【オルタの視点】

北海道と福岡の選挙結果から市民と野党統一選挙を考える

仲井 富


◆◆ 野党と市民の共闘で候補者全員が当選した立憲の北海道

 昨年の参議院選、そして新潟県知事選、今年の総選挙と三つの選挙は野党共闘の在り方をめぐって大きな課題をつきつけた選挙だった。今回は北海道と福岡の東西の拠点選挙区における結果を見てみたい。北海道ブロックは、昨年7月の参議院選挙で3名区中2名が当選した。そして今回総選挙では12の小選挙区すべてで立憲、共産、社民などの野党共闘が成立した。結果は衆院選で小選挙区と比例代表道ブロック(定数8)の計20議席のうち、自民党9、立憲民主党8(同党に所属し公認を受けなかった1人を含む)、公明党2、希望1の結果だった。自民党は公明党との選挙協力で独自候補を立てなかった10区以外の選挙区で候補を擁立した。

 立憲民主党は、道内の全小選挙区で共産党と候補者を一本化した。前職は3区の荒井聡、6区の佐々木隆博、8区の逢坂誠二(無所属で出馬)の3氏が勝利。新人は1区の道下大樹、11区の石川香織の両氏が当選した。比例で3人が当選した結果、立憲は出馬した8人全員が当選を果たした。小選挙区で4人が出馬した希望の党は、比例で山岡達丸氏が復活当選した。自民は小選挙区6名、比例区3名で計9名当選。公明は小選挙区1名、比例区1名の計2名当選。希望は比例区1名の当選。他に無所属1名が当選した。(北海道新聞2017・10・24)

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◆◆ 野党共闘なき福岡県の結果 選挙区11区で三度ゼロ議席

 九州ブロックの福岡県はどうか。昨年の参院選では3名の定員中、当時の民進が当選1名、自民が当選1名、公明1名の結果だった。今回の総選挙では、自公が組んだ選挙に対して野党3党、立憲、共産、希望3党が争い、11の選挙区で自民全員が当選した。過去2回の総選挙と同様、野党の議席奪取はならなかった。参議院選挙はもとより、今回の総選挙でも野党共闘を追究する動きはなかった。その結果が自民の圧勝である。西日本新聞の記者座談会「自民党が12議席を独占し、民進出身は天国と地獄―労組も政党支持割れる」によれば、民進党から出馬予定だった8人のうち3人が希望公認からはじかれた。

 混乱の極みは、福岡3区の元職が「排除」された直後、この元職の選対幹部を務める県議が希望公認で3区からの出馬を表明した。民進の前原代表が松下政経塾の後輩である県議を一本釣りしたものだ。結局は出馬は断念したが、ここでも前原氏の政治的手法の誤りが、自民完勝を招いたといえる。結果的に小選挙区全敗、僅かに比例復活で、稲富修二(希望)、山内康一(立憲)、城井崇(希望)、田村貴昭(共産)の4名が当選を果たした。

 野党統一候補がもし実現していたら11選挙区中5選挙区で勝利したという分析を西日本新聞が示している。これによると、「候補一本化ならば5選挙区で逆転」と云う図表を示している(西日本新聞2017・10・24)。以下の図表によれば、全国の「必勝区」に位置付けられた福岡9区と福岡10区では、共産の得票14.8%を加えると、希望の候補者と合計して54.3%対45.7%、と圧勝である、また10区では共産の15.5%を加えると55.8%対44.2%とこれまた圧勝だ。

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 これはすでに昨年12月の、日本経済新聞の「野党一本化で次の総選挙60議席逆転」の予測にも示されている。こういう予測を無視し続け、前原、小池の民進解体、希望合流という、野党共闘潰しに民進党執行部や連合がはまってしまった。九州ブロックで唯一、小選挙区3勝1敗の沖縄県の保守勢力と組んだオール沖縄の爪の垢でもなめたらどうだろうか。大阪を含めた近畿、中国、四国、九州ブロックなど西日本には希望の党に参加した人たちが多いが、そこに「希望」は見えてこない。

◆◆ 北海道の野党共闘前史 北海道5区の野党統一候補の成功

 昨年の参院選での複数区における最大の勝利は北海道の2人当選だった。北海道はこれまでは2人区で自民と民主がそれぞれ議席を分け合って来たが、2016年から定員3人区となった。当初は3人区2名の候補者は無理だとの見方もあったが、農政通の鉢呂吉雄の出馬決断が功を奏した。結果は自民現職長谷川が1位で約65万票、2位民進徳永が約60万票、鉢呂約49万票で次点の自民新人柿木が約48万票と約1万票という僅差の勝利だった。

 しかも自民の候補者2人の得票は計約113万票で民進党2人の得票計約109万票より4万票多かった。比例区票で比較しても、自民の2候補を支持した自公の合計約117万票。民進の比例区票77万票をはるかに上回る。自公の推す候補者が圧倒的に勝利するはずだが自民敗北となった。鉢呂当選を勝ち取った決め手はどこにあったのか。分析すると複数の要因が重なって8,644票差の鉢呂当選につながったことがわかる。

 第一の要因は参院選挙の3月前の北海道5区補欠選挙だった。敗れたとはいえ自公新党大地の推す自民党候補者は、町村後継の弔い合戦だったにもかかわらず大接戦となった。「北海道5区自民勝利 京都3区は民進」の結果だったが、産経新聞などは一面の見出しで「首相、無党派つかめず危機感」2面では「無党派票73%野党へ」と言う大見出しで、記事の内容は「北海道5区では無党派の73%、京都3区では72.6%が野党候補に投票した」と書いた。無党派層の73%が無所属統一候補の池田に流れた。自民党の町村後継の和田が勝ったのは千歳市と恵庭市の自衛隊票と人口の少ない当別町・新篠津村の4地区。都市部の4市では池田が勝った。

 第二の要因は参院選における共産党支持者の良識だ。朝日新聞の出口調査によれば、独自候補を立てた共産党支持者の約17%、約4万8千票が主として札幌市を中心に民進候補に流れたと分析されている。独自候補を推していながら、共産党支持者が民進候補への投票行動を取ったのは、北海道5区における野党統一候補の善戦を背景としている。

 第三の要因は社民、生活、国民の怒りなど小政党の支持者の存在だ。社民の比例区票は約4万2千票で(1.75%)、生活の党約4万4千票(1.75%)国民の怒り約2万2千票(0.88%)だった。保守リベラルの本来ならば自民支持者が安倍政権批判に結集したのが「国民怒りの声」だ。鉢呂の8,644票という僅差の勝利の要因は、小政党を含めた諸々の「違憲の安保法破棄と農業破壊のTPP拒否」という明確な争点が生んだ。このうちどれ一つが欠けても3名区2名の勝利はなかった。その勝利が今回の共産党との全面的な協力による野党と市民の共闘を成功させたといえる。小政党、市民の小グループといえども軽視しない。その積み重ねこそが僅差の勝利をもたらすのだ。

◆◆ 福岡はなぜこうなったか 戦後政治における最大の転換点 村山連立政権

 福岡県は、かつての社会党時代は、戦前からの解放運動の指導者松本治一郎の下、社会党最左翼の平和同志会系の強い党だった。村山自社さ政権の、安保自衛隊容認、君が代日の丸賛成を決めた党大会で最後まで反対した勢力でもあった。その流れを引き継ぐ民主、民進党の惨状はどこに原因があるのか。
 根本的な検討が必要だろうが、いまの福岡の旧民主党、連合のなかにそういうことを追究する能力が欠落しているとしか言いようがない。私は、戦後の社会党生成から没落、そして自社さ政権の結果としての戦後社会党の終焉、民主党政権の圧勝から、ことごとくマニフェストを裏切って以後、2012年総選挙、2013年参院選、2014年総選挙、2017年参院選と連敗に次ぐ連敗をみて来た。

 最大の問題はなにか、一言で言えば結党以来有権者に約束したことを、有権者不在、党員不在で勝手に変更するやり方が、支持者への裏切りとして、もう二度と社会党はもとより、民主党政権もイヤだという有権者の合意をつくってしまった。自社さ政権(1984年)と民主党政権(2009年)に共通しているのは、支持者や党員への説明と合意なしに党の基本方針やマニフェストの転換を図ったことだ。いわば投票した支持者への裏切り行為だ。

 ドイツ社会民主党はゴーデスブルグ大会で党大会の議論を積み重ねた末、1959年にバート・ゴーデスブルグ綱領を採択してマルクス主義と絶縁し、中道左派の国民政党へと転換した。日本の社会党は、突如として国対レベルの合意で自民との連立に合意し、従来の非武装護憲の社会党の方針を「安保自衛隊容認 日の丸君が代賛成」に転換して村山首相以下連立政権に参加した。戦後の社会党の路線を全面的に否定したものだ。しかも党大会は政権発足2カ月後にこの方針を承認した。次の選挙で大敗北を喫し戦後社会党は終焉した。

 民主党政権も同じ轍を踏んだ。国民に約束したマニフェストを次々裏切って、消費税を4年間上げないとの約束を、自公に抱き着いて値上げした。原発2030年代ゼロと言いながら大間原発など3原発の工事再開で、2050年代までの原発稼働を認めた。議員定員80名削減、辺野古基地の海外県外移転など重要政策を反故にした。少なくとも党大会で議論し、総選挙で方針転換を問うべきだった。

◆ドイツ社民に学べ 支持者への手続きを無視した社民党 中曽根元総理

 中曽根元首相は次のように述べている。
 「ドイツの場合はゴーデスベルクで党大会を開いて、新しい綱領を正式に決定して、国民に公表した。その結果、大連立にまで入っていってキリスト教民主同盟・社会同盟(CDU・CSU)と政権を担った。それが、次にプラントが政権をとるもとにもなってきている。そういう手続きが大事なんです。
 社会党の場合には、そういう手続きをしないで、突如として政権を取って、国民に無断で、勝手に大事な憲法問題や安保問題の考えを変えてしまった。その怒りがこの間の選挙に出てきて、社会党は酷い目に遭った。民主主義というものは手続きなんです。国民との契約を手続的にうまく誠実に実行していくか、という問題だろうと思うんですよ。その点で大失敗をした」(『対論 改憲・護憲』宮沢喜一・中曽根康弘 1997年刊/朝日新聞社)。

 民主党も同じく、党大会も有権者の意見を聞くことなく、すべてのマニフェストを平然と投げ捨てた。民進党も同様だ。党内の意見や討議など全く無視して、議員総会だけで党の解体と希望合流を決めた。いずれも中曽根流に言えば「民主主義というのは手続きなんです」を全く無視したやり方が有権者の批判を浴びた。その根本的な反省なくしては政権政党など千里の彼方というべきだろう。

 (世論構造分析研究会 代表)

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