加藤宣幸さんと最後にお会いした日

飯田 洋

 加藤宣幸さんから久し振りにお電話をいただいたのは、年が明けて一月の半ば過ぎだった。
 内容は、「県知事選での勝利など市民政治運動の勝利を続けている新潟県の現地を訪ねてきた。一度お話しをしたいので出てこないかというものだった。

 一月二六日の午後、九段の加藤さんのお宅にお邪魔した。加藤さんの盟友である仲井富さんも同席されていた。
 席上、加藤さんは「新潟県における知事選の勝利を始めとする市民政治運動の成功は、戦前の小作解放運動にその原点がある。私は、生涯最後の課題として新潟県における社会運動の歴史の解明をしてみたい」と情熱をこめて語られた。
 私が、もし何かお手伝い出来ることがあれば喜んでしたいと返事をしたのは勿論である。

 私は、学生時代から、かつて日本社会党の副委員長、衆議院副議長を務められた故三宅正一氏の知遇を得、氏の思想と行動に共鳴し、終生の師と仰ぎながら、多くの時間を行動を共にして来た。
 三宅氏は、早稲田大学在学時代から、浅沼稲次郎氏らと共に『建設者同盟』に参加し、社会運動に入り、新潟県において、木崎争議等各地の小作争議を指導し、戦後は田中角栄と同選挙区で日本社会党の議席を守り続けた。

 私は、社会運動家として激動の時代を駆け抜けた三宅氏の足跡をたどることによって、もう一度日本の戦中から戦後にかけての社会運動とは何だったのかを検証する作業を再開し、その結果を『農民運動家としての三宅正一 その思想と行動』というタイトルで上梓することが出来た。

 その後の三宅正一氏に関する研究論文は加藤さんの御好意で『オルタ』で発表させていただいた。
 『無産政党政治家の戦争遂行責任 三宅正一の思想と行動をめぐって』『戦時期保健医療政策と社会民主主義政治家の職能性 三宅正一の農村医療分野における社会民主主義的農民運動』『戦時期社会政策と社会民主主義政治家 日本育英会と三宅正一』などがそれである。

 また、加藤さんからは、いくつかの書評を掲載させていただくこともお許しをいただいた。ジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』の書評執筆などは楽しいものだった。

 話は戻るが、お会いしている席上、持参していた新潟で現在最後の小作争議の語り部を目指して活動中の阿部紀夫氏のレポートをお見せして『オルタ』への掲載をお願いしたところ、加藤氏はその場で快諾された。その論文が現在掲載中の『【社会運動の歴史】木崎無産農民学校と教師野口伝兵衛』である。

 新潟の冬は寒い。雪深い新潟への旅が加藤さんのお命を縮めてしまったのか。

 加藤さんと久しぶりにお会いして、私の胸の中に燃え始めた新潟の市民運動の原点再発掘の夢ははかなくも消えてしまった。
 いや、少しでも行動を続けることが、加藤さんのご遺志に報いることになるのだろうか、考えるこの頃である。

 謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
   二〇一八年四月二日

 (元パラマウントベッド専務)

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