【社会運動】

全米に広がった遺伝子組み換え食品表示運動の行方

白井 和宏


 米国で、1996年に遺伝子組み換え作物の商業栽培が始まってから20年近くが経過した。今では、トウモロコシ、大豆、綿、砂糖大根(テンサイ)、アルファルファ(牧草)の約90%は遺伝子組み換え作物に切り替わってしまった。
 そして今ようやく全米各地で遺伝子組み換え食品の表示を実現しようとする運動が広がっている。2014年4月にバーモント州議会が、表示を義務化する法案を可決した。実施開始は2016年7月の予定であり、モンサント社をはじめとするバイオテクノロジー企業のみならず巨大な多国籍食品企業は、表示を阻止するために必死で活動している。アメリカでも表示されれば、日本のみならず世界に大きな影響を与える。
 そこでモンサント社に対する訴訟や表示の義務化運動で最前線に立ち続けてきた、米国の「食品安全センター(Center for Food Safety:CFS)」のジョージ・キンブレル上級弁護士(写真1)を招聘して、米国の状況と展望について話していただいた。(この原稿は、2015年11月20日に開催された「生活クラブ親生会総会・交流会の集い」におけるキンブレル氏の講演を基にしている。)

(写真1)食品安全センターのジョージ・キンブレル上級弁護士。
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●「モンサント社を占拠せよ」

 生活クラブ生協では1997年に「遺伝子組み換え原料原則不使用」を宣言し、食品原料はもとより、微量の添加物、あるいは家畜の飼料についても、可能な限りアメリカだけでなく、カナダやオーストラリア(ナタネ)、ブラジルやアルゼンチンなどの南米(大豆)にも広がり続けている。その結果、「非」遺伝子組み換えの原料は価格が上昇し、貴重品になった。
 その一方、ここ数年、米国内において「遺伝子組み換え食品の表示を義務化させる運動」が広がっている。2011年9月には、「ウォール街を占拠せよ」、「我々が99%だ」をスローガンに、経済界や巨大な多国籍企業に対する抗議運動が広がった。そして1年後の2012年9月には、米国を中心に世界の約70ヶ所で「モンサント社を占拠せよ」をスローガンに、世界同時アクションが実施された。消費者・生産者・環境保護団体が反対する遺伝子組み換え種子を独占的に販売するモンサント社に対して、世界中のモンサント各社やその圃場で抗議行動が行われたのである。

●米国ではなぜ遺伝子組み換え食品に表示がされないのか

 世界の64ヶ国で、遺伝子組み換え食品に関する表示制度を実施している。それにも関わらず、米国ではなぜ遺伝子組み換え食品に表示がないのだろうか。
 実は、すでに遺伝子組み換え作物の商業生産が始まる以前の1992年、遺伝子組み換えを推進するジョージ・W・ブッシュ政権当時の食品医薬品局(FDA)は、「一般の食品と比較して、遺伝子組み換え食品は、味、匂い、その他、人の感覚で判別できるような重要な差異がない」と、まるで現在が19世紀であるかのような科学的根拠のない理由を持ち出して、「表示は必要ない」という「政治的判断」を下したのである。
 それでも遺伝子組み換え食品に対するアメリカ市民の抵抗感は薄れることがなく、多くの世論調査によれば90%以上の消費者が表示を望んできた。2011年には全米各地で「消費者の知る権利」を求める請願運動が始まった。150万人を超える署名が集められ、食品医薬品局に対して「国レベルでの表示の実施」を求めて請願が提出された。

●敗北に終わったカルフォルニア州の住民投票

 2012年11月には、カリフォルニア州で遺伝子組み換え食品表示の義務化を求める住民投票が実施された。ところが事前調査では大多数の市民が「食品表示の義務化」を支持していたにも関わらず、賛成49%、反対51%という投票結果に終わった。
 僅差で敗北した原因は明白だ。巨大な多国籍企業群が、テレビやラジオを通じて大規模な反対運動を展開したためである。モンサント、デュポン、ダウ・ケミカルなどのバイオテクノロジー企業はもとより、ペプシコ、クラフトフーズ、コカコーラ、ネスレ、ケロッグ、デルモンテなど日本でも有名な食品メーカーが、約46億円もの資金を投じて反対キャンペーンを実施したのである。「食品の包材に表示するためには膨大なコストが必要であり、食品価格は大幅に上昇する」という食品業界からの“脅し”が、消費者心理に影響したとみられている。
 2013年にワシントン州でも同様の住民投票が実施されたが、その時も賛成49%、反対51%の結果で不成立。2014年にオレゴン州で実施された住民投票は、わずか837票差で不成立になった。

●全米に広がった運動

 ところがこうした敗北にも関わらず、表示の義務化を要求する運動は全米各州に広がった。2015年までの間に、33の州議会で表示の義務化を求める法案が審議され、コネチカット州(2013年)、メイン州(2013年)、バーモント州(2014年)で可決した。
 この表示運動をリードしてきたのが、全米に70万人以上の会員を擁する非営利団体「食品安全センター(CFS)」であり、今回、来日したジョージ・キンブレル上級弁護士は、10州以上の法案作成に関与してきた。他方、業界側がこの間、反対運動を展開するために投じてきた資金は1億ドル(約122億円)以上にのぼるという。

(図1)米国における表示義務化運動の広がり
  一番濃い色は法案可決、次に濃い色は住民投票実施、その次に濃い色は法案が審議された州、その他は未審議の州。
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●2014年5月バーモント州議会で成立

 そしてついに2014年5月にはバーモント州議会で、「遺伝子組み換え食品の表示に関する法律」が成立し、2016年7月に発効される予定である(コネチカット州、メイン州でも類似の法案は成立していたが、いずれも条件付きのため、実行される時期は定められていない)。
 むろんバーモント州の州法であるため、この法が適用されるのは、同州内に限定される。しかし食品業界は大手メーカーによる同一の食品が全国的に流通しているため、同州で表示が実施されれば、同じ表示の食品包材が全米で流通することになるだろう。バーモント州で販売する食品の包材にだけ「遺伝子組み換え原料を含む(含まない)」と表示するのは非効率だからだ。
 しかもバーモント州の表示制度は欧州連合(EU)並の厳しい基準であり、重量比で0.9%以上、遺伝子組み換え原料が混入していればすべて表示の対象となる(ちなみに、日本の表示制度は抜け穴だらけであり、ほとんど表示する必要がないのが実態である)。

●バイオテクノロジー業界による反撃と、バーモント州の勝利

 バーモント州では2年もかけて議論を行い、表示義務を法制化したにも関わらず、その1ヶ月後にはバイオテクノロジー業界が州政府を訴えた。驚くことに、「アメリカの憲法の下では、消費者に情報を開示しなくてもよいという権利が産業界に認められている」、「消費者の知る権利を制限することができる」というのが業界側の言い分であり、連邦地区裁判所に提訴したのである。
 ただし、「食品安全センター」のキンブレル氏側も、当然、業界側が意議申し立てをすることを想定しており、業界側の反論に対抗できるような文言を法案の条文の中に挿入しておいたという。それは、なぜ表示の義務化が必要なのかという三つの理由であった。第一には、遺伝子組み換え食品の安全性について、食品医薬品局が独自の治験を何も行っていない以上、消費者には自らの健康に及ぼしかねない情報について知る権利があるということ。第二に、遺伝子組み換え作物を栽培することによって、環境にどのような影響があるのか消費者は知る権利があるということ。そして第三に、消費者に何も知らせなければ、誤った情報がまかり通って、消費者を混乱させてしまうと州法に記載しておいたのである。
 この結果、2015年4月に連邦地区裁判所は産業界からの異議申し立て請求を棄却した。

●「暗黒法」アメリカ人の知る権利を奪う法

 しかしバイオテクノロジー業界は、バーモント州で市民が勝利したことにより、州レベルでの法廷闘争を諦めて、今度はワシントンDCで連邦議会に働きかけている。州レベルで食品表示させない法律を、アメリカの連邦法として成立させようとしているのである。
 「食品安全センター」は業界側が提出した法案を、「暗黒法:アメリカ人の知る権利を奪う法(DARK:The Deny Americans The Right to Know)」と名付けた。アメリカ人の知る権利を奪う法であり、人びとを暗闇に押し込めようとする法だからだ。
 州の権限を規制する内容が盛り込まれているこの法案は、すでに2015年7月に下院を通過している。ただし現在のところ、そのまま上院に提案されるのか、内容を修正して提出されるのかは不明であるが、予断を許さない。

(写真2)「暗黒法に反対しよう」食品安全センターHPより。
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●バイオテクノロジー業界と市民との闘い

 バイオテクノロジー業界には豊富な資金があるため、彼らは様々なメディア戦略を展開している。例えば、「まっとうな」市民団体を偽装した組織を設立し、様々な誤った情報をマスメディアに流すなど、ありとあらゆる手段を講じて世論を自分たちの味方にしようとしている。特に、テレビ広告の影響は大きいため、科学者や消費者・農業生産者を登場させて、様々な理由をつけて「食品表示反対」をアピールさせているのだ。
 それでも米国における表示の流れは止まらないだろう。すでにスーパーマーケットなどの小売業界では自主的な食品表示が広がり始めている。オーガニックやナチュラルな食品を販売する「ホールフーズ」だけでなく、世界最大のスーパーマーケット・チェーンである「ウォルマート」でさえ、遺伝子組み換え原料を使用しない食品を販売し始めている。家畜に遺伝子組み換え飼料を与えないことで知られる乳製品のブランド「オーガニック・ヴァレー」も全米で大きく売上げを伸ばしている。
 モンサント社が繰り返し、遺伝子組み換え作物の「安全性」や「環境への優しさ」をアピールしたところで、「除草剤」の使用量は急増している上に、除草剤では枯れない「スーパー雑草」は拡大し続けている。その結果、さらに危険な除草剤まで使用されるようになっているのは誰もが知っている事実だ。遺伝子組み換え食品表示を実現させる運動とは、健康と環境を守るためのバイオテクノロジー業界と市民との闘いなのである。

(写真3)飛行機による除草剤の散布。除草剤の使用量は、この15年間で5倍以上も増えた。
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<参考図書>
『それでも遺伝子組み換え食品を食べますか?』アンドリュー・キンブレル/著、福岡伸一/監修、白井和宏/訳 筑摩書房(2009年刊)
『すばらしい人間部品産業』アンドリュー・キンブレル/著、福岡伸一/訳 講談社(2011年刊)
※アンドリュー・キンブレル氏は食品安全センター事務局長。

 (筆者は「社会運動」編集長・オルタ編集委員」

※この記事は『社会運動』421号 http://cpri.jp/social_movement/201601/ から著者の許諾を得て転載したものですが文責はオルタ編集部にあります。
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