【オルタ広場の視点】

参院選挙で見えた若者の保守化と小選挙区選挙制度の欠陥

仲井 富


はしがき

 参院選は21日投票だが、与野党勝敗の分かれ目は、3年前、野党共闘で1人区で32選挙区中、11選挙区で勝利したラインに届けるかどうか。また注目の、れいわ新選組の山本太郎の捨て身の闘いが、どこまで比例区票を勝ち取れるかにかかっている。旧民主党政権は、消費税を4年間値上げしないマニフェストを投げ捨てて、自公に抱き付き値上げし、惨敗した。菅・野田元首相と当時の民主党議員たちは、党名を替えて出直ししたが、選挙民は忘れていない。
 以下に参院選との関連で注目すべき若者の保守化現象と、小選挙区制度改正への問題提起を考察した。当時の政治改革論全盛のなかで、小選挙区制度反対の論陣を張った香山健一氏の論稿は、まさに先を見据えていた。

① 若者の保守化と政治的無関心のひろがり 投票率の低さ
② 朝日新聞 石川真澄記者の予言 革新政党の舞台を去る日は近い
③ 議員の質が落ちた最大の要因は、衆院の小選挙区比例代表並立制 村上誠一郎
④ 小選挙区に断固反対した香山健一氏と朝日新聞石川真澄記者
⑤ 資料 「衆院中選挙区望む」6割 自民党愛媛県地方議員調査 朝日新聞2019年3月

◆若者の保守化と政治的無関心のひろがり 1970年代若者と異質

 若者の保守化と政治的無関心のひろがりは、すでにあちこちで指摘されてきたが、今回の参院選でもさらに明らかだ。
 7月21日投票の参議院選挙。仙台の大学生らでつくるNPO法人が、若者を対象に街頭アンケートした結果、8割近くが「投票日を知らない」と回答した。4人のうち3人が、投票日を知らなかった。
 参院選が公示された7月4日から8日までの5日間、大学生らでつくるNPO法人「ドットジェイピー」が、仙台で街頭アンケートを実施し、440人から回答を得た。その結果、「投票日が、7月21日だと知っている」人は、107人に留まり「知らない」と答えた人は、333人と8割近くを占めた。4人中3人が、投票日を知らなかったことになる。また、投票日が分かっても「行かない」と答えた人が、半数を占めた。主催した団体は、啓発活動を続け若者の投票率を上げていくと話していた。

 朝日新聞の調査でも同様の結果がみえる。

 ――安倍内閣の支持率は、18~39歳の男性で際だって高いのが特徴だ。朝日新聞の世論調査で過去3年の平均をみると、18~29歳の男性は57.5%、30代男性は52.8%。男女の全体は42.5%だった。さらに、閣僚らの不祥事が起きても、この世代の支持率は一時下がってすぐに回復する。社会保障などで将来に回されたツケを負担する若い人々が、いまの政治を支持する理由を知りたい。第2次安倍内閣の発足から6年半。さまざまな不祥事や問題発言を重ねながらも、支持率は一定の水準を保ち続ける。なぜか。
 毎日欠かさずチェックするのは株価のチャート。米国の雇用統計も注視する。空き時間は外国為替証拠金取引(FX)の勉強に充てる。新聞もテレビもネットニュースも見ない人々が、いまの政治を支持する理由を知りたい。(石川瀬里、渡辺洋介 朝日2019年7月1日)――

 17年衆院選での共同通信の出口調査によると、18、19歳の自民支持率は39.9%、20代は40.6%で、全年齢層の36%を上回った。ただ投票率は20代が33.85%で、全年齢層53.68%よりかなり低い。男子学生は、選挙に行く若者は自分も含めて「とりあえず現状維持で自民支持」が少なくないと感じている。「今は新卒の就職率も悪くないし、自民が与党を続けてるいるのが現実的と思う」

 野党を支持しているという4年の男子学生(21)は「同世代に自民を支持する人はけっこういる。物心ついて自民党が政権与党だった時代が長く、政治を変えようと思わない人が少なくないからでは」と話す。周りには、自民を支持していなくても野党への共感が薄い学生もいるという。(若者の自民支持率なぜ高い?10代…39.9% 20代…40.6%「とりあえず現状維持」――2019年7月1日 東京新聞・こちら特報部)

◆朝日新聞 石川真澄記者1992年の予言 革新政党の老化消滅は近い

 社共など革新政党の自己革新なき護憲三分の一だけに頼る在り方に痛烈な危機感を評したのは朝日新聞の石川真澄記者(後の新潟大教授)だった。彼は以下のように革新支持の「高齢化」を指摘する。
 ――1992年の参院選挙で新聞社が行った世論調査で、私は一種の感慨を覚えた。そこには戦後革新を支持してきた人々が今や老いつつあり、一方では後続はなく、このまま進めば時間の経過に合せて舞台を去る日がやがてくるだろう姿が見えていたからである――(『世界』1992年11月号 自己変革がなかった戦後革新)

 石川氏は要旨以下のように分析している。
 ――それは年齢階層別支持依存指数 と名づけている数値の移り変わりのなかにはっきりと表れていた。変化が余りなかった自民、公明、支持なしの三党と、かなりの変化があった社会、共産、民社の三党とにである。変化のあった三党は、いずれも依存度の最強部分が、右へ移動して行っているのが特徴である。依存度の最高点は、社会党では1968年の30歳代から1980年は40歳代、そして今は50歳代へと確実に移ってきた。これらはいずれも支持構造の老齢化と名づけられる変化といっていいだろう。
 社会党に例をとるなら、支持率が全体として1968年の22%から1992年の12%に下がるなかで、1960年代の終わりに支持の中心であった30歳代の人々が、年をとっても引き続き比較的に支持し続けているのに対して、その後の年代で社会党支持に回る人は年々少なくなっているということである。それにひきかえ、自民党では若いころは支持しなかった人々が年をとるにつれて支持に参入していくという形のまま安定している。
 68年参院選以後の社会党支持構造の老齢化を逆にたどれば、当然、そのほぼ10年前には支持の中心が20歳代にあったことが類推できる。サンプル数の少ない政党支持率調査でみると、1960年5月の安保騒動直前には、自民党支持40%、社会党30%だが、20歳代の社会党支持率は41%と、この年齢層の自民支持率31%をしのいでいる。以下、社会党の年齢階層別支持率は30歳代36%、40歳代28%、50歳代20%と逓減していくので、依存度が20歳代をピークとしていることは疑えない。つまり、今の社会党支持の中心である50歳代の人々は、60年安保のころは20歳代であり、社会党支持率は41%と、この年齢層の自民支持率31%をしのいでいる。――

 石川真澄氏の予言は翌1993年の細川連立政権の瓦解から、想像もしなかった1994年の自社さ連立政権で自衛隊・安保容認、日の丸・君が代支持という大どんでん返しで的中した。戦後社会党は雲散霧消したのだ。
 ドイツ社民党やフランス社会党は、70年代前後の若者の反乱から緑の党へと発展させたエネルギーを評価し、ついには社民党と緑の党の連立政権へと発展させた。しかし日本の革新政党はこれらをすべて排除した。ただ護憲三分の一だけを叫び続けながら、ついには自社さ政権に参加して、みずから自己崩壊の道を選んだ。社会党系左翼は、安保、全共闘世代をふくめてそれを容認した。
 また社会主義協会ソ連派マルクス・レーニン主義者も、毛沢東文革バンサイの中国派も同じである。マルクス・レーニン主義者たちは、いつのまにか社会民主主義者になった。若者たちの支持を完全に失った責任の一半は、自社さ政権、民主党政権の反省も総括もなく、ただ議席だけを求めて漂流する非自民野党と議員に大半の責任がある。私は当時社会党員だったが村山連立政権に抗議して社会党に離党届を出し無党派層の一員となった。
 
◆小選挙区比例代表制の欠陥 それを作った非自民政権の社会党と旧民主議員

 1993年の細川政権当時、現在の小選挙区比例代表制がスタートした。当初は、自民党と社会党議員の反乱で参議院では否決された。それを当時の土井たか子議長と河野洋平自民党総裁、細川首相の話し合いで、参議院の反対意見を押し切って導入した。それから16年。いまや国会議員の劣化現象は目に余るものがある。
 小挙区を導入した河野洋平元衆議院議長が真っ先にその非を認めている。2013年6月要旨以下のように述べている。

 ――小選挙区制、大失敗だった――自民党総裁として細川護熙首相と小選挙区制導入で合意したが、大失敗だった。20年前より政治は悪くなった。こんなに死票が多く、民意が切り捨てられている政治はダメ。小選挙区に賛成する人は改革派、反対する人は守旧派とレッテルを貼られ、自民党は大荒れだった。『小選挙区を導入しないなら離党する』と改革派は言い、守旧派は『導入するなら俺たちは出て行く』。党を割らないために落とし所のつもりで合意した。自民党の2、3人の候補者から選べる中選挙区と違い、小選挙区は候補者の選択肢を奪い、自民党は純化された。極端に言うと、安倍晋三首相の主導による党の公約に従わない人は公認しないわけだから、選ばれるのは一本調子、どこを切っても同じような金太郎あめみたいになっちゃった。――(朝日新聞 2013年6月13日)

 一貫して安倍政権の権力主義的な政治体質を批判し続けている自民党最古参議院の村上誠一郎氏は「選良はもはや死語か 耕論 2019年参院選」で、「質が落ちた最大の要因は、衆院の小選挙区比例代表並立制」と以下のように批判している。

 ――若い国会議員の中に発言も行動も「公人」としての自覚がない人が増えています。私からみれば、起こるべくして起こったことです。議員の質が落ちた最大の要因は、衆院の小選挙区比例代表並立制にあります。政党・内閣支持率が高ければ、候補者の能力が伴わなくても当選できるようになった。「○○チルドレン」と呼ばれる議員の多くは、自らの政治信条や理念はどうでもいい、党の方針に従っていれば、政治家が続けられると考えています。自分の頭で物事を考えなくなっているのです。
 政党が候補者を選ぶ仕組みが変わったのも一因です。各派閥は全国にアンテナを張り巡らせて時間と手間をかけて選んでいました。いまは原則公募で、書類選考が中心になっています。学歴や勤務先、ルックスなどで短期間で決めようとするから「ハズレ」が多くなる。欧米の政党も公募で選びますが、党職員や議員スタッフとして数年間雇い、政治家としての資質や能力を試してから判断しています。
 議員を教育するシステムがなくなったのも痛手です。かつて派閥が勉強会を主催していました。私も若い頃はそこに参加して専門家から財政や金融、外交について学ぶ機会を得ました。最近は見識のある派閥の長が減り、勉強会の機会が少なくなりました。若手議員の規律が緩んできた背景には、政権・政党幹部の暴言をあまり糾弾しないメディアの報道姿勢もあるのではないでしょうか。「上があんなことを言って許されているのだから大丈夫」と思っているから、考えられないような発言や行動が出てくるのです。――(朝日新聞 2019年7月5日)

 故加藤紘一氏も、すでに2014年1月30日の読売新聞で、選挙制度の抜本改革を訴えている。――「小泉チルドレン」や「小沢ガールズ」といった大量当選した新人が次の選挙で消えて行くのは政治的人材の無駄遣いですよ。政治というのは、有権者と深く接する人間が選ばれてくると、重みが出てくる。知名度のある人がひょっこり出てきても、根っこのある政治は出来ません」――と述べている。自民党の古賀誠幹事長もしばしば「小選挙区制が新たな強権政治を生む」と警告している。
 共産党を除く野党指導者たちの大半は小選挙区制に賛成した過去を持つ。はっきりと小選挙区制の欠陥を指摘しているのは自民、保守リベラルの人々であることに注目したい。

◆小選挙区制に断固反対した政治学者香山健一氏の卓見 朝日新聞

 1993年、滔々たる政治改革論の中で浮上した小選挙区制度に関して、公然と反対したのは、私の知る限り、先に挙げた朝日新聞の石川真澄氏と、当時学習院大学教授だった香山健一氏のみである。私は晩年の香山健一氏と、日教組と教育臨調に関して浅からぬ因縁があった。そして香山氏は、私に以下の論稿を送ってきた。それは彼が朝日新聞に投稿する原稿で、朝日新聞1993年7月12日に掲載された。いわゆる二大政党制の幻想は、過ぎ去った「追いつき型近代化時代」の政治的幻想のひとつに過ぎないものであり、二十一世紀の日本の政治システムのモデルとはなり得ないものであるという、彼の指摘通りとなった。香山氏は1996年脳内出血のため、自宅で倒れ東京女子医大に入院、1997年3月21日に逝去した。享年64歳だった。以下全文を掲載する。

●二大政党は理想にあらず 政治家個性重視の時代到来 日本型多党連立政へ移行を  香山健一 (朝日新聞 1993年7月12日夕刊 文化欄)

 半世紀近い戦後冷戦期を通じて、世界各国はそれぞれの歴史、伝統、文化、社会の特質に基づいて、東西冷戦の二極構造に対応した各国特有の国内政治システムを形成、発展させてきた。昭和三十年に、左右両派社会党の統一と保守合同によって形成された「保革対立」の日本の戦後政治システム、いわゆる「一九五五年体制」も、こうした戦後冷戦構造の部品ないしは国内版としての性格を持つものであった。
 冷戦構造に適合的な形で発展し、老朽化してきた国内政治システムは、国連平和維持活動の推進、世界経済の相互依存関係の進展、工業文明から情報文明への転換、地球環境問題、南北問題、成熟社会への移行、地方分権の推進、生活者重視への転換など、冷戦以後の内外の新しい諸問題に適切に対応することができない。冷戦の終結とともに、米ソ両超大国はもとより、欧州とアジア・太平洋地域をはじめとして、全世界の国内政治秩序に激震が襲い、既成政党や規制の政治システムが政治的リーダーシップの喪失、経済社会運営能力の低下、政治的腐敗などの全般的機能不全に陥っているのも、本質的にはこうした国際政治構造の地殻変動に起因するものであることは明らかである。

 政変以後、ここへきてにわかに政権交代可能な「二大政党制』が日本の将来の最も望ましい理想型であるかのような議論が急浮上してきているが、二大政党制ははたして、「一九五五年体制」に代わる新しい日本の政治システムの理想型となりうるものかどうか、また現実に実現可能なものかどうかということを、各党派間で徹底的に論争してもらいたいものだと思う。私の意見では、いわゆる二大政党制の幻想は、過ぎ去った「追いつき型近代化時代」の政治的幻想のひとつに過ぎないものであり、二十一世紀の日本の政治システムのモデルとはなり得ないものである。
 よく知られているように、いわゆる二大政党制は、実は一九五五年の保守合同と社会党の統一により、保革対立構造が形成されて以来の、戦後政治の見果てぬ夢のようなものであった。自民党と社会党がほぼ二対一の比率で議席を分かち合うという、日本独特のいわゆる「一力二分の一政党制」、一党優越性は多少の変動はあっても決して政権交代可能な二大政党制に転化することはなかった。

 それにはすくなくとも二つの基本的な理由があった。第一に、古い政治学の教科書のなかで、あたかも近代議会民主制の理想型のように描かれてきた二大政党制なるものは、英米両国の歴史上の一時期にみられた特殊な政党政治の型に過ぎないものであり、普遍的なものでもなければ、必ずしも理想的に機能したものでもなかった。
 第二に、戦後日本の自民党一党支配なるものは、その実態において特殊日本型の連合政権であった。自民党という政党は、単一政党というよりも派閥という名の政党からなる与党連合であり、その内閣はいわば派閥連合の連立内閣であった。自民党の強みも弱みもまさにこの特殊日本型政党連合という点にあったのである。

 冷戦の終結とともに、私たちは近代の終駕(しゅうえん)をも迎えている。近代の終駕は古い政党政治そのものに構造的な変化をもたらしつつある。近代の終罵とともに、古い政党政治の時代は終わり、有権者がより多くの選択権を行使できるような、イデオロギーや政党よりも、政治理念や政策実行能力、政治家としての資質の微妙な差異に注目して、有権者が政治家個人を選択できるような、新しい政党政治の時代が訪れるであろう。近代組織政党、イデオロギー政党の時代は終わり、多様性、自主性、柔軟性、個性を尊重し、「党より人」を選択することが新しい重要な意味を持つネットワーク型の政治の新時代が到来しようとしている。二大政党制でないと安心できないというような二極構造の思考形態は過ぎ去った「追いつき型近代化時代」の古い考え方に過ぎない。いつまでも古い二大政党制の神話にとらわれて政治改革の基本方向についての判断を誤ることなく、適当な安定的基軸を持った日本型の新しい多党連立制を創造するために知恵を出すことが、これからの成熟社会、情報化社会、国際化時代により柔軟に対応できる政治改革の王道ではないのか。

 小選挙区制は二大政党制にこそ相応(ふさわ)しいものであり、現在進行しているような多党連立制にむかう政界再編成の流れの障害とすらなる。多党連立制による政界再編成を本気に促進しようとするのであれば、むしろ新しい中選挙区連記制こそが望ましいものとなるであろう。政治改革のうねりが大方の予想に反して、選挙制度改革より一足先に政界再編成をもたらしつつあるという現状認識に立って、私は政治改革をめざす与野党各党派が、前国会で廃案になった小選挙区制と比例代表制の多様な組み合わせ案のすべてに見切りをつけ、この際、中選挙区連記制で選挙制度改革についての与野党合意をとりまとめ、一気に多党化による政界再編成を推し進めるという大胆な戦略転換を行うよう提案したいと思う。

 また、派閥連合組織としての実態からなる自民党も社会党も、いつまでも単一政党の擬態をとり続けるのではなく、この際、派閥という旧式の非公式組織を解体して、各派閥を中小規模の公式組織としての独立政党に分割・再編成することにより、新しい多党連立制への移行に積極的に参画することが望ましい。政治の世界でも、「大きいことはいいことだ」という時代は終わったのである。中規模ないしは小規模の政治グループがのびのびと自己主張を行い、競争と協調のなかでチェック・アンド・バランスを繰り返していくような、また各政治グループのなかでは、個々の政治家がもっと堂々と自己の政治的見解を自由に主張できるような状況を作りだしていくことが大切なのではないか。

◆ <資料>

「衆院中選挙区望む」6割
  2019年統一地方選 自民党愛媛県地方議員調査 (朝日新聞2019年3月21日)

 愛媛県の自民議員に「望ましい衆院の選挙制度」を尋ねると、61%がかつてのような「中選挙区制」を選んだ。朝日新聞と前田幸男・東大教授(政治学)による共同調査(有効回答214人)の結果で、現行の小選挙区中心の制度への支持は乏しい。自民党の候補者同士が争う制度なのに、なぜ望まれるのか。

画像の説明

■自由な議論大切
 甲子園で春夏7度の優勝を誇る古豪・松山商業高校野球部の監督を務めた白石勇二・松山市議(52)が政界に飛び込んだのは2014年。定数43を60人で争い、無所属で当選した後、最大会派の自民党に加わった。ところが……。
 「政策でも何でもトップダウン。『若手議員やから言うことを聞け』やないよと。それじゃあ地域の声も反映できんと思った」2年目に会派を飛び出した。党籍は自民のままで、昨年の市議選は党公認で立候補。4年前より1,600票余りを積み上げ、11人の自民候補のうち最多得票で再選を果たした。市議会での経験に国会議員の姿勢を重ね、中選挙区制の復活を望む。
 「議員は上を向いてやるんやなしに、地域を向いてせないかん。意見を闊達(かったつ)に言える下がもっとおってもええんじゃないか。中選挙区にすれば地域に寄り添った心が持て、目線も変わるはずだ」

 望ましい自民党のあり方については、「総裁がリーダーシップを発揮し、一致団結する」(46%)より、「複数の強いリーダーがいて、意見の多様性がある」(53%)が上回った。この層では、71%が中選挙区制を支持した。中選挙区制を望んだ別の市議は、自由記述欄に「現在のような制度では党本部に逆らえない。総裁や幹事長の顔色を見ながらでは、意見も出ない。自由闊達に物を言える組織にしなければ」とつづった。(以下略)

 (世論構造研究会代表・『オルタ広場』編集委員)

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