【社会運動】

原発は破綻した技術である
過酷事故の理由と廃炉の道筋を技術的に問う

後藤 政志

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 東京電力福島第一原発の廃炉、高レベル放射性廃棄物の最終処分、
 北朝鮮のミサイル問題など、原発に関する心配が尽きない。
 山積している課題に政府や東電は今後の計画を示しているが、
 果たしてその通りに進められるのだろうか。
 そもそもこれらの課題は本当に解決できるのだろうか。
 原子力プラントの技術者であり、『「原発をつくった」から言えること』著者の
 後藤政志さんに話を聞いた。
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◆◆ 原発は性質上、事故を防ぐことができない

──東京電力福島第一原発事故で、原発の恐ろしさを痛感しましたが、私たちはこの事故から何を学ぶべきでしょうか。

 私は1989年から東芝で放射能を閉じ込める格納容器の設計を担当していました。福島第一原発事故の時には既に退職していたのですが、自分がかかわってきた責任を感じ、技術の分野から発言を始めました。私が一貫して訴えているのは、「福島第一原発の事故を通じて原発とは何なのかを理解して欲しい」ということです。

 原発はなぜ事故を起こすのか、なぜ事故の収束ができないか。それは原子力の特性そのものに問題があるのです。地震や津波は事故のきっかけに過ぎません。地震や津波がなくても、スリーマイル島原発では給水ポンプの故障から始まり、メルトダウン(炉心溶融)して、福島第一原発事故と同じことが起きました。技術的にさまざまな対策をすべきではないかという議論が多いのですが、原発はそういうレベルの話ではありません。うまくいかなかった装置を改良すれば原発は安全になるのかというと、そんなことはありません。なぜなら、一旦事故が起これば、高温、高圧になり、放射能が放出され、止められなくなるからです。

 複雑なシステムなので、新しい装置がうまく動くかは賭けに近くなります。特にメルトダウンするとどうなるかは、実際に試すことなどできません。そもそも福島第一原発事故以前から幾重にも講じられていた対策が突破されているのに、新たな対策が突破されないと言えるでしょうか。
 炉心溶融を起こすと、原子炉建屋内では水素爆発や格納容器の圧力・温度が上昇します。その後、原子炉容器から高温の溶融物が噴出して格納容器を直撃する格納容器雰囲気直接加熱や、溶融物と水との接触による水蒸気爆発、溶融した炉心とコンクリートが反応して大量のガスを発生させるコアコンクリート反応など、極めて厳しい爆発的な現象が続きます(図参照)。津波や地震であろうが、人のミスであろうが、対策を講じても原発の性質上、結局は事故を防げません。

 ですから「原発は危険であり、やめるべきだ」というのが私の結論です。私は技術者なので、理屈を通じて危険性を伝えるのが私の役割だと思っています。

画像の説明

──それでは新しい基準に適合していても、原発事故が起こる可能性があるのでしょうか。

 その可能性は拭えません。一番の問題は、そもそも原子力規制委員会の目的が、基本的に申請があった原発を再稼働させることにある点です。だから「これとこの対策をすれば新基準に合格」という判定をしますが、規制委員会は「安全だとは言いません」と記者会見で話しています。あのような大事故が起きたのだから、原因が完全に解明されるまで動かすべきではないと思うのですが、あたかも福島の検証や対策が終わったかのごとく、なし崩し的に再稼働が進んでしまっています。
 例えば、福島第一原発の事故では、格納容器の圧力がどんどん上がっていったので、圧力を抑制するシステムが働かなかったと考えられます。しかし、記録を見ても、それはまだ詳細には検証されていません。電源も関係しますが、格納容器の冷却が物理的にうまく作動していたかどうかもはっきりしていません。そういう検証もしないまま、もしもの時のために「福島でうまくいかなかったシステム」と同じものを追加しています。

 再稼働するならば、予備装置も必要ですが、原発の安全性を高めるには、なぜそのシステムが働かなかったかの検証が大切なのは言うまでもありません。また新基準ではベントという通気孔[注1]にフィルターをつけるので、福島と同じような事態になっても、外部放出される放射能は福島の100分の1、1000分の1になると言っていますが、そんな簡単にはいきません。フィルターは放射能を除去する装置ですが、水フィルターの場合は水の量を制御し、大量に出る水素も処理する必要があります。金属フィルターは、詰まったら役に立ちません。しかも、フィルターが機能するのは格納容器本体が守られていることが前提で、正常に機能するかどうかの保証があるわけではありません。

 格納容器には配管が通っていて、その両側にバルブがついているシンプルな仕組みです。事故が起こるとすべてのバルブが閉まるので、「放射能を閉じ込める最後の砦」と言われていました。新基準ではそこに別の配管を引いて、バルブを外につけるという大きなシステムを付け足しました。しかしこの新しい予備システムは、うまく機能しなければ、放射能が漏れてしまう装置なので、格納容器の外につけるのは原理的におかしいのです。本来、格納容器の中に設置するべきなのですが、そのためには格納容器をつくりなおすことになり、多額の予算が必要なので外に付け足したのです。

 また、一つの要因でいろいろな装置が一度にダメになることも考えられます。地震や津波がその典型です。大きな津波が来て、多数の装置が一度に水没し、同時に機能しなくなることがあります。同じタイプの機械を二つおいておけば、普通は同時に壊れることはないのですが、例えば、最近の神戸製鋼の製品データの改ざん問題のように、そもそも材料に欠陥があることも考えられます。それに気づかず機械に欠陥部品が組み込まれていた場合、予備も使えないという事態が起こり得るのです。あらかじめわかっていれば対策ができるのですが、事故になって初めて発覚することもありえます。元原子炉技術者だった田中三彦さんの「原発は事故を起こすまでは安全」という言葉は、原発の事故の性質をうまく表現していると思います。

[注1]ベントとは、原子炉格納容器内の圧力が高くなり、冷却のための注水ができなくなったり格納容器が破損するのを防ぐため、格納容器内の空気を外部に排出させて圧力を下げる緊急装置のこと。

◆◆ 原発は人の犠牲の上に成り立っている

──スリーマイル島原発事故の後、市民科学者の高木仁三郎さんが、「原発は他の科学技術と全然違って、1回失敗したら次がない。だから試行錯誤や実験、事故を教訓に発展するというものではない。そういう意味で、全国でやるべきではない」と言っていました。

 全く高木さんの言う通りだと思いますね。飛行機も何度も墜落して、現在の安全性を得ています。原発も事故や失敗を何百回もやれば、ある程度安全性が向上できるでしょう。しかし、その前に人類が住めるところがなくなってしまいます。つまり、原発は科学技術の体をなしていません。原発は何重もの冷却システムを組み合わせて安全を確保するのですが、そもそも長期間にわたって確実に冷却する仕組みなど簡単にできないので、限界があります。一旦、燃料が溶け始めると、温度が3000度近くに上昇しますから、冷やし続けなければ、すべてのものを溶かしてしまうほどになります。そうなると溶けた燃料と水が接触して爆発したり、水素が発生して爆発したりして、コンクリートを溶かすとものすごいガスが出て来ます(前出の図参照)。そして、放射能が漏れてしまうと人間は近寄れません。放射能の量は原水爆の何百倍あるいは何千倍にもなるため、放射能汚染の観点からみると原発が一基あることのほうがはるかに危険なわけです。

 例えば通常の火災なら、まず初期消火をします。それでダメなら、スプリンクラーなどが作動します。それでもダメなら消防車が来て消火にあたりますが、燃え広がって、逃げ遅れて亡くなる人が出ることもあります。ここまでは原発と一緒ですが、火災の場合は、ある一定の規模になると、ガスが出たり、建物が崩れる危険があるので、その時は消防隊も逃げて、周辺の防火に専念し、燃え尽きるのを待つことになります。鉄道は故障したら、自動的に止まるように設計されています。ところが原発の冷却装置が故障した場合、自動的に核分裂反応が止まるとは限りませんし、みんなが逃げてしまうと、原子炉だけではなく、使用済み燃料も冷却できなくなり大惨事になります。福島第一原発事故では最悪の場合、関東圏で数千万人規模の避難が必要だと試算されていました。

 もう一つ、福島第一原発事故で明らかになったのは、「原発は人の犠牲の上に成り立っている」ということです。作業員が事故収束作業で大量に被ばくしています。作業員も本来は逃げるべきですが、出てくる放射能に対して、誰かが命を賭して立ち向かわなければならない事態なのです。チェルノブイリ原発の時は、水蒸気爆発を防ぐために、ダイバーが決死の覚悟で原子炉の下にあるプールに潜って水を抜きました。そうした犠牲を払っても制御できないかもしれないのが原発です。だから、新たな装置をつけたことで規制委員会が合格を出しても、それが機能しなければ、また事故が起こります。
 例えば制御室が使えなくなって、新しく設置したもう一つの制御室で作業をするとします。放射能が外から入らないような空気調節機がついているのですが、それが数日で壊れてしまったらどうなるでしょうか。作業員は「被ばく覚悟で、ここで頑張るか、それとも逃げた方がいいのか」という選択を迫られるわけです。福島第一原発の吉田昌郎元所長は、ずっとそのような状態で「何回も死んだと思った」とコメントしていました。私も彼らの努力は認めますが、彼らを英雄視すべきではないと思っています。犠牲を讃えるのではなく、「犠牲が必要な原発には、構造的な問題がある」ということに目を向けなければなりません。そこを認識しなければ、さらなる犠牲者を生み出してしまいかねません。

◆◆ 石棺の可能性も残しておくべき

──福島第一原発の廃炉は、東電と政府の計画通り30~40年で本当に終わるのでしょうか。

 廃炉の状況は、ある一定のところまで進みましたが、燃料デブリ(溶け落ちた核燃料)の取り出しからは、はっきり言ってあまり進んでいません。ロボットを投入して調査をしていますが、内部は障害物や穴、あるいは高い放射線量でロボットが動けなくなることもあります。そのため、少しずつ進みながら状況を把握して、その環境に応じたロボットを設計することを繰り返して、作業を進めています。最近になってようやく溶融物の一部が見えてきた段階なので、現状を把握するだけでもう数年かかります。つまり、作業を進めようにも、どこに何がどのくらい、どのような状態であるかを調べている段階です。
 当初、東京電力は17年の夏までには燃料取り出しの計画を立てると言っていましたが、それは不可能だということがわかりました。スリーマイル島原発事故のように、圧力容器の中に燃料があればまだいいのですが、福島第一原発はその外に出てしまっているので、はるかに難しくなります。通常の廃炉ならば、運転を終えた健全なプラントから燃料を取り出して解体していくと、30年でできるという工程を組めます。しかし、福島第一原発は事故炉ですから、廃炉より前に、事故の収束をしなければならない状態が続いているのです。ある意味ではまだ廃炉のスタート地点にも立てていない状況です。

 廃炉作業に入ったとしても、気をつけなければならないのは、高濃度に汚染されたものを切り刻んでいくので、人を被ばくさせる作業だという点です。この作業期間を早めれば早めるほど、被ばく量が多くなります。そのため、私も委員を務めている原子力市民委員会[注2]では「焦る必要はない、100年かければいい」という意見も出てきています。チェルノブイリ原発では事故炉を「石棺」と呼ばれるコンクリートの建造物に覆って閉じ込めていますので、福島第一原発の溶融物取り出しは世界初の未知な取り組みになります。日本でも石棺にするという案がありましたが、現地の方が強く反発したため、石棺案を撤回しました。しかし溶融物を無理やり取り出すことはあまりにも危険なので、石棺という選択肢も残しておかなければなりません。

──石棺にすると、どんなメリットがあるのでしょうか。

 いまは、建物の中に水を循環させて溶融物を冷却しています。水には遮蔽効果があるので、周辺の線量が下がりますが、大量の汚染水が生まれます。これを空冷にすれば、汚染水も出ませんし、管理も楽になります。そもそも汚染水の対策は困難が伴います。とても強い放射能を含んだ汚染水を濾して、環境下に出ないようにタンクに入れて保管しています。近くに流れている地下水に汚染水が流れ込まないように、汚染水の水位を地下水の水位より低く保つことにしています。ところが、東電は最近になって「装置がうまく働かず、汚染水が地下水に流れ込んでいた時もあった」と言い始めました。環境下に相当量の放射能が漏れている可能性も考えられます。

 このようなミスを防ぐため、人間が何もしなくても、「冷却」と「閉じ込め」機能を果たせるシステムにするべきです。そこで私は無理に溶融物を取り出さず石棺にして空冷にするのが、一番いいのではないかと思っています。空冷にした場合、チェルノブイリ原発は建物全体が汚染されていましたが、福島第一原発の場合は石棺にするべき箇所が多少限定されているので、石棺の規模は小さくて済むものと思います。石棺にしてある程度、線量が下がるまで放置しておき、それから徐々に作業を進めていけば、作業員の被ばくも少なくて済みます。「安全のためになるべく早く廃炉にする」というのもわかりますが、作業員の被ばく量をできるだけ減らすよう配慮する必要があります。まずは「安全性」、次に「被ばく量の低減」、そして最後に「経済性」という順番で計画を立て直すべきだと思います。

[注2] 原子力市民委員会とは、脱原発社会建設のための具体的な道筋について、市民の公共利益の観点に立って、原子力政策の企画・審議・提言を行う専門組織。2013年4月設立。 http://www.ccnejapan.com/

◆◆ 不必要・高い・不安定・危険な原発

──「絶対安全」と言われていた原発で事故がありました。原発事故が起きるリスクをどうとらえたら良いのでしょうか。

 原発の安全性について語る時、飛行機が墜落する確率と比較されることがありますが、それは成り立ちません。「飛行機は落ちるのが嫌だから乗らない」という選択ができますが、原発事故の被害は強制されます。原発という電気を作り出すための装置が、ある確率である規模の事故を起こすとわかった時に、それを「全員」が受け入れられるならいいかもしれません。しかし、受け入れられない人がいるのに、多数決で原発を推し進めてはなりません。被害を受ける人たちが、自分が受け入れられないリスクがあることを他人に強制されていいはずはありません。飛行機に即して言えば、「怖いから嫌だ」という人を「安全だから」と言って他人が無理やり乗せてはいけないのと同じ理屈です。
 2004年に六本木で回転ドアに子どもが挟まれて亡くなる事故がありました。回転ドアにはセンサーがついているので、自動的に止まるから安全だとされていましたが、センサーで検出できなかったり、検出しても動いてしまったり、そもそも安全に対する考え方が欠けていました。故障は滅多にないとしても、万が一それが故障して子どもが挟まれたら死んでしまうという認識がないといけません。人を殺してしまう可能性のあることに、確率が小さいとか、センサーをつければOKということは言えません。しかも原発事故の被害は飛行機など他の技術とは比べものにならない程大きいのです。

 原子力規制委員会は、「物事にはリスクがあり、絶対に安全はありません。だからいろいろと世界一安全な基準を作るからいいですよね」と言っているわけです。つまりそれでうまくいくという保証がない基準を作って、「努力をしてより良いものを作る姿勢に意味がある。これをもって安全だとしましょう」という押しつけです。仮に交通機関で事故があったとします。その事故を受けて「対策を打って日々努力していくから、事故の原因の解明や、対策の有効性は保証できませんが、安全と考えていきましょう」という考え方です。これはあまりに暴論で、本当の安全性とは相容れない話だと思います。

──原発は本当に、今後も必要なのでしょうか。

 電気は必要ですが、原発の必要性はなくなってきています。日本の電力は原発を動かさなくても供給できますし、コストも安いとは言えない状態になっています。ウェスティングハウスという東芝の子会社も潰れ、アレバというフランスの原子力複合企業も倒産してフランス政府が買い取るなど、原発を扱う民間企業でまともに経営できているところはありません。国策としてやるだけの必然性があるかという議論が必要です。コストは他の電力や、再生可能エネルギーに負けつつあります。
 原発の特徴は電力の安定供給ができることだと言われていますが、それは正しくありません。実際に福島第一原発の事故で、原発は突然、使えなくなりました。他の原発についても大きな地震が来ると、壊れていないかチェックするために、そのエリア一帯で運転を止めなければなりません。新潟県の柏崎刈羽原発は中越沖地震以降ずっと止まったままの状態です。原発の場合は一基の発電量が大きいので、止まると大きな影響を及ぼします。一方、風力や太陽光などは、組み合わせることによって、ある程度、安定的に供給できますし、風力などは一つ壊れても、供給にそれほど大きな影響はありません。
 つまり原子力に頼ることは、電力の安定供給にはつながりません。しかも事故の保証もできていません。原発は用地ごとに千二百億円と、事故のためのお金をプールしていましたが、福島原発の事故では何十兆円という損害が出て、これで収まるはずはありません。その財源は国民の電気料金と税金です。国民が、本当に原発を使い続けるべきなのかを本気で考えるべき時だと思っています。

◆◆ 進む避難解除と、迷走する放射性廃棄物の処分場

──政府の方針で、福島では避難区域が徐々に縮小され、子どもの帰還も進んでいます。飯舘村では18年4月に「小中一貫校」を開園予定ですが、このまま避難区域の解除が進んでも大丈夫なのでしょうか。

 「自分たちの土地で生活したい」「様子を見ながら戻りたい」という気持ちはわかりますが、その気持ちと放射能のリスクの両方を考えなければなりません。特に、政治家などのまとめ役の人たちが、これらについて議論をして、なるべく被ばくを最小にする方法を考えるべきです。ましてや、子どもにそのようなリスクを負わせることは避けるべきです。
 放射性物質は一旦、環境に出てしまうとどうしようもありません。いまは、少し時間が経って、除染などの甲斐もあり、事故直後よりは減ってきているのは事実です。しかし本来はきちんと基準に沿って対策を取ることが必要ですが、それをせずに基準を変えて「まぁ、これくらいはいいことにしましょう」という決定をしています。
 極論を言うと、一部の人にはすごく辛い言葉ですが、政府は放射能汚染があったエリアを安全が確認できるまで、基本的に立ち入れない状態にして、その間は国が面倒をみるべきです。「安全」と称して、放射線が高い場所に住まわせて、病気になったら責任は誰が取るのでしょうか。過去に水俣で公害の被害があれだけ広がりましたが、福島もその二の舞になってしまう危険性があります。

 「確率的にほとんどの人は心配ありません」と言われてますが、1,000人のうち1人、がんになる人が増えると予想されるなら、「自分がその当事者になるかもしれない」という感覚で議論しなければなりません。今回の一方的に決められた政府の基準は科学的にも、安全性においても間違っています。政府は原発事故の時もそうでしたが、危険性や情報をきちんと共有せずに、パニックや批判を避けるために隠蔽しようという体質があるので、原子力安全審査の報告書も黒塗りのまま、政府の言う「安全」だけが喧伝されています。ですから、さまざまな方向性を検討したり合意形成する時には、議論する社会的な枠組みを作り、特に「私は怖いから嫌だ」という人の意見を入れて判断することが重要です。

──経済産業省は17年7月に「放射性廃棄物の処分地の科学的有望地」(発表時には「科学的特性マップ」と名称変更した)を発表し、今後、議論が進んでいくと思いますが、どんな点に注意すべきでしょうか。

 高レベル放射性廃棄物は、日本学術会議の中で、どのように処理すべきかと検討されましたが、最終的に「日本は地震国で、科学的には無理だろう」という結論を出して一旦閉じています。そうは言っても、政府は候補地を出さざるを得ませんので、科学的有望地を公開しましたが、地元が受け入れるかどうかは別問題です。地元の人がリスクについてきちんと考えられるような情報を得て、どうするべきか議論するという手続きを踏むことが必要だと思います。地震の多い国で、原発を立てるのも難しいのに、高濃度の使用済み核燃料を埋めるのに適した場所を探すのは困難を極めるでしょう。さらに誰も自分の近くに置きたくないですから、拒絶反応もあるでしょう。そういう絶望的な状態だと認識した上で、議論を進めていかなければなりません。

 福島第一原発の事故炉や、廃棄物の処理について話をしていると、立場の違いなどから、必ず意見が割れていきます。そのような話し合いでは常に「いままで原発に頼っていたことが問題だった」という前提に立ち返るべきです。その上で、矛盾の一番少ないところに解決策を見出していくことが求められます。

◆◆ 原発を差し置いては、国防は語れない

──もし原発にミサイルが撃ち込まれたら原発はどうなるのでしょうか。

 あるテレビ番組では、元自衛隊員のコメンテーターが「ミサイルが原発に向かって飛んできても心配ない」という趣旨の発言をしていました。原発に命中させるのは難しいというのならその通りかもしれませんが、「原発は頑丈に作ってあるので当たっても大丈夫」という発言を堂々としていて、唖然としました。

 格納容器は鉄板でできていて、その外側に厚さ1メートル程度のコンクリートの遮蔽壁があります。ミサイルや飛行機が命中したり、対戦車砲を撃ち込まれたりすると、遮蔽壁と格納容器に穴が空いてしまいます。この時、原子炉に異常がなければ、放射能は外に出ないのですが、その衝撃でいろいろなものが飛び散って、火災が起きたり、配管やその他の冷却機能がやられてしまうことが考えられます。原子炉や使用済み燃料プールの冷却もできなくなり、メルトダウンが始まると、穴の空いた格納容器から膨大な量の放射能が環境に放出されます。
 「ミサイルなど想定外の事態が起きたときには、原発を動かしていようと、止まっていようと一緒だ」と言う人もいますが、それは違います。稼働中は圧力も温度も高い状態なので、配管が壊れると冷却が難しくなり、過酷事故につながるリスクは桁違いに違ってきます。しかもその事故の行き着く先は、福島第一原発のレベルに収まりません。
 福島第一原発の場合は、温度と圧力が高くなって放射能が漏れましたが、それでも格納容器は形を保っていて、あるところで収まりました。もし格納容器に穴が開いた状態で、溶けた燃料をずっと水で冷やすと、放射能が蒸気として外に出てきますので、長期にわたって放射能が出続けることになります。そのように考えると「福島原発事故と同じような事故が起きたとしても、フィルターが付いているので放射能の量は100分の1になる」というのは想定の話に過ぎず、新たな安全神話を再構築しているようなものです。

 政府が本気でミサイル対策をするつもりがあるのなら、Jアラートで地下鉄を止めるとか、避難訓練をするとかではなく、真っ先に原発を止めるべきです。また「避難計画は30キロ圏内でいい」というのもあり得ません。それはまるで「交通事故で一人亡くなりましたが、二人以上亡くなることはありません」というような話です。一般の人がそういうことを知らないのは仕方がありませんが、少なくとも政策を考える人が、原発の危険性を差し置いて、防衛を語るなんてナンセンスだと思いますね。本当に最悪の時には、国が崩壊するレベルの過酷事故になりますから。
 (構成・大芝健太郎)

<プロフィール>
後藤 政志 Masashi GOTO
工学博士
1989年から十数年間、東芝で柏崎刈羽原発6号機、浜岡原発3、4号機、女川原発3号機の原子炉格納容器の設計に携わる。2009年東芝退職。共著に『原発事故はなぜ起きたか』(藤原書店、2011)、『原発を終わらせる』(岩波新書、2011)など。複数の大学で非常勤講師を務める。

※この記事は著者の許諾を得て季刊『社会運動』429号(2018年1月)から転載したものですが文責はオルタ編集部にあります。

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