■北方4島問題によせて             望月 喜市

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I、プーチン来日(11月20日)の機会を逃せば、プーチン大統領政権在任中の
解決は難しくなり、解決はずっと先(一説では半世紀先) になる可能性が高い。
時間はロシアに有利に作用している。ロシア側には解決を急ぐ理由は見当たらな
い。
島の経済は、ロシア経済の好調を受け、危機的状態から徐々に改善の方向に動い
ている。択捉にある水産加工会社ギドロストロイではカラフトマス漁が終盤を迎
え、工場や沖合の加工船はフル操業が続いている。3月全焼した同社のベットブ
工場は場所を移して再建工事が進み来年9月までには完成する。工場ではサケ・
マスやスケソウなどを加工し、米国やフランス、韓国、日本などに輸出している
(北海道新聞050903)。インフラ整備や導入外資の拡大、生活の向上が進めば、
貧困からの脱出をもとめて離島したり、日本との合併を望む(返還派の)住民数
は減少しよう。
返還運動の拠点都市根室でも、「2島先行返還、あとの2島は継続審議、共同開
発、フリーゾン化論」が「一括返還論」をしのぐ勢いを見せ始めた。

II、両者の主張「56年の共同宣言で決着をつける」(プーチン大統領)、「4島問
題を解決して平和条約を結ぶ」(小泉首相) 両者の主張はこのように噛み合ってい
ない。当初、任期中(06年6月)に決着をつけるとした小泉首相は最近(9/1)
ではトーンダーンして、「期限を切ってやるのはどうか」と疑問を呈し、長期戦の
構えを見せ始めている。ロシア側からは、「2島返還ですべて、これ以上の譲歩は
ありえない」という(大統領、外務省、駐日大使など)一致した強いメッセージ
が投げかけられている。
 
III、争点:
  III-1:放棄した島の範囲について→
*「サンフランシスコ平和条約第二条(c)項の「千島列島」には、4島を含むとす
る立場→和田春樹氏、長谷川毅氏その他。

その論拠:日露通好約条約(1855年)、樺太千島交換条約(1875年)の条約に

ある、「千島列島」=「クリル・アイランズ」はどの島を指すのかという問題で、
和田氏は先行する高野明氏、村山七郎氏の論考をもとに、2つの条約の正文を念
密に検討、千島列島とは「ウルップ島以北の18の島々のみ」であるとは言えな
いと結論付けた。つまり千島列島とは「ウルップ島以北の18の島々のほか」、「ウ
ルップ島以南の(残りの)島々」も含まれると解釈するのが正確な解釈なのだと
主張した。
 正文→「残りの、北の方の、クリル諸島」(つまり「北の方のクリル諸島の他、
南にもクリル諸島がある」ということを前提にした文章)

日本訳→「夫れより北の方クリル諸島」(つまりクリル諸島はそれより北の島々

だけを指すのであって、それより南の島々はクリル列島には入らない)

なお和田氏は文献解釈だけでなく、戦前日本政府が発行した日本地図などにも千

島列島の範囲に4島が含まれることを検証している。
* 日本政府は、最初「放棄した千島列島には国後、択捉を含む」としたが、その
後「含まない」という見解に変更して今に至っている。この政府の見解を、多くの
専門家をはじめ、マスコミ、返還運動従事者、教科書、その他一般世論は、その
まま受け入れている。

*安全保障問題研究会(代表(故)末次一郎)は『変わる日ロ関係』で「放棄し

た千島列島に北方領土は含まれない、というのが日本政府の立場である」(p.137)
とだけ述べ、和田氏の主張には全く触れていない。木村汎氏は『日露国境交渉史』
で、この問題を巡る一連の経過を詳細に記述しているが、自己の見解を表明する
ことは避けている。長谷川氏は和田氏の解釈に賛成している。

*日本側の見解を法律学の立場から詳細に解説した田村幸策氏は、和田氏の見解
を全く無視し政府が採用している日本語訳をベースに見解を書いている。(『日本
の領土 北方領土』pp.56-57、根室市・北方領土問題対策協会)。
なぜ、外務省は和田氏の問題提起を無視し、見解を変えようしないのか。たとえ
日本側に不利な事実であっても、潔くそれを受け入れる態度が必要ではないのか。
北方4島返還要求の根拠について、国民にその論拠を政府の責任において示した
文書はない。一般に広く日本の公式の論拠としているのは、外務省国内広報課が
毎年発行している『われらの北方領土』(2002年)である。

III-2-1:そこには「択捉島、国後島、色丹島及び歯舞群島からなる北方4島は、
わが国民が父祖伝来の地として受け継いできたもので、いまだかって一度も外国
の領土になったことがないわが国固有の領土です。」と書かれている。これが4島
要求の論拠だ、というのが日本国の立場として広く国民に受け入れられている(固
有の領土論)。しかし、この事実を認めても、だから、「4島を返すのは当然だ」
という主張の法的論拠となるだろうか。固有の領土でも領有権を現在持っていな
いというケースは世界で多くの事例がある。返還要求の国際法的論拠を政府はも
っと厳密に示すべきだ。

III-2-2:もう1つの返還要求の論拠として、4島はソ連軍が1945年8月15日以
後も戦争を継続し、これを武力により不法に占領したものだから、4島返還要求
は当然だ(不法占拠論)がある。
それに対しては、サンフランシスコ平和条約で千島を放棄した以上、4島は無主
物であって占拠者に対し日本には返還要求権はない、と考えられる。

III-2-3:さらに、大西洋憲章、カイロ宣言、ポツダム宣言の系列から、連合軍は
戦争による領土拡大権を自ら放棄しているが、ロシアはこの約束に違反している、
という論拠も返還論では1つの論拠として使われている。ロシア側はヤルタ会談
での「3国間の約束」で反論しているが、この論拠は弱い。私見では、この件は
ロシアの弱点であると考える。

IV、ロシア側の主張は「2島でこの問題に決着をつけたい」というものだ。「56

年の共同宣言」が両国の国会により批准されたことをその論拠としている。批准
されたこの「宣言」は、今までの日ロ(ソ)間のどのような合意よりも一段高い
拘束力を持っているというのがロシア側の主張である。そこには「平和条約を締
結した後、2島を引き渡す」とあり、それ以外、何の言及もないから残り2島に
ついて帰属に関する継続交渉を行う義務をロシアは持っているとは考えないとい
うのだ。

日本側は「4島の帰属を解決して平和条約を結ぶ」と主張しているが、「4島の

返還を実現して」とは言っていない。帰属解決の1バリアントとして、2島を返
し、残り2島は返さないというバリアントも理論的には可能である。したがって、
この解釈は「東京宣言」「クラスノヤルスク首脳会談」「川奈首脳会談」での合意
事項に反するとはいえない。

たしかに、56年宣言の締結を巡り、日本側は4島一括返還、それが不可能なら、

残り2島の継続審議を強く要求したが、具体的に文章化されていない。したがっ
て、4島返還は情状酌量を超える拘束力をもたないとの解釈も可能である。日本
政府はこれに真正面から反論していない。

V、運動論の立場:
V-1:「今から43年も以前、日本の国力が極めて低かった時代に、日本が拒否し
た提案を今日、日本が受諾するはずがない。それでは、過去半世紀以上もの間歯
を食いしばって北方四島の一括返還を求めてきた日本の運動はいったい何だった
のか。鼎の軽重を問われることになるだろう」(安保研p.146)。これは現在の日
本の国民感情を端的に示している。

しかし、契約はその締結時点での双方の力関係、置かれた立場、契約内容の認識

などすべてを反映して締結される。(認識に重大な錯誤があった場合を除き)一旦
締結されたら、その文言に沿って実施されるべきで、状況が変化したからといっ
て、一方的に内容の解釈を変更できるものではない。
V-2:日本側は、「残念であるが2島返還で決着するのはやむをえない」との認識
のもとで「56年共同宣言」に署名し、国会で批准したことを示す状況証拠は、当
時のマスコミ報道、その他多数ある。返還に関する複数回の国会決議において、
最初の数回は「歯舞、色丹に関する返還要求決議」であって、「4島返還要求決議」
ではなかったこと、「4島返還要求」にランクアップしたのは昭和37年(1962
年)からであったことも、重要な状況証拠の1つといえる。

V-3: 日本政府は、戦後長期にわたり、樺太の南半分のソ連領有を認めていなか
った。日本はサンフランシスコ平和条約で樺太の領有権を放棄したが、その帰属
先はそこに書かれていない以上、ソ連の領有を認めることは出来ないとの立場を
とり、サハリンに日本の公的機関(日本領事館や、北海道の分署など)を置くこ
とを認めなかった。しかし、両地域の交流が盛んになると、交流の便宜を図るた
め、明確な説明もないまま、函館でのロシア総領事館の設置と並行して、ユジノ
サハリンスクに領事館を設置し、北海道分署の設置を承認した。このような現実
対応の前例にならい、島の問題も柔軟に対応したらどうか。

VI、提言 

VI-1:国民的議論を起こそう。それぞれの人が、感情論でなく理論的に問題を考
えてみて欲しいし。マスコミもこの方向に主導性を発揮してもらいたい。
VI-2:返還運動を推進するリーダーは、(返還に不利な議論であっても)様々な
議論に耳を傾けて欲しい。
VI-3:このままの状態が今後例えば20年続いたと仮定して、周囲の状況がどう
変化するのかを考えて欲しい。
VI-4:2島が先行返還されない場合、現在までおよび今後について逸失累積利益
の計算ができないだろうか。
VI-5:56年の国会批准を日本の国会はどう評価するのか。

終わりに:論ずべき論点はまだまだ多数あるが省略する。以上のような日本に不

利な主張をするのは、「敵に塩を送る利敵行為」である、と非難されるかもしれな
い。しかし、ここに書いたことは、間違っていないと信ずる。理論的で冷静な反
論を期待したい。私に間違いがあれば訂正するのはやぶさかではない。この問題
を国民の間で議論し、1日も早く平和条約の締結を実現したいと考えている。

負けると分かっていながら戦争に突入した第二次大戦の教訓を生かすべきだ。大

政翼賛会を作って、反対者を非国民呼ばりし、反論を封じ込めた歴史を繰り返し
てはならない。

文献について:

多数あるが、ここでは、直接言及した文献に限って掲載する。 

 * 和田春樹『北方領土問題を考える』岩波書店、1990年
 * 木村汎『日露国境交渉史』中公新書、1993年
 * 長谷川毅『北方領土問題と日露関係』筑摩書房、2000年
 * 安全保障問題研究会編『変わる日ロ関係』文春新書、1999年
 * 根室市・北方領土問題対策協会『日本の領土 北方領土』)1970年初版
 * 外務省国内広報課『われらの北方領土 2002年版』2002年

                     (筆者は北海道大学名誉教授)

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