■【北から南から】
  深センから                   佐藤 美和子

-『写真にまつわる話 その四』-

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  インターネットや携帯電話がない92年当時の中国個人旅行は、ガイドブックま
たは旅行者同士の口コミが貴重な情報源でした。貧乏バックパッカーだった私は
雲南省でドミトリー(3人以上の相部屋)スタイルの安宿を渡り歩くうち、瑞麗
という、外国人の立ち入りが解放(許可)されて間もない町のことを耳にしまし
た。ミャンマーと国境を接していて異国情緒あふれる街であること、また外国人
観光客が少ない今は観光地ズレしていない状態が見られる最後のチャンスという
言葉に引かれ、急遽、麗江行きを取りやめて瑞麗市へ方向転換したのです。

 大理から瑞麗へ行くにはまず大理の隣町の下関へ移動し、そこから長距離バス
で約半日の碗町で一泊。翌日碗町から再びバスで数時間、大きな橋の手前でシク
ロのような輪タクに乗り換えて、やっと瑞麗に到着です。外国人が訪問できるよ
うになって日が浅いため、私の持つガイドブックには何の情報も載っていません。
自力で外国人が宿泊できるホテルを探し周り、やっとこの町で一番大きなホテ
ルのドミトリー部屋に入ることが出来ました。

 ここで、私は思いも寄らないトラブルに巻き込まれそうになりました。瑞麗入
りの翌朝、移動につぐ移動で疲れていた私はノンビリ朝寝を楽しんでいました。
そこへ、突然荒々しいノックの音が響いたのです。ドアを叩きながら、ものすご
く権高な調子で何か言っています。相部屋の人たちはみなとっくに外出している
ので、仕方なく私が対応しに起き出しました。そして驚いたことに、ドアの外に
立つ地元政府役人と公安だというその男たちは、今日この町に中央政府のおエラ
イお役人様が来る、そのお役人様の大勢の部下たちや報道関係者も同行するので、
このホテルのこのフロアはその人たちが貸し切ることになった。更にこの上下
階はすべて空室にするため、お前たちはどこなりと他の宿へ移るが良い、とのた
まうのです。 

 訳が分かりません!私は昨日チェックインの際に、3泊すると言って部屋代も
先払いしています。今日からこのホテルが貸切になるというのなら、なぜホテル
は昨日の段階で断らなかったのだ。第一、相部屋の人たちは出かけているから勝
手に荷物は動かせないし、私は彼らとはたまたま相部屋になっただけだから彼ら
がどこへ行ったのかも知らない。ホテル代だって先払いしているのだし、私のほ
うが当然優先だ、譲るつもりはないと断りました。すると、その男たちが荷物を
出すのを手伝うといって、部屋に押し入ろうとするのです。そこで、私は非常に
まずい状態であることに気づきました。

 同じ部屋に泊まっていたのは、偶然、私と同じ貧乏バックパッカーの日本人二
人連れだったのですが、なんとこの人たち、ハシシと呼ばれるドラッグをやって
いたのです。雲南省ではそこらに自生しているほどポピュラーな草だそうで、そ
れを摘んできて乾燥させ、タバコを揉んで葉を取り出したところに乾燥させたハ
シシを詰めて吸うのです。

 彼らは無責任なことに、このハシシという草を乾燥させるために部屋の窓辺に
並べたまま出かけているのです!

 ここで公安の人間が部屋に入ってくれば、当然それを目にします。その状態で、
いくら私のものではないと言ったって、通用するはずがありません。血の気が
引く思いで慌てて彼らを押し返し、もしこのフロアのほかの宿泊客もみんな立ち
退いたなら、私も考えても良い、だから先に他の部屋に行け!とドアを閉めまし
た。なんとか彼らを追い出した後、窓越しの陽に照らされて萎びたその草をビニ
ール袋に集め、彼らの置きっぱなしのバックパック奥深くに突っ込みました。本
当ならば、中央政府役人の取り巻き連中になぞ部屋を譲る気はなかったのですが、
ここで意地を張ってトラブルに巻き込まれるのは得策ではないと判断し、36計
逃げるに如かずとばかりに部屋を移ることにしました。幸い、ホテルフロントに
苦情を入れると申し訳ながって別フロアの部屋を用意してくれました。自分の新
しい部屋を確保して落ち着いてからも、やはり放置してきた彼ら二人のハシシ入
りバッグがどうにも気になります。結局、フロントに言って彼らのために私とは
別の部屋を用意してもらい、彼らのバッグを新しい部屋に運んでおいてあげたの
でした。もし放置しておいてハシシが見つかった場合、そのとき相部屋だった私
も吸っていたと疑われるよりマシかと考えたのです。至極まっとうに生きてきた
私にとっては冷や汗モノの出来事でしたが、午後の出先でばったり出会ってコト
の次第を説明しても、「あははっ悪かったね、助かったよ~」程度の反応のその
二人には、一人で気をもんでいた私はあっけにとられるしかありませんでした。

 閑話休題。その午後に出かけた先とは、もちろんミャンマーとの国境地帯です。
瑞麗に2箇所あるゲートのうち、最初に訪れた方では数十メートルも先で、既
に歩みを止められてしまいました。そのゲートは碗町住人かミャンマー人しか通
れないとのことで、外国人は近づくことも許されませんでした。続けてもう一つ
のゲートに行くと、こちらは先ほどのよりは人も少なくノンビリした雰囲気では
あったものの、やはり少し手前で止められてしまいました。山道を散策中に知ら
ずミャンマー側へ踏み込んでしまい、藪の中に隠れて待ち構えていたミャンマー
軍人に捕らえられて暴行を受けたり金品を巻き上げられた外国人観光客の話を聞
いていたので、こちらとしても、無理に近づくつもりはありません。ただ、島国
日本に生まれ育った私には陸続きの国境が物珍しく、それがどんな雰囲気のもの
なのかを見たかっただけなのです。これ以上は近づきませんからと自ら申し出、
少し離れたあぜ道に座り込んで鬱蒼と茂るミャンマー側のジャングルをぼんやり
と眺めていました。
 
  しばらくそうして寛いでいると、少しでも国境に近づこうと試みたり、賄賂を
差し出してミャンマー側に行かせてくれと言い出さない私に興味を抱いたのでし
ょう。国境ゲートに一人で立っている監視員が、ぼそぼそと話しかけてきました。
お前は外国人なのか、どこの国の人間だ。中国で何をしている?親兄弟はいる
のか?それらの質問に答えるうち、私が中国少数民族のために建てられた中央民
族学院という北京の大学に留学中であることを知ると、彼の険しい表情が一気に
緩みました。自分はここの人間ではないが、実は少数民族の出身だ。そして妹が、
甘粛省の西北民族学院に通っている。お前は少数民族に詳しいのか?そうか、
お前の北京での友達はみな少数民族なのか。

 話がふと途切れたのち、彼が小声でこう言いました。
「お前はカメラを持っているのだろう?旅行者はみな、ここで写真を撮りたがる。
本当は国境での写真撮影は禁止だが、お前は民族学院つながりの友達だ。あっ
ちの方向を見てみろ、ここからあの木がたくさん茂る辺りまでは中国の土地だ。
俺がいまから後ろを向いているあいだ、お前は中国の国土を写すふりをして、少
しだけなら写真を撮っても構わない」

 本当なら、国境付近の写真を撮ったことが分かればカメラを取り上げられ、フ
ィルムを引っ張り出してすべての写真をおじゃんにされてもおかしくないのです。
それにミャンマーのような国は、滅多に行けるようなところではありません。
思いもかけない彼の親切な?申し出が嬉しく、人通りがないことを確かめてから
パパッと数枚、撮らせてもらいました。

 当時の中国ではこういうとき、お礼にタバコを差し出すものなのですが、生憎
私はタバコもお酒もやりません。私はちょっとした交流の機会があったときのた
めにと日本円のコインや記念切手を持ち歩いていたので、それを記念にプレゼン
トしました(あら?これって賄賂でしょうか?)。中国では記念切手コレクター
が多いせいか、この彼にもコインより切手のほうが喜ばれたようです。数時間に
一本しかないバスの時間が近づいた頃、彼に別れを告げてミャンマーとの国境を
後にしました。
                    (筆者は在深セン・日本語教師)

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