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勝海舟の日清戦争反対論       今井 正敏

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「オルタ」11号で河上民雄先生がオルタ加藤編集長との対談のなかで、日清戦争のとき、日本国民があげて日清戦争賛成論に沸いているなかで勝海舟だけがはっきりと反対していたことを話されていました。この海舟の反対論が吉本襄編『海舟先生―氷川清話』では吉本氏が勝手に改鼠削除していたのを2000年12月に出版された江藤淳・松浦玲編の『氷川清話』の解題のなかで松浦氏がこの隠れた事実を解明したことを加藤編集長が『オルタ』12号の書評でその経緯を詳しく紹介されている。これは歴史的に見ても重要なことだけに大いに勉強になりました。

ところで、別の視点から海舟の日清戦争反対論を眺めてみると海舟の反対論が海舟一人のものにとどまっていて海舟の周辺、とくに政界にたいしては殆ど影響を及ぼさなかったのではないかと思われる。このあたりに海舟の反対論が一般にあまり知られなかった理由かと考えられます。

 加藤さんも書いておられますが日清戦争後10年たった日露戦争のときには日清戦争と違って非戦論(とくに平民社を拠点にして幸徳秋水・堺利彦らが非戦論を展開したのは良く知られている)が声高く叫ばれるようになった。

 つまり、日清戦争のときには海舟1人だった戦争反対論が日露戦争のときになると反対論(非戦論)の発信基地(平民社)が生まれ、そこから発行される「平民新聞」に非戦の主張が掲載されて一般国民に呼びかけるという明らかな違いがある。

 日清戦争のときの海舟の反対論が目立たず、これに比べて日露戦争のときの非戦論がよく知られたのは両者の行動スタイルの違いによるものと考えられる。

 歴史の動き、時代の流れを一つの方向だけから眺めるのではなく、視点を変えれば別の考え方、見方が出来ることを『オルタ』は毎号教えてくれています。

  今後とも読者にこの種の材料を提供し続けてください