【コラム】
神社の源流を訪ねて(12)

出雲の神々④ 日御碕神社(ひおみさきじんじゃ)

栗原 猛

◆素戔嗚尊が姉を見下ろす日御碕神社

 島根半島の西北端の岬にある日御碕神社を訪れたのは快晴の秋の一日で、目の前に海が開け深い青さを背景に、緑に囲まれた朱塗りの豪壮な建物が印象的だった。岬の先端にあるためか、社域は起伏があってそれほど広くはないが、そこに14棟もの重要文化財の社殿が並んでいて、ここからの眺望がまたすばらしい。
 楼門を入って正面が下宮、右手の小高いところに上宮がある。不思議なのは古事記や日本書紀では姉とされている天照大神が下社に祀られ、弟の素戔嗚尊は下社を見下ろす関係にあることだった。出雲では人々は素戔嗚尊に親しみを感じているのだろう。

 境内を少し歩くと、上社の摂社として「韓国神社」という扁額のかかる境内社を見つけた。韓国といえば朝鮮半島の新羅のことと言われる。新羅は太陽信仰が強いとされ、ソウルを訪れた時に板門店から太陽が昇る方向に向かって歩いて行くと、朝鮮半島東端の「釜山市の迎日湾に出ますよ」と、言われたことがある。日御碕神社は名前から言っても、いかにも太陽信仰と関係がありそうな名前だ。
 日は西に傾いて少し待てば素晴らしい日本海の落日が見られるはずだったが、バス停はすぐそこにあっても、バスが来るまでにはかなり待たなければならなかったので、落日は見ないで次の予定に向かわざるを得なかった。

 金達寿氏は名著『日本の中の朝鮮文化』8巻で、今は合併されて出雲市多伎町になっているが、多伎町の前身、岐久村の「岐久村誌」を紹介している。国立国会図書館で分厚い「岐久村誌」をネットで見せてもらい、神社の起源という項目をみると、「神社と氏子」の関係についてこう記している。

 「神道でいう『カミ』とは字義的には『上』であるが、実質的に祖霊である。他の宗教でいうような、ある象徴化された理念ではなく、現実に吾々と血のつながった祖先の魂であるという点に大きな特色があった。故にそうした神を祭る神社は、古来、原則として氏神であり、これに奉仕する人は、その神の子孫であるか、しからずともその神の子孫であるという自覚の上に立つものであった。つまり神社と氏子の関係は本来、祖先と子孫の関係に一貫していたのである」

 さらに別の個所で、「神社は独立した状態で発生し、各社相互間はもとより、はじめは国家とのつながりはなかった」とする。
 各地の神社を尋ね、神社関係の資料をもらい受けて読ませてもらうが、創建の歴史など、どこまでが神話でどこからが史実なのかなど、分かりにくくあいまいなのが少なくない。神社が合祀されたりするとさらに難しくなる。「岐久村誌」は昭和35年4月1日発行とあり、あとがきに3人の編集委員の名前が掲げてあるが、なかなかの見識だなと感じた。

 (元共同通信編集委員)

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