【俳句とエッセイ】

- 未知との出会い -          富田 昌宏

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 老いもまた未知との出会い桐一葉
   Aging also means Encountering the unknown Early fall

 新老人(75歳)まであと1年もある。そんな心の余裕から“老いもまた未知
との出会い桐一葉”が自然に口をついて出た。翌年、遊び心で“胡麻干して関
八州の隅に老ゆ”を詠んだ。この句、路傍の石全国俳句大会で知事賞を受賞し
たが、先輩(97歳)に「老いはまだ早い」と叱責され、以後私の手帳からこの
文字は消えた。

    胡麻干して関八州の隅に老ゆ
 
そして昨年、九月八日の誕生日に喜寿を迎えた。次の三句は今年正月の感想で
ある。

   初釜や喜寿を迎へ干支茶碗
   不器用に生きて喜寿たり薺粥
   耄碌の齢にはあらず寝正月

 庭の紅白の梅は満開である。それに見惚れながら

   喜寿よりの余白手つかず梅真白

 と詠んでみた。“余生”でなく“余白”としたのは、まだまだこれからという
気概であり、真白な余白にデッサンを描く楽しみがあるからである。この“余白”
は久保田兄と共同発行した雑誌『余白』が念頭にある。“梅真白”は軽すぎるか
もしれない。そこで年相応にと次のように直してみた。

   喜寿よりの余白手つかず臥龍梅

 まもなく桜の季節が到来する。屋敷には岐阜から取り寄せた薄墨桜が七本あ
り、季節には来客で賑わう。
 
 ユダ一人居る筈なれど花筵
 
 花が散り始めると筍の季節。毎朝筍堀りに余念がない。掘った筍は近くの
農産物直売所に出荷する。新鮮さが売りものだけに飛ぶように売れる。そ
して竹落葉の季節である。

    竹落葉刻(とき)が斜めに流れゆく

 竹落葉の空間に身を委ねながら、過ぎ去った年月を想起し、未知の空間と時
間に思いを馳せる。至福の一刻でもある。

 書き忘れたことが一つある。今年の正月、子や孫たちが相集い、私たち夫
婦の金婚を祝う会を開いてくれた。これも至福の時間であった。
ここは平凡に――。

    金婚の宴の円かや福寿草

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