【コラム】酔生夢死

刺身をナイフ&フォークで

岡田 充


 料理がおいしいかまずいか。それは、食べ方の所作にも大きく左右される。要は、箸さばきやナイフ、フォークの使い方で、おいしそうに見えたりまずく見えたりする。箸文化で育った身からすると、ナイフとフォークは依然として使いこなせない。

 洋食でご飯を食べる時は「フォークの背にご飯を乗せて食べること」と子供のころ教わった。やってみれば分かるが、フォークの背のご飯を口に運ぶのは一苦労。超一級ブランド米でも、おいしそうには見えない。「ガイコク人ってみんなこんなに面倒な食べ方をするのだろうか」と不思議だったが、それが「誤ったマナー」と知ったのは、長じてからだった。

 中国南部や東南アジアでは、屋外に小さなテーブルを出して食事をする一家を見かける。ごはん茶わん片手にわずかなおかずや汁を乗せて、ハシでかきこむ。立ったまま食べる子供もいるが、みんなうまそうに食べている。「空腹こそ最高のごちそう」。音をたてながらソバをすする噺家の落語を聞けば、ソバ出汁の香りが鼻をくすぐって腹がなる。

 同じ麺でもパスタは違う。フォークにパスタを巻き無駄なく口に運ぶイタリア人の振る舞いを見て、ほれぼれしたことがある。まねろと言われても同じようにはできない。ハリウッド映画で、捕虜収容所に入れられた兵士たちが、黒パン片手にスプーンでシチューをすくう仕草をみて、思わず喉がなったことがある。「くさい捕虜メシ」という設定のはずだがなぜか。たぶん「洋食はごちそう」という固定観念があったからだろう。映画監督、ごめんなさい。
 逆に、パスタを食べるように音もなくソバを噛んでいる欧米人をみて「おいしそう」と感じる日本人は少ないと思う。中華料理のテーブルで、デザートのケーキやフルーツを長いハシでつまむチャイニーズを見かけるが、違和感を覚える。 

 ものの考え方や思考方法は、それぞれの言語に大きく左右される。そう気づいたのは、横文字や中国語文化圏に身を置き、日本語の文法で考えていたことを絶対視していたのが誤りと知らされたからだ。食文化はどうだろう。幼い頃の舌の記憶はいくら歳を経ても「うまい」「まずい」の基準になっている。なかなか相対化できない。

 ソ連崩壊直後のモスクワでの話。当時は数えるほどしかなかったホテルのスシ屋に入った。木のカウンターはあるが、ほとんど飾りもの。多くの客はテーブルで食べている。隣のテーブルには若い女性カップル。しきりにナイフとフォークを動かしている。横目で眺めると、皿の上のマグロとサーモンの刺身をナイフで切り、それをフォークで口に運んでいる。彼女たちが発する強いコロンの匂いが鼻をつき、途端に食欲が失せた。

 (共同通信客員論説委員)

(写真)Website「海外反応! I LOVE JAPAN」 外国人「そばを啜って食べてみた!」から
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