【海峡両岸論】

北朝鮮の「後ろ盾」強める中国
~中朝国境の鴨緑江ルポ

岡田 充


 「ジージー」というセミが鳴く林を通って坂を下ると、突然視界が開けた。鉄線フェンスの先、2メートル程の幅の小川を挟んで広がる緑の森は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の新義州(写真)である。500メートルほど先のトウモロコシ畑に突き出した歩哨所があり、2人の人影が動くのが見えた。朝鮮人民軍の国境警備兵だろう。中国遼寧省丹東市(人口72万人)の北郊外の「虎山長城」。万里の長城の東端に位置し、国境を流れる鴨緑江をひとまたぎで渡れる至近距離にある。フェンス前には中国語で「一歩跨」と赤字で彫られた石碑。

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  「物品を朝鮮側に投げるのは厳禁」と赤字の注意書き

 川の流れが悪く川幅が20センチほどになったため、中朝両国が協議し浚渫して川幅を拡張、電流の走る鉄条網も新設された。中朝関係が極度に悪化した2015年のことである。

 酷暑続きの東京を後に8月末、中国と北朝鮮を分ける鴨緑江に行った。国境の街をルポしながら中朝関係の現状を報告する。

◆◆ 鴨緑江を列車で渡る

 丹東に来たのは二度目である。最初は、30年以上も前の1985年7月。東京から平壌に出張し、南北の離散家族再会問題を話し合う「第1回南北国会予備会談」を取材した帰途、北京行きの国際列車で丹東を通過したのだった。
 平壌を夜出発した国際列車は、翌日早朝、国境の新義州に到着した。新義州を出発するといよいよ国境越え。列車はゆっくりと鴨緑江の鉄橋にさしかかる。朝鮮戦争中の1950年11月、米軍のB29の爆撃で北朝鮮側が破壊され、橋脚だけが残った「鴨緑江断橋」(全長944メートル)が左側に見えた。列車のコンパートメントの窓からシャッターを何度か切った記憶がよみがえってきた。

 鴨緑江を渡った列車はやがて中国側の丹東に到着。線路幅が異なるためここで列車は台車を入れ替える。車内で通関検査を受けた乗客は列車からいったん降ろされ、入れ替えまで1時間ほど待たされた。プラットフォームの金網越しに、丹東駅前の風景をしばし眺めた。
 34年ぶりの今回の旅は、大連から高速鉄道で2時間かけて到着した丹東駅から始まった。駅前広場に立っていた巨大な毛沢東の銅像は今も健在だった。中国の鉄道駅コンコースに毛沢東像があるのは丹東駅だけ、と地元の人は言っていた。

◆◆ 日露戦争に勝利、朝鮮総督府が建設

 鴨緑江断橋[注1](写真)に戻る。橋の歴史は古い。1911年10月、朝鮮半島を植民地支配した朝鮮総督府鉄道局が建設・完成した。これに先立ち、1905年、日本は日露戦争に勝利しポーツマス条約などによって、「満州」での利権を手にした。具体的には ①遼東半島先端の関東州の租借権獲得 ②ロシアが権益を持つ東清鉄道の「長春―旅順・大連」間の鉄道経営 ③安東―奉天(瀋陽)間の鉄道経営権 ④鴨緑江流域での木材伐採権―だった。

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  中国側からみた鴨緑江断橋。左側に並行する橋は、鉄道や自動車が走る中朝友誼橋~百度百科より

 関東州の租借権を得た日本は、南満州鉄道(満鉄)を設立。満鉄は1931年の「満州事変(9・18)」を経て、翌32年の満州国誕生に至るまで、東北地方を日本が支配する役割を果たした。このあたりの事情は『図説 満鉄:「満洲」の巨人』[注2]に詳しい。
 ③の「安東」とは丹東(65年改称)である。日露戦争の勝利によって、鴨緑江大橋は日本にとって朝鮮半島と中国大陸をつなぐ陸上動脈となった。さらに37年日中戦争が始まると、軍事物資補給の需要が高まる。日本軍は43年、約100メートル上流に鉄道と自動車輸送用の第二大橋(上掲の写真、左側の橋)を完工した。鴨緑江は、森林で伐採した大量の木材を水上輸送する大動脈でもあった。丹東の鴨緑江下流沿岸に、上流から輸送された木材の貯木場跡が残っていた。

 第二次大戦が終わって5年後の1950年6月、朝鮮戦争が勃発した。中国は同10月、劣勢に置かれた北朝鮮を支援するため、計20万に上る人民志願軍を前線に投入した。後に国防相になる彭徳懐が司令員に任命され、この橋を渡って前線に向かった。中国側の発表では志願軍の戦死者は約17万人で、この中に毛沢東の長男毛岸英が含まれているのは、今も語り継がれている。断橋のスタート地点には、戦線に赴く彭徳懐と毛岸英ら志願君兵士の銅製レリーフが飾ってあった。

◆◆ 指導者訪中のウオッチ拠点

 断橋の中国側部分は観光用の遊歩道になり、遅い夏休みの家族連れ観光客でにぎわっていた。遊歩道を散策していると、平壌発北京行きの国際列車が友誼橋を渡り、丹東駅に到着するところに出くわした。1日に1本。
 金日成主席以来、北朝鮮の最高指導者は、専用列車で訪中する度にこの橋を通過してきた。日本や韓国などの北京駐在特派員はそのたびに、丹東に出張。専用列車の通過を確認するため、橋を一望できるホテル上階の部屋に陣取り、望遠レンズ付きのカメラを据えて一日中ウオッチするのだった。

 鴨緑江の下流にもう一本、国境をまたぐ車道のつり橋ができた。「中朝鴨緑江大橋」(写真)である。金正日時代に両国が建設で合意。約15億人民元(約227億円)をかけ建設を開始し14年に橋と中国側接続道路部分が完成した。しかし中朝関係の悪化によって、北朝鮮側の接続道路や税関施設の建設が進まず、供用されないまま今に至っている。

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  中朝鴨緑江大橋:全長3.3キロ、片側3車線

 習近平主席は19年6月、北朝鮮を初訪問した。金正恩・労働党委員長との会談で、橋開通に向けて北朝鮮側の接続道路や黄金坪・経済開発区(ファングムピョン=平安北道薪島郡)の整備費用約25億元(約390億円)の負担を約束したと報じられた[注3]。
 黄金坪・経済開発区は、橋のすぐそばの鴨緑江の中州である。中朝両国は2011年6月、ここを共同開発する工業地帯の着工式を行った。開発区は、2013年に「国家転覆陰謀行為」で死刑となった張成沢・元国防委員会副委員長(金正恩の叔父)の肝いりで進められたことから、開発中断は、北朝鮮の権力争いと中朝関係の悪化が主因だった。

 しかし金正恩が18年3月以来、頻繁に訪中し、中朝関係は大幅に改善する。丹東では経済交流が活発になるとの期待から投資ブームが起きたという。朝鮮中央通信は6月30日、金が黄金坪を視察したと伝えた。視察することによって、中朝関係改善を内外にアピールしたのだ。丹東ではこの報道が出た後、不動産価格が一気に上昇した。
 「中朝鴨緑江大橋」から平壌まで約220キロ、高速道路ができれば車で3時間だ。しかし、中朝指導者や地元の期待とは裏腹に、今度は制裁が開発推進のブレーキとして立ちはだかる。

◆◆ 制裁で中朝貿易半減

 その安保理制裁決議(17年9月)から丸2年。北朝鮮にとって中国は対外貿易の約9割を占める経済の命脈。丹東は最大の物流拠点として約7割が丹東経由で輸送される。中国側の通関統計(19年1月発表)によると、18年の中朝貿易総額は24億3,000万ドル(約2,571億円)と、前年比51.2%に半減した。主要輸出品の石炭、鉄鉱石、海産物、繊維製品などが制裁対象になったのが響いた。
 「断橋」を散策していた1時間弱の間、「中朝友誼橋」を通過したコンテナ車やトラックは、5分~10分に1台程とまばら。制裁の効果だろう。中国の朝鮮問題研究の第一人者の呂超・遼寧社会科学院研究員に、制裁下の北朝鮮経済について分析してもらった。

 彼は「経済状況は厳しく、『少しずつ回復している』との見方は正しくありません。制裁の影響下で工業、鉱山開発が進まず、石炭・鉄鋼石のほか石油禁輸で化学工業も苦境に置かれている。鉄道輸送の停滞や電力不足も拍車をかけています。ただ、電力は水力発電所の完成で回復しつつあり、軽工業は順調。農業は、化学肥料と農薬不足、それに農業関連施設の修復が遅れ、穀物生産は困難に直面している」と分析する。

 韓国中央銀行の推計(7月)によれば、18年の北朝鮮の国内総生産(GDP)成長率はマイナス4.1%。干ばつや水害で飢饉を招き、多くの犠牲者を出した1997年以降最悪の数字で、「100年来の自然災害で1,100万人に影響が出るとされる」との推計もある。経済状況が悪化し、90年代のような飢饉から餓死者が出れば、「脱北者」が増えかねない。中国にとっては決して他人ごとではない。
 8月末に平壌、元山、金剛山などを視察したという別の朝鮮問題研究者は「トウモロコシの生育には問題があるようです。水稲の成長には問題ない。表から見る限り、ウシ・ブタを自由に飼育する農家も多く、自由経済が進んでいる印象でした。デパートの商品不足もない」と分析していた。

 食糧危機について呂超は「90年代に起きたような餓死の発生は伝えられていない。当時は『政府にカネがあったが、民衆にはなかった』のに対し、現在は『政府にカネはないが民衆にはカネがある』という違いがあります。90年代の食糧危機の経験から、食糧の管理・割り当てシステムを整えた結果、食糧問題は深刻ではない」。

◆◆ 人道支援と観光

 制裁について中国の張軍・新国連大使[注4]は8月2日、「制裁緩和のため、適切な時期に行動を取るべき」と述べた。完全な非核化を待たず、早期に緩和し経済発展に戦略転換した北朝鮮を側面支援するのが、現在の中国の姿勢である。
 制裁緩和については呂超も、国連決議は順守するとしつつ「民生(人道)貿易の規模を拡大し、経済制裁に抵触しない経済協力を推進すべき」と述べた。習近平が6月末初訪朝した際も、制裁に矛盾しないスポーツ、教育、文化、観光など8分野での交流促進を約束している(写真)。

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  丹東の鴨緑江の中州「月亮島」。約700メートル先の北朝鮮対岸を眺める中国人観光客

 丹東で北朝鮮が経営する朝鮮レストランの一つに入った。鴨緑江でとれた川魚に鴨料理、締めは「平壌冷麺」。個室ではサービス係の北朝鮮従業員が、室内のカラオケで民謡や歌謡曲を歌い、時には踊りを披露してくれる。今年初め、北京の朝鮮レストランに行った際は、女性従業員は気軽にカメラに収まってくれた。ところが丹東のレストランでは、平壌出身という26歳の女性従業員は、写真撮影を頑なに拒み続けたのが印象的だった。

 制裁決議は19年12月までに、北朝鮮の海外労働者を全員送還するよう求めている。中国とロシアは3月末、国連安保理への報告で、両国内で働く北朝鮮労働者について、制裁決議に従って、人数を半減したと安保理に報告[注5]した。
 さらに中国政府は3月初旬、北朝鮮労働者を、6月末までに帰国させるよう雇用主の中国企業に求めたとの報道もあった。それだけに朝鮮労働者は神経質になっているのだろう。中国人は新義州での日帰り観光旅行が認められている。旅行費用は1人800人民元(約1万3,000円)。制裁によって外貨収入の道が絶たれた北朝鮮にとって、観光収入はバカにならない。

◆◆ 伝統的友好関係を回復

 制裁解除と中朝経済協力に期待する丹東の姿をみると、わずか2年前に中朝双方がお互いに非難し合っていたとげとげしい関係など、遠い昔話のようだ。中朝関係は、金正恩体制がスタートした2011年から悪化し続けてきた。特に金正恩の「後見人」で、中国との経済協力路線を主導してきた張成沢が13年に処刑されてからは、外交・経済ともに関係は悪化の一途をたどった。

 例えば、中国国際航空は08年から週3便を運航してきた北京-平壌航空便を17年4月17日から停止すると発表。同5月には朝鮮労働党機関紙「労働新聞」が「朝中親善がどれだけ大事でも命のような核と交換してまで乞う我々ではない」と、名指しで中国批判する論評を発表。これに対し、中国の人民日報系の「環球時報」も、核開発は中朝友好協力相互援助条約(中朝同盟)違反と批判した。
 17年夏には、米中軍事当事者間で「有事には米中が北朝鮮の核を共同管理下に置く」シミュレーションが話し合われたほど。中国は同年9月、北朝鮮に対する国連安全保障理事会の制裁決議に賛成した。制裁は事実上米中協調下で行われた。

 その後も丹東の「中朝友誼橋」の一時閉鎖や、中国5大銀行による北朝鮮企業との取引停止や、北朝鮮労働者や留学生の送還や、北朝鮮レストランの閉鎖など、関係悪化を裏付ける報道が相次いだ。
 関係修復が始まったのは、18年3月25日の金訪中からである。金は19年1月まで計4回訪中。習近平も19年6月に初訪朝を果たし「伝統的な友好関係を完全に回復した」。関係改善の過程について、呂超(写真)は次のように話す。

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  呂超・遼寧社会科学院研究員

 「去年の3月、冷淡な関係から緊密な関係へと電撃的に回復させました。中国は(経済発展に軸足を移した)新戦略を肯定し励ますべきです。(経済発展戦略は)一時的なものではなく、逆行を避けなければならず、同時に、非核化を奨励するわれわれの強い姿勢を示すべきです」。非核化と経済発展戦略を一体とみなし、これを支援するということだ。

◆◆ 非核化プロセスに全面関与へ

 非核化プロセスに関与する中国の立場について呂超は「中国は朝鮮半島の非核化と平和プロセスの推進者です。具体的な政策を挙げれば ①南北会談の推進 ②米朝会談推進 ③非核化と安全保障を中心問題とする中米韓朝の四者会談を実現して、停戦協定を平和協定に替えること」と説明した。
 中国のポジションを見る上で欠かせないのは、今年6月の習近平の初訪朝である。習は訪朝に先立ち、「労働新聞」への寄稿で「恒久的な安定実現のために遠大な計画を作成する用意がある」と書いた。ポイントは「遠大」という表現だ。それは、休戦協定の平和協定への転換をはじめ、米朝関係の正常化、非核化後の朝鮮半島の秩序構築を含む作業全般に、中国側が長期にわたり全面関与する意思を鮮明にしたことを意味する。
 呂は、中米朝関係に関して最後に興味深い分析を紹介してくれた。その話を紹介してこのルポを終える。少し長いが重要なポイントなのでお付き合いいただきたい。

◆◆ 中朝が事前協議していた板門店会談

 興味深い話とは、この6月30日、板門店の非武装地帯(DMZ)で行われた米朝首脳会談についてである。世界中のメディアが「電撃的に実現」したと報じたが、呂はこれより10日前、習近平が初訪朝(6月20、21日)した際、金正恩との間で「事前協議」されていた可能性が高いとの見方を明らかにしたのだ。
 呂は、「習主席は平壌訪問の直後に大阪のG20に参加した。大阪で米中首脳会談を行ったすぐ後、トランプはツイッターを通じ板門店で会いたいと書き、世界をびっくりさせた。だが、米朝間で(事前に)何らかのサインがなければ、板門店会談の実現は難しかったと思う。金がトランプに直ちに返事をしたのは興味深い。最初から(会談を)受け入れていたからではないか。(米朝会談実現に)習近平がしかるべき役割を果たしたと考えられる」と述べた。

 金は計4回訪中。このうち18年5月(大連)(写真)と19年1月の訪中(北京)は、シンガポールとハノイの米朝首脳会談直前のタイミングで行われ、米朝会談を前に様々なシナリオと対応策を入念にすり合わせた。

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  会談場になった大連郊外の捧棰島の石碑

 板門店第3回会談でも、中国が「後ろ盾」の役割を果たすため、直前に協議したとみるのは決して無理ではない。米朝会談が行われる可能性が高まったために、習氏が急きょ平壌訪問をセットしたとも考えられる。

◆◆ 「中国外し」の観測報道も

 板門店会談をめぐっては、さまざまな観測がとびかった。板門店でトランプ、文在寅、金正恩の3人が揃ってカメラに収まったため、中国を外した米朝韓3者による枠組みが固定化するとみて、「中国としては最も避けたいシナリオ」という分析記事もあった。
 板門店会談の政治的意義について、中国を外した「米朝韓」の3者枠組みが成立した、と読み解くのはあまりにもナイーブだ。文は米朝首脳会談に同席していたわけではない。「トランプと文在寅が連れだって金正恩に会った」のは、文が会談後のメディア撮影で「調停者」の姿をメディアに印象付けようとしたためだろう。「北京の最も避けたいシナリオ」だったとすれば、金は習のカオに泥を塗ったことになる。わずか10日前に会った習に、そんな仕打ちをするだろうか。

◆◆ 「ラブレター」交換がカギ

 そこで、板門店会談につながる6月初めからの米中朝3者の動向を、時系列で検証してみよう。物語はトランプと金の「ラブレター」の交換に始まる。東アジア情勢を大きく左右する米中朝関係を観察する上で重要なポイントだ。

 まず「ラブレター」。❶ 6月11日 トランプは米朝初会談(6月12日)を前に、金から10日「美しい手紙を受け取った」と述べ、トランプが返信したと明らかにした。トランプの返信がいつ金に届いたかは明らかではない。ただ11日以降数日内には届いたとみるのが常識的だ。
 確かなのは ❷ 6月23日 北朝鮮の朝鮮中央通信がトランプが金正恩に親書を送ってきたと初報道したこと。中朝会談(6月20、21日)の2日後だ。親書は ❶ の返信を指すと考えていい。
 同通信によると、金は親書の中身について「立派な内容が込められている」として満足の意を表明。トランプの「政治的判断能力と並外れた勇気に謝意を示す」とし「興味深い内容を慎重に考えてみる」と述べた。後付けだが「並外れた勇気」「興味深い内容」と強調したのは、トランプが韓国訪問の際の米朝首脳会談を提案し、同通信の親書公開は、金が会談を受け入れる肯定的サインだったのではないか。
 トランプが非武装地帯(DMZ)訪問を検討していることが明らかにされたのは6月22日。❸「朝日新聞」がワシントン・ソウル発で、「米韓両政府が6月末の大統領訪韓時にDMZ視察で最終調整している」と報じた。従ってトランプがDMZ訪問を考慮したのは少なくとも22日以前である。

◆◆ 早期再開に積極的役割

 第2のポイントは、習近平の動向と役割。中国が初訪朝を発表したのは17日。上記のように、トランプの金宛て親書に、首脳会談提案が含まれていたため20、21日の訪朝が急きょセットされた可能性は否定できない。❹ 習は29日午前、大阪でトランプとの米中首脳会談に臨み、初訪朝の結果をトランプに伝えた。
 新華社電は会談内容について、「習が米朝対話の早期再開を呼び掛けた」と報じ、「(習は)米朝首脳が対話と接触を保つことを支持すると表明。朝鮮半島問題で、引き続き建設的な役割を果たしたい」とも述べた、と伝えている。
 中国の場合、外交交渉の内容については、外交部が作成したテキストに基づき新華社が報道する。中国側が発信したいポイントが盛り込まれるが、この報道では「対話の早期再開に中国側が建設的役割を果たしたい」の部分がポイントであろう。
 こうしてフォローすると、習の中朝首脳会談では、第3回米朝会談に応じるかどうかを含め事前協議が行われ、中国は実現に向け「仲介役」になることを、トランプに伝達したという推測は十分成立する。

◆◆ 「水面下でお膳立て」の報道も

 これらはあくまで状況証拠に基づく「謎解き」である。だが、冒頭に紹介した呂氏の見解を裏付ける報道もある。「今回の首脳会談は電撃的に開催されたが、実は伏線はあった」と書くのは、7月1日付の「朝日新聞」(電子版)。記事は ❶の親書のやり取りを紹介した後、「トランプ氏の返信は~中略~米政府高官がわざわざ平壌を訪れて届けた。親書の交換を通じて、高いレベルの接触が水面下で行われた可能性がある」と書いている。

 30日午後4時、いよいよ板門店で首脳会談が実現。冒頭トランプは「ソーシャルメディアでメッセージを送って、あなたが出て来てくれなければ、またメディアに叩かれるところだったが、あなたは来てくれた」と切り出す。
 これに対し金は「事前に面会が合意されたのではないかという人がいるが、昨日の朝、大統領がそうした意向を(ツイッターで)表明して私もびっくりした」と、笑顔をみせながら応えた。
 2人とも大変な役者ぶりではないか。「謎解き」が当たっていればの話だが。

[注1]鸭绿江断桥(百度百科)
  https://baike.baidu.com/item/%E9%B8%AD%E7%BB%BF%E6%B1%9F%E6%96%AD%E6%A1%A5
[注2]『図説 満鉄:「満洲」の巨人』(西沢泰彦 河出書房新社 2000年8月)
  http://ktymtskz.my.coocan.jp/agia/mantetu.htm
[注3]「中朝国境の橋、中国が費用負担約束 事業凍結から一転」19年7月28日 「朝日」電子版
  https://www.asahi.com/articles/ASM7L02BWM7KUHBI052.html
[注4]「北朝鮮制裁の早期緩和主張」19年8月3日 「共同」ニューヨーク電
[注5]「北朝鮮労働者の半数超送還=中ロ、国連安保理に報告」19年03月27日 時事通信
  https://www.jiji.com/jc/article?k=2019032700190&g=int

 (共同通信客員論説委)

※この記事は著者の許諾を得て「海峡両岸論」106号(2019/09/11発行)から転載したものですが文責は『オルタ広場』編集部にあります。
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