽引しているアジア諸国においても、所得格差拡大が持続的
成長を阻害する懸念が議論の俎上にのぼりつつある。今年4月に発表されたアジ
ア開発銀行『アジア経済見通し2012』は、アジアにおいて貧富の格差が拡大して
いる問題を取り上げ、地域の安定にとってマイナス要因になりかねないと警告し
ている。とくに経済規模の大きい中国、インド、インドネシアにおける所得分配
の不平等化は顕著であった。

過去20年間におけるアジア諸国の急成長は世界経済を需給両面で支えると同時
に、地域内での貧困率の縮小にも寄与してきた。たしかに、ここでは上げ潮はす
べてのボートを上に押し上げたのである。そのインパクトは、表6に示す世界全
体のジニ係数が2000年代半ば以降、それまでの0.70前後という高水準からわずか
ではあるが下降に転じていることにも現れている。

けれども、一方で、アジア諸国の所得再分配機能はいまだ十分に整備されてい
ないことから、所得が高い人ほど所得の伸びも高い「成長の果実の偏在」がほと
んどの国で観察された。中国、インド、インドネシアのジニ係数の上昇はその現
れに他ならない。

アジア諸国における中間層の安定的拡大は、新たな消費・購買層の形成により
各国の内需を支えると同時に、世界経済にとっての大きな市場となることが期待
されている。けれども、成長の果実の偏在が今後も続く場合には、中間所得層人
口の拡大ペースが大きく落ち込み、消費の伸びを抑制することとなる。それだけ
でなく、低所得者層における能力向上機会の喪失は人的資本の質的成長の阻害し、
さらには社会の不安定化要因となって、持続的成長を妨げることにもなるだろう。

転換期に立たされている世界経済の中にあって、その牽引車として期待されて
いるアジア経済にも、いま大きな潮の変わり目が訪れようとしている。アジアの
労働運動がめざしてきた「誰もがディーセントワーク(働きがいのある人間らし
い仕事)を得られる社会の実現」という課題は、新たな経済的意義をも担いつつ
あるということができよう。

◇表6 グローバル・ジニ係数の長期推移:1820~2008


 年  ジニ係数    年  ジニ係数


1820   0.430    1980   0.657
1850   0.532    1988   0.683
1870   0.560    1993   0.699
1913   0.610    1998   0.694
1929   0.616    2002   0.706
1950   0.640    2005   0.697
1960   0.635    2008   0.675


出所: Milanovic (2009)

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■一国平等主義を超えて

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前節の表6に示したグローバル・ジニ係数は、地球上の全人口を対象として算
出されたジニ係数推計値であり、最も不平等な国のジニ係数よりも高い値を示す。
例えば、国連調査による2003年のブラジルのジニ係数0.580であったが、2002年
のグローバル・ジニ係数は0.706であり、ブラジルの不平等度をはるかに上回っ
ている。

グローバル・ジニ係数の推定にあたった世界銀行のミラノヴィッチによれば、
2000年代初頭のグローバルな所得分布は、「最も富裕な所得層10%が全世界の所
得の56%を受け取る一方で、最貧層10%は全世界の所得のわずか0.7%しか受け
取っていない」という、まさに気の遠くなるような不平等が支配する世界なのだ。

グローバル・ジニ係数は、一国内の不平等度と国家間の不平等度(各国の1人
あたり国民所得の格差)を合わせたものである。グローバル・ジニ係数は、19世
紀以来今日まで、一貫した上昇傾向をたどってきた。豊かな先進工業国内の所得
分布が平等化に向かった後も、豊かな国々と貧しい国々の間の1人あたり国民所
得の格差はますます拡大の一途をたどってきたからである。

それでは、一国内の不平等度と国家間の不平等度は、それぞれグローバル・ジ
ニ係数の水準にどの程度の影響を及ぼしているのだろうか。表7は、1850年と
2005年の2時点について、一国内の不平等度と国家間の不平等度がグローバル・
ジニ係数の水準にどの程度寄与しているかを推定した結果である。19世紀半ばと
今日では、グローバル・ジニ係数の構造が大きく変化していることがわかる。

1850年においては、グローバル・ジニ係数0.532は、各国内の不平等度0.273と
各国間の不平等度0.259とに分解することができ、両者の寄与度はほぼ半々であ
った。ところが、2005年になると0.697のうち85.9%は各国間の不平等に起因す
るものである、各国内の不平等の寄与度はわずかに14.1%にしかすぎなかった。
今日の世界では、世界のどの場所で生まれるのか(豊かな国で生まれるのか、そ
れとも貧しい国で生まれるのか)が、その人の所得分配上の位置をほとんど決め
てしまうのである。

グローバルな所得格差に関する以上のような状況をふまえると、今日の所得不
平等の問題は、一国内の不平等是正にとどまるのではなく、各国間の国民所得格
差の縮小をも視野に入れて対応策を検討することが不可欠だといえるだろう。こ
れまでの所得不平等是正の対応は、もっぱら一国内における経済社会政策の展開
によるものであり、一国平等主義を超えた取り組みは未知の領域に属するといっ
てよい。

ミラノヴィッチは、難問中の難問ともいうべきグローバルな不平等への取り組
みを重視していかなければならない理由として、次のふたつを指摘する。第1は、
「国家間の深刻な所得格差は、社会的に持続不可能な国際的移民流出の原因とな
っている」こと、そして第2は倫理的な議論であり、「正義について関心の領域
を制限する必要はないし、援助義務の対象を同国人に限定する必要もない」「国
内で不平等の縮小を目指すなら、世界でも目指さなければならない」ということ
である。ともに傾聴に値する鋭い指摘といえよう。

◇表7 1850年と2005年におけるグローバルな不平等の水準と構成:ジニ係数の寄与度分解


年   グローバル  寄与度分解
    ジニ係数   各国内の不平等度    各国間の不平等度
           ジニ係数(寄与度、%) ジニ係数(寄与度、%)


1850   0.532    0.273(51.3)      0.259(48.7)
2005   0.697    0.098(14.1)      0.599(85.9)


出所:Milanovic(2011)により作成

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■おわりに

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グローバル化の負の側面に警鐘を鳴らし、市場万能主義を鋭く批判してきた、
行動する経済学者スティグリッツは、近著『不平等の代償(The Price of
Inequality)』(2012年)の冒頭で次のように述べる。

世界中のすべての人々が現状に異議を申立て、変革を求めて立ち上がる歴史的
瞬間がある。激動の1948年と1968年は、まさにそのような瞬間だった。その時に
起きた社会的地殻変動は、いずれも新時代の幕開けを示すものであった。2011年
も、後世からみてそのような歴史的画期となることだろう。

「パリ5月革命」の1968年や、「ウォール街占拠」にはじまる若者たちの抗議
運動が世界中に広がった2011年を、ヨーロッパのウィーン体制を崩壊させた1848
年革命の年と同列に並べられるかどうかはさておき、変革を求める社会運動の力
が体制の根幹を揺るがせ、新しい時代の扉をあける可能性を持っていることに異
論はないだろう。

スティグリッツは、いま世界中に広がっている不平等化の波は、抽象的な市場
の力によって自然に生起したものではなく、現実の政治によって形成され、強化
されたものにほかならない、と指摘する。したがって、クリントン前大統領の決
め台詞をもじっていうなら「It's the politics, stupid!(要は政治なんだよ、
愚か者!)」ということになる。

さて、社会運動の力と人々の政治的選択は、果たして不平等化の趨勢を主体的
に転換できるのか? それは安易な楽観を許さない難題といえよう。とりわけ、
ますます混迷を深める日本の政治状況の中では、なおさら解決の糸口を見出すこ
とは容易ではない。けれども、困難な時代の苦い真実を前に立ちすくんではなら
ないだろう。

誤った政治が創りだした過度の不平等化のつけは、経済パフォーマンスの低下、
社会的結束の弱体化、さらには民主主義の空洞化という形で、社会そのものを毀
損しつつある。そして、傷ついた社会は経済と産業の基盤を掘り崩すことによっ
て、さらなる不平等化につながる悪循環のループを形成してしまう。この悪循環
を断ち切ることを通じてしか、幸福の追求を万人に保証するような未来を展望す
ることはできないといえよう。

参考文献
鈴木将之(2011)「所得低下と格差拡大の背景にある二極化」
Anthony B. and Brandolini, A. (2011). 'On the identification of the
“middle class”', Working Paper ECINEQ 2011 - 217, Society for the Study
of Economic Inequality
Berg, A.and Ostry, J.D.(2011). 'Inequality and Unsustainable Growth: Two
Sides of the Same Coin?', IMF STAFF DISCUSSION NOTE April 8, 2011
Bourguignon, F.and Morrison, C.(2002).'Inequality among world citizens:
1890-1992', American Economic Review, vol.92, no.4.
Goos, M.,Manning,A. and Salomons, A. (2009). 'Job Polarization in
Europe', American Economic Review: Papers & Proceedings 2009, 99:2.
Milanovic, B. (2009).“Global income inequality: the past two centuries
and implications for 21st century”, Autumn 2011.
Milanovic, B. (2011). Global Inequality--From Class to Location, from
Proletarians to Migrants
Stiglitz, J. E. (2012). “The Price of Inequality”

 (筆者は連合総研客員研究員)