加藤さん ありがとうございました。

鈴木 宏昌

 2月20付けの「オルタ」を開き、いつものように、加藤さんの編集後記を読もうとしたときに、加藤さんが急逝されたことを知り、本当にびっくりした。というのは、一時帰国していた1月末に、加藤さん、初岡さんと神楽坂で楽しい一夜を過ごした後、飯田橋まで一緒に歩きながら、姿勢よく、しっかりとした足取りで歩かれていた加藤さんを見て、100歳までは間違いないと確信してパリに戻ったばかりだった。

 加藤さんと初めてお会いしたのは、私が「オルタ」に定期的に寄稿し始めてからしばらく経てからだったと思う。日本に一時帰国していた時に、何かの研究会でお会いした。初対面の時は、ずいぶん腰の低い、温厚な人だなと感じた。その後、初岡さんから加藤さんの歳のことを知らされ、仰天したことを覚えている。歳よりは二回りも若く見え、とっても90歳近くとは信じられなかった。その後は、日本に一時帰国のたびごとに、頻繁にお会いした。

 私が「オルタ」に書き始めたのは、2012年の3月からだった。私は、2011年に大学を退職し、本拠をパリの郊外に移してから間がないころだった。長年お世話になっている国際労働分野の顔である初岡さんから、仲間がやっているWEB上の同人雑誌があり、労働問題でも、政治・経済でもなんでもよいから、フランスの事情を気軽に書いたらと誘われ、書き始めた。4、5回も続くかなと思いながら始めたフランス便りは、結局、26回、それに、【オルタの視点】と題する文章が6回ほどあったので、計31回「オルタ」に書かせてもらったことになる。
 こんなに長く続いたのは、ひとえに名編集長の加藤さんの励ましがあったからだ。私の原稿がいつも遅れがちなのにも苦情を言わず、原稿を送った翌日までには、確かに原稿を受けっとったというメイルとともに、内容に関して、簡単な感想が記されていた。その感想は、いつも励ましの言葉が多く、心強かった。
 加藤さんとのメイルのやり取りで記憶に残っているのは、何回となく、世界各地で「オルタ」の読者が増えっていて、フランスでもかなりの数の読者がいるという報告だった。わが子のような「オルタ」の成長を楽しみにしていた加藤さんの顔が目に浮かんだ。また、ときどき日本に帰った際に、思いもかけぬ友人から、「オルタ」の原稿を読んだよと言われ、「オルタ」が広く読まれているのを知り、驚いたこともあった。

 寄稿の回数が増えるにっともに、私の頭からは、「オルタ」の原稿のことが離れなくなった。一番難しかったのは、次回のテーマを何にするかの選択だった。テーマが決まると、パソコンで情報を集め、テーマに関する論文などを読み、原稿にまとめる作業は楽しかった。とくに、私の知らない分野は、1から情報を集めるので、時間はかかるが、フランスの実情を知るのに大変な勉強になった。たとえば、フランスの老人ホーム事情(No.110号、2013年2月)やフランスの中等教育(No. 159号、2017年3月)。もっとも、私の時々の勉強テーマの必要から、専門的な小論文や書評を書いて、編集長を困らせた気もする。そんな原稿でも、広く受けいれ、励ましてくれた加藤さんに心から感謝したい。「オルタ」のお陰で、ここ6年のフランスでの私の生活は充実したものになった。

 「オルタ」をここまで育てあげた加藤さんの偉業に敬意を表しつつ、心から、ご冥福を祈りたい。加藤さん 本当にありがとうございました。
 2018年3月8日、パリ郊外にて、

 (早稲田大学名誉教授、IDHE-ENS-paris-Saclay 客員研究員)

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