名護市長選、沖縄県知事選、衆院選の勝利の先を見すえて

                       桜井 国俊


 11月16日の沖縄県知事選の当日、私は南太平洋フィジーの田舎町ランバサにいた。沖縄大学に赴任した2000年から関わってきた太平洋島嶼諸国の人材育成の仕事の一環の集中研修が丁度かちあってしまったためだ。研修の準備で日曜日一日かけて行った現場視察を終え、そろそろ選挙結果が出るのではないかとネットで検索をかけてみて驚いた。筆頭に「仲井眞当確」が飛び出してきたからだ。しかし良く見たらそれは2006年の知事選の報道であった。フィジーは日本より4時間早く、沖縄の選挙はまだ投票が終了していない時間だったのだ。

 今回の選挙は、那覇市民の場合、知事選、那覇市長選、県議補選、那覇市議補選の4つが重なった。期日前投票で私が票を投じた4候補が全て当選したことをネットで確認したが、こんな大当たりはおそらくこれが最初で最後ではなかろうか。なにしろ、私が推す候補者は少数者の悲哀を味わうことが少なくないからだ。
 その後の衆院解散・総選挙は、名護市長選、そして10万票もの大差で翁長候補が勝利した沖縄県知事選で明らかになった「辺野古新基地建設反対」という沖縄の民意から、国民の視線をそらす意図をも含むものだというのが沖縄における常識的な理解だ。明確な争点が見えないまま実施された12月14日の総選挙では、自公の圧倒的な勝利が不可避であったが、だからこそ沖縄では「少なくとも県外移設」との公約を破った自民党推薦4候補を全員落選させるとの熱気が全島で燃え上がった。それが特に顕著だったのは「辺野古反対」の一点で結束するオール沖縄の象徴でもあった沖縄4区である。公約を最初に裏切った西銘恒三郎候補と対決したのは、彼のかつての後援会長の仲里利信候補である。「政治家は公約を裏切ってはならない」という仲里候補の一貫した主張が支持され、ついに自民党推薦4候補全員を小選挙区で落選させたのである。

 さて沖縄は、名護市長選、知事選、衆院選を通じて繰り返し「辺野古反対」の民意を示したにも拘わらず、歴史上まれに見る強権的な安倍政権は耳を傾ける姿勢を全く示さない。改めて国民の支持を得たとして、また「軍事と外交は国の専権事項である」として、年明けにも辺野古新基地建設のための工事を再開しようとしている。いよいよ安倍政権との対峙の正念場が訪れる。今回の知事選、衆院選のオール沖縄の闘いを、山内徳信元参議院議員は「国共合作」と呼んだ。また翁長知事候補は、「イデオロギーよりアイデンティティ」と保革を超えた闘いを呼び掛けた。これからその中身が問われることになる。

    (筆者は沖縄大学前学長)


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