【横丁茶話】

刺青・レーニン・市長          西村 徹

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●寺田寅彦の見た刺青
 寺田寅彦には昭和8年6月、「中央公論」に寄稿した「蒸発皿」という随筆が
あって、その第3節「げじげじとしらみ」に、幼時に味わったグロテスク体験を
綴っている。その中に刺青のはなしが出てくる。「げじげじ」や盗賊や盗賊のし
らみをとって食う乞食も出てくるが、刺青についてはこんなふうに書いている。

《 第一夜は小田原の「本陣」で泊まったが、その夜の宿の浴場で九歳の子供の
自分に驚異の目をみはらせるようなグロテスクな現象に出くわした。それは、全
身にいろいろな刺青を施した数名の壮漢が大きな浴室の中に言葉どおりに異彩を
放っていたという生来はじめて見た光景に遭遇したのであった。いわゆる倶梨伽
羅紋々ふうのものもあったが、そのほかにまたたとえば天狗の面やおかめの面や
さいころや、それから最も怪奇をきわめたのはシバ神の象徴たるリンガのはなは
だしく誇張された描写であった。
  (中略)
  今日から翻ってよくよく考えてみると、こういう一見はなはだいかがわしいグ
ロテスク教育も、美的教育と相い並んで、少なくとも自分の場合においてはかな
り大切なものであったように思われてくるのである。
 子供を育てる親たちの参考になれば幸いである。》

●私の見た刺青
 寺田寅彦の幼年時代は繊細で病弱だったという先入主があったから、シバ神の
象徴たるリンガを目撃したことはさだめし致命的な傷跡を残すような衝撃であっ
たろうと私は決め込んでいた。浅読みというか流し読みというか一度読んだだけ
の早飲み込みは危ないものだ。スローフードのみならずスローリーディングも大
切だ。今、刺青のことを書くべく読み返しておどろいた。げじげじもしらみを食
う乞食も、そして男の背中の刺青も、シバ神の象徴たるリンガのはなはだしく誇
張された描写すらもが教育上有益であったというのだ。教育上推奨さえしている。

 さすがは科学者である。繊細病弱な子供ながらにすでに尋常でない観察眼を具
えていたものとみえる。観察は科学には不可欠だ。私も子供のころ銭湯でときに
刺青を見たことはある。浴場は今ほど明るくはなく湯煙に曇ってはっきりは見え
にくいこともあって刺青とはわかっても文様の詳細を見届けるような判別力も興
味もなかった。異様なもの以上のものとは考えなかった。脱衣場でならば様子も
ちがったかもしれない。

 出入りの魚屋が侠客上がりで夏など捲り上げた腕から刺青が覗いていたが、浅
黒い肌に青いものがのたくっているだけで何を彫っているかは見る気にもならな
かった。白い肌ならば違ったかもしれない。それよりもやはり科学者には必要な
程度の観察眼を私は生来欠いていたのであろう。

 それにしても私は驚嘆する。シバ神の象徴たるリンガのはなはだしく誇張され
た描写を、9歳の児童がそれなるものとして判然と認知しえたということに。そ
の年齢では、すくなくとも私の場合には、「誇張された」つまりは極限的膨張状
態にある成人のリンガなど、一度も見たことのないものを同定しようにも想像の
手がかりさえなかったと思う。幼虫しか見ないで成虫を想像するにひとしい。

●刺青とビンタとレーニン
 私の刺青経験はもうひとつある。戦争の終わる年に兵隊にとられて掛川のあた
りの小学校にいた。ときどき軍医の検診があって、異常はないはずだけれど私は
しばしば練兵休になった。軍医が同情してくれてではあるが、演習に出ないで内
務班に残留するのは上官の目にさらされてかえって苦痛なのだ。演習に出るほう
がよほど開放感がある。中年ですでに少しお腹の丸い千葉医大助教授の軍医には
そんな事情は解らない。あるとき演習に出ている間に医務室の点呼があったらし
く内務班に留まることなくして演習に出たことが露見してしまった。

 翌日医務室から呼び出しがあって違反者3名が順番に1発ずつビンタをくらっ
た。私は2番目だった。最初の兵隊の頬が鳴って寸暇をおかず私の順番はもう終
わっていた。それは素早い、目にもとまらぬ鮮やかな一発で、一瞬目の前が真っ
白に、両眼前頭部から文字どおり火花がとんで、気がついたら身体は右に30度
方向転換していた。たぶん瞬間的に脳震盪を起こして気を失ったたものと思う。
3人目の処刑が終わったことは気がつかずじまいだった。

 ビンタをとばしたのは上半身裸の衛生上等兵で、それはみごとな、ただ青いば
かりでない所どころ適度に朱の入った目もあやな倶梨伽羅紋々であった。威圧感
があったといえばあったのかもしれないが、それは意識には上らなかった。それ
よりも魔界をちらと覗いたような、またと見られないものを意外なところで見て
しまったというような、猟奇とかキッチュとか、その種の言葉が先立ってくるた
ぐいの、息を飲む思いの驚きだった。実際あんなものはあとにも先にも一度も見
たことはない。

 やはり何を彫ってあるかなどつぶさに観察する余裕はまったくなかったが、衛
生上等兵の顔はウラジーミル・イリイチ・レーニンにそっくりだった。それは今
も鮮烈に記憶している。倶梨伽羅紋々が衛生兵だということの意外性、その顔が
またレーニンであることの意外性。なんとも奇妙な3者の取り合わせが、ほとん
ど爽快なまでの強烈ビンタといっしょになって、人生の中の多くはない非日常の
記憶として残っている。眼からとんだのも「イスクラ」(火花)だった。

 そんなわけで刺青は私にとっても驚きではあったが非日常に接する驚きにすぎ
なかった。おそらく戦争に敗れてぺちゃんこになったこの国に、支配者征服者と
して上陸してきた、初めて見る黒人米兵を見たときの感興に共通する驚きであっ
たかもしれない。格別の反発を感じたことはない。寺田寅彦の場合ほど細部に観
察のおよぶ積極的好奇心はなく雰囲気で満腹してしまう寡欲な好奇心にとどまっ
た。

 これは、もちろん、谷崎潤一郎の『刺青』におけるがごとき、いわば衣通郎姫
(ソトオリヒメ)のような、その艶色衣を徹りて照るような美しい肌に彫られた
場合ならばおもむきは違ったであろう。しかし、やはり、そんな場合も雰囲気に
呑まれてしまって、寺田寅彦のように犀利な観察はかなわなかったであろうと思
う。所詮、私は科学者になる資格を欠いていた。

●刺青と大阪市長
 ところで今、大阪市では橋下という市長が刺青に目くじら立てている。個人と
して目くじら立てるのはその人の自由である。しかし市職員が刺青をしているか
どうかを無理やり調べたり、学校の先生をまで調べたり、刺青をしていたら昇進
させないと脅かしたりする職権が市長にはあるだろうか。

 刺青をしていると市民に威圧感を与えるからだという。刺青をしているからと
いって威圧感を与えたりはしない。威圧しようとする意図をもって刺青を見せび
らかせば威圧感を与えることはありうるかもしれない。そういう事例があったの
ならそれだけ単独に処分すればよい。刺青をしているだけなら法の許す範囲内の
ことである。法に反しないことまでおしなべて市長が摘発弾圧するのは法に反す
るであろう。

 蓼食う虫も好き好き。ハナクソを食うとか喫煙とかとおなじく個人の趣味であ
るにすぎない。喫煙ほどにも他者に害を与えないであろう。強制してやめさせる
べきものではない。強制は日の丸君が代の場合同様よくない。

 市長が刺青に反発する気持ちは理解できる。それが多数の市民感情でもあろう。
私も刺青を積極支持する気は毛頭ない。刺青者には近寄りたくないし、浴場でい
っしょにはなりたくない。どんなにみごとなものであっても、あの衛生上等兵の
彫り物を二度と見たいとは思わない。刺青は悪趣味だと思うし、衛生上もたぶん
よくはないだろう。ナチの收容所でユダヤ人は腕に刺青されたという忌まわしい
過去もある。

 しかし刺青の歴史は古い。昔は呪術的な意味を持ったり、あるいは医学上のメ
リットもあるとされたらしい。ふたたび喫煙とおなじく非文明ではあるが文化で
あることも間違いない。主として任侠狭斜の、頽廃の色濃い悪の華としてではあ
るが、江戸化政期の文化を飾るものとして少なからぬ役割を荷うものであったこ
とは否めない。

 ところで、例えば逓信大臣小泉又次郎のようなほんものの倶梨伽羅紋々は、果
たしてまだ残っているのだろうか。あの衛生上等兵もレーニン同様この世にいな
いだろう。もしかして、まだいたとしても、刺青は皺くちゃで到底見られたもの
ではなくなっているだろう。今や倶梨伽羅紋々は絶滅危惧種と言っていいほど少
ないのではあるまいか。

 もし大阪市民を脅かした市職員がほんものの倶梨伽羅紋々であったのなら、む
しろ希少種として保護保存すべきとすら思う。刺青市職員が110人に及んだと
いうが、たぶん、グロテスクとは程遠い小さなタトゥーがほとんどだろう。ポパ
イのように「腕に錨のいれずみ彫って」いたぐらいで誰も威嚇されはしないだろ
う。それなら、往年の市長のような茶髪や黒メガネほどにも嫌悪すべきものでは
なかろうと思う。

 刺青を嫌うのも文楽を嫌うのもクラシック音楽を嫌うのも、まったく個人の自
由である。大阪市長も個人としてそれらを嫌う権利を有する。じっさい文楽はと
っつきにくい。能になるともっととっつきにくい。浄瑠璃や謡曲の発声を地獄の
声と言った人もいる。これらが解るようになるには相当の年期が必要である。無
理に解ったような顔するよりは、はっきり解らないとするほうが余程いさぎよく
てよい。

 2011年10月3日に世を去った画家の元永定正は自分の絵のほかに好きな
絵はないと公言していた。美術館にも行かず美術史にも関心を払わなかった。ク
ラシック音楽も好まなかった。刺青を含めて大阪市長も同様の判断でよい。ただ
自分の嫌いなものは、それから遠ざかるのは自由であるが、「民意」多数を笠に
着て少数者を虐待する、政治権力を行使して不当干渉するなどは、ヒトラーやス
ターリンと同じく不仁の道を歩むことになる。

 統治する者は統治される者の多様性には最大限譲歩するのが王道である。自分
の浅慮のおよばない事柄については手を触れずにおくのが、文化破壊と職権乱用
に陥らずにすむ唯一可能な態度であろうと思う。はじめ都構想と大きく出たのだ
から、ちまちまと度量の小さいことは言わぬがいい。(2012年6月9日)
     (筆者は堺市在住・大阪女子大学名誉教授)

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