【沖縄・砂川・三里塚通信】

元ネトウヨ、故翁長知事の息子が語る沖縄の保守

仲井 富


●はしがき

 沖縄がオール沖縄島保守革新の壁を超えた共闘を組んでから、県知事選、参議院選、総選挙と連戦連勝を続けている。これは旧来の社共共闘や護憲九条守れだけでは説明がつかない。やはり亡き翁長知事が常に言ったように、日米安保は認めるが、沖縄に70%の基地があるのは不当だということと、沖縄の基地は米軍によって占領下に強制的につくられたもので、未だかつて沖縄県民の意思で基地を受けいれたことはない、まして辺野古新基地は新たな基地造成であり全体に受け入れることはできない、という沖縄の保守を含めた全体的な県民の総意が支えているからだ。
 県民投票も、辺野古反対と賛成の立場に立つ二人の青年の合意を出発点に、沖縄自民や公明の良識派の同意で全県民投票が勝ちとられた。以下の「元ネトウヨ、故翁長知事の息子が語る沖縄の保守」も、大学生時代はネット右翼だった、翁長知事の息子翁長雄治が、オール沖縄の運動に関与し、ついにはデニー選対の青年部長として闘争の前面に立った歴史と背景は、オール沖縄という保革を超えた合体が勝利を呼び込んでいることを理解させる。安易な社共共闘論や改憲反対だけでは語れないオール沖縄の実態を理解する上で是非読んでいただきたい。
 以下は論座2018年12月14日の対談の一部である。
     仲井 富 (『オルタ広場』編集委員 公害問題研究会代表)
        ____________________

元ネトウヨ、故翁長知事の息子が語る沖縄の保守
  亡き父の後を追い政治家になった次男・雄治氏が発する沖縄保守から本土への異議
  翁長雄治 那覇市議
   <論座 2018年12月14日> (聞き手・WEBRONZA編集長 吉田貴文)

◆ネトウヨバリバリだった大学時代

――雄治さんは祖父から3代続く保守政治家の家系の生まれです。選挙はお手のものでは?

翁長 祖父は生まれたときには亡くなっているし、父も家で政治の話はしなかった。〝帝王学〟を仕込まれるなんてこともなかった。むしろ、我が家には『政治は家業ではない』という家訓があり、できるだけ政治から遠ざかるように言われていました。だから、父の選挙も母は僕を選挙事務所に行かせたくなかった。僕は物好きなので、勝手に遊びにいってましたけどね。選挙を本格的に手伝ったのは大学生から。父の那覇市長選が最初です。

――その頃から政治に興味を持つようになったのでしょうか?

翁長 正確には大学4年だった2009年、民主党が自民党から政権を奪取した年です。当時の僕はネトウヨバリバリ。

――ネット右翼ですか。

翁長 そうですね。SNSにあがる、韓国は悪い、中国はとんでもない、民主党はダメな党といった右派のコメントをずっと読んでいく。そして、共感のコメントを書き込んでいました。

 あの頃、日本は雰囲気がおかしかった。マスコミは政権交代をあおり、盛り上がっていた。僕はマスコミの報道は偏ってもいいと思ってるんです。でも、皆が同じ方向を向くのは変です。流れで民主党に票を入れるのは、いかがなものかと感じていました。保守政治家の息子として根っからの自民党支持で、自民党の敵は自分の敵という意識もありましたけど……

――新聞やテレビといったメディアが政権交代ブームに踊っていたのは確かです。

◆ネトウヨの主張は思い込み、SFの世界

翁長 真実はネットにあり、マスコミにはないと信じてました。ところが、次第にネトウヨに疑問を抱くようになった。最大の転機は父がネットで叩(たた)かれたことです。

――いつごろですか?

翁長 2012年末に民主党政権から自民党の安倍晋三政権に代わった後、那覇市長だった父が東京で「普天間基地の県外移設、オスプレイ配備反対」の行動をしたのを境に、ネット上に「翁長の長女は中国の外交官と結婚」「次女は北京大学に入学」なんてデマがあふれました。あまりにアホっぽい作り話に、姉たちと笑っていましたけど。

――笑っていた?怒るのではなくて。

翁長 姉はそもそも独身だし、中国の外交官を連れてはこられんだろう。次女も北京大学には、いくらなんでも入れん。俺たち、そんなに賢くないからねって。次女からは「受けてみんと分からないやん」と怒られましたけどね。

――保守の翁長雄志さんが反基地を言うようになったのはどうしてですか?

翁長 那覇市長になった2000年ごろから、米軍基地について「ほんとうにこのままでいいのか」という話しはしているはずです。少なくとも、市長2期目以降は公言するようになっていると思います。辺野古移転にしても、そもそも沖縄は両手をあげて容認したわけではない。もともと期限付き。小泉純一郎政権でこれが反故(ほご)にされたあたりから、知事も含めてみな、反発しているんです。ただ、小さな県の一市長が発言したところで、世間には届かない。当時、父はそれほどの政治家ではないですから。

――それがネトウヨから目の敵にされるほどメジャーになったのはどうしてでしょうか。

翁長 「言葉」の強さじゃないですか。保守のど真ん中でやってきた人が、自民党から離れることも恐れずに、基地反対を強い言葉で主張し、本土の保守を問い詰める。多くの人が翁長は本気だと信じてくれたのだと思います。

――いずれにせよ、お父さんの雄志さんへの理由のない攻撃を見て、ネトウヨに疑問を持つようになったわけですね。

翁長 他の点では意見が一致するけど、翁長雄志については妙なことを言う。なんか、こいつらおかしくないか。そう思い始めると、民主党や中国、韓国が悪いという主張もあやしく見えてきた。新聞は少なくとも、取材をちゃんとして書くけれど、ネットは取材も何にもない。ネトウヨの主張は事実ではなく、思い込み。自分がそうだと思うことを書いているだけ。SFの世界なんです。

◆県知事選でツイッターを始める

――ただ、ネットの影響力はますます大きくなっています。雄治さんも最近、ツイッターを始めたとか。

翁長 県知事選の時から始めました。ハッシュタグの付け方も分からない素人でしたけど、いまはフォロワーが6,500ぐらいですね。選挙が終わったらやめるつもりだったんですが、ふだんからフォロワーをつなぎとめておいて、大事なときに発信するのも手かなと思って続けています。

――慣れましたか。

翁長 いや、まだ。気をつけているのは、真実を書くこと。翁長雄治のツイッターはウソは書いていないという信頼感をどうつくるかですね。

――炎上はしませんか。

翁長 僕、炎上はあまりしたことはなくて。ただ、ネトウヨはついてきてくれるので、いろいろ書かれてはいますが。

――ついてくる?

翁長 ネトウヨが絡んでくる。一番笑ったのは、ラーメンを食べたと書いただけで、叩かれたことですね。「沖縄の貧しい子たちを尻目に食うラーメンはうまいか」って。俺はラーメン食うのもダメなんか、と思いました。ただ、変に反応しても仕方ないので、基本的には無視しています。

◆米軍基地の反対者はすべて敵。でも……

――なぜ、ネトウヨは保守の政治家である翁長さんを叩いたのでしょうか。

翁長 米軍基地に反対する人はすべてネトウヨの敵です。でも、ネトウヨは自分の地元に米軍基地ができるのは嫌。米軍を引き受けようとは一切言わない。おかしいでしょ。ただ、それはネトウヨだけじゃない。保守の人たちも、国を守るために日米安保は大切と言いながら、なぜ本土で基地を受け入れないのかと父が問うたら、みんな黙る。結局、これが本土の保守。

 保守の政治家にとって最も大切なのは、国と地域を守ることでしょう。僕みたいなペイペイが言ったら怒られるかもしれませんが、国防を真剣に考えている政治家がどれだけいるのかと思ってしまいます。口では国を守るといっても、軍隊も遠い、自衛隊も遠い人たちの言葉に聞こえる。リアルがない。

――戦闘機や軍艦など兵器が目の前にある沖縄は、ある意味、戦争のリアルがありますね。

翁長 そうです。本土にはそういうリアル感はない気がしますね。

◆人情があり話ができた経世会の政治家

――かつては自民党にも沖縄の窮状に理解を示す政治家がいました。橋本龍太郎首相は普天間飛行場の返還合意をまとめ、小渕恵三首相は「沖縄は第二の故郷」と言って、沖縄振興に尽力した。いずれも派閥は田中・竹下派の系譜を引く経世会(現平成研究会)でした。

翁長 父と小渕さんにはエピソードがあります。父は県議初挑戦の時、自民党から公認をもらえなかった。それに小渕さんが怒り、沖縄まで来て、「自民党が公認しなくても、小渕が公認する」と公言して、応援してくれたと言います。そのあたり、父から詳しく聞く前に死んじゃったのですが……

 思えば経世会の政治家には人情があり、話ができた気がしますね。小渕首相が倒れ、岸・福田派の流れをくむ清和研の森喜朗さんが首相になったのが転機でしたね。以後の首相は小泉純一郎さんをはじめ、ほとんどが清和研。清和研の議員は沖縄とあまり縁がなく、沖縄に厳しい。

――安倍晋三首相は清和研ですが、自民党には経世会の系譜の政治家もいるはずです。沖縄と積極的にかかわろうとする自民党議員が少ないのは、なぜでしょうか。

翁長 自民党にもリベラルな考えの先生もおられるのですが、小選挙区制の下、党本部や首相官邸に刃向かえないというのも大きいでしょう。

――小選挙区制は影響が大きいですか。

翁長 中選挙区制のころと違い、小選挙区のもとでは、とにかく党本部や官邸に反対したら当選できない。対立候補を立てられるかもしれないし、お金ももらえないかもしれない。みんな怖いんですよ。ただ、それが自民党の幅を狭めているとは思います。沖縄にゆかりがある方には、ぜひ沖縄に思いを寄せていただきたいのですが……

◆保守こそ多様であるべきだ

――翁長雄志さんは沖縄のアイデンティティーを守りたいと言った。それこそが沖縄の保守の思想なのでしょうか。

翁長 保守とは、先人がつくりあげてきた地域や国を守ることだと思います。その意味で、僕は日米安保には賛成です。国の平和は沖縄の平和ですから。ただ、沖縄は本土と違う悩みを抱えている。それは、繰り返しになりますが、本土と比べて、米軍基地をあまりにも多く引き受けているという現実です。それが沖縄の経済的な発展を妨げるなら、基地の加重な負担には反対する。

 沖縄が全国の米軍基地の10%ぐらいを引き受けているのなら、沖縄の人も我慢したかもしれない。でも、70%というのはあまりも多過ぎる。だからこそ、本土の保守と対立しても、基地反対を主張することが、沖縄の保守のつとめです。

――保守の大本が、国を守ること、地域を守ること、国を守ること、生活の安定を守ることだすれば、場所によっていろんな保守があっていい、と。

翁長 僕は保守こそ多様であるべきだと思います。イデオロギーに縛られる革新より、違いを認める。その点でネトウヨは保守ではない。自分の信じることだけを言い募り、他を認めないのは間違いです。ただ、いまの日本は、どこもみんな排除の論理なのかもしれない。自民党もそうなっている気がします。

――そうした沖縄の現状を、本土の人にどうやって知らせようと思いますか。

翁長 僕は政治家になりたかった。そんななかで僕は少なくともステージには立った。まだペイペイですが、こうしてマスコミのインタビューを受けたり、ツイッターなどで発信したりして、父・雄志が何を考えていたかをまずは伝えたい。イデオロギーは横に置き、生活のために多くの人と連携する保守でありたい。

 ネトウヨは僕が何を言っても、例えば「保守は多様だ」と言っても、「ちげえよ」とからんでくるでしょう。そんな極端な人たちは脇において、極右、極左の間にいる6割の良識ある人たちに訴えることが大切だと思います。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
最新号トップ掲載号トップ直前のページへ戻るページのトップバックナンバー執筆者一覧