【コラム】
風と土のカルテ(53)

住民とのコミュニケーションに欠かせないもの

色平 哲郎

 前回の当コラムで、公衆衛生を主体的に担おうとしている若い世代の医療者が「プライマリヘルスケア」(PHC)を歴史的に学ぼうとする姿勢について触れた。背景には高度に細分化された医療技術だけでは人びとの健康を保ち得ない現実があり、経済力や周囲の仲間とのつながり、生活習慣といった健康の社会的決定要因(SDH)の大切さを見直そうとする機運が高まっていることに言及した。

 ここでもう一歩、PHCの実践活動に踏み込んでみたい。1978年の国際会議で採択されたアルマアタ宣言では、PHCについて「すべての人にとって健康を、基本的人権として認め、その達成の過程において、住民の主体的な参加や自己決定権を保証する理念であり、方法・アプローチでもある」と定義づけている。

 キーワードは「住民の主体的な参加や自己決定権」である。ふだん大病院にいて、目の前の患者さんを次から次へと診察しなくてはならない勤務医にはピンとこないかもしれないが、住民参加こそPHCの核心といえるだろう。

 そもそも病院や診療所が存在している限り、立地している地域とかけ離れた医療は成り立たないはずであり、わざわざ「地域医療」と呼ぶのは変な話なのだ。
 逆にいえば、地域医療と呼ばなければならないほど、日本医療は長く地域を等閑視してきた。PHCへの関心の高まりは、そうした状況からの揺り戻しの動きといえそうだ。

●「農民とともに」の真意

 地域に根づいた医療を展開するには、そこで暮らす住民のニーズを掘り起こし、対応しなくてはならない。そのためには医療情報の少ない住民と医療者とが平らな関係でコミュニケーションを図り、言語化されにくいニーズをつかむ必要がある。ここに住民参加の意義がある。

 佐久総合病院の名誉総長、故若月俊一医師は、PHCの概念確立のはるか前から、「農民とともに」のスローガンを掲げて医療を実践していたが、その真意を次のように述べている。

 「私たち技術者と農民とは、まったく対等でなければ駄目ですね。私たちは、かつては『フォア・ファーマーズ』(for farmers/農民のために)というスローガンでやってきました。昭和20年代前半です。しかし、昭和20年代後半になって、それではまずいということに気がついて、『トゥゲザー・ウィズ・ファーマーズ』(together with farmers/農民とともに)というスローガンに変えたんです。『フォア』といえば、『上から与えてやる』姿勢があるじゃないかという自己批判からです。つまり、問題は、私たち技術者が農民よりも一段高いところにいて、『遅れた』農民の啓蒙指導をしてやろうという気持ちですね。それは医学技術だけについては、そう言えるかもしれません。でも、人間全体としては、農民のほうが、いろいろな社会的苦労をしている。医者が思い上がって、農民を『指導』してやろうという気持ちが強かったら、ほんとうの農村医療の『運動』はできないと思うんです」
 (若月俊一『若月俊一著作集第7巻』42ページ、労働旬報社)

 言葉は平易だが、今風にいえば「上から目線を捨てろ」と言い切っている。医師の覚悟の問題だ。そして、若月先生は、農民との対話には、理屈だけではなく、「センチメンタル・ヒューマニズム」が大切だと説く。例えば、環境学者・宇井純氏らとの共著で、農薬の害についてこう語っている。

 「農家の父ちゃんや母ちゃんにも、農薬の害について『われわれ医者は、あんたたちの体に悪いものは悪いってことをやっぱり言わないわけにはいかないんだ。これは別に、イデオロギーとか思想なんかではないんだ。医学の使命みたいなもんだ。あんたたちが作ったものが国民の害になるんじゃまずいじゃないか。そりゃあんた方が命懸けでやっている気持ちはよくわかるけれど、しかし、あんた方が命懸けで農業をやること自身だって問題がありゃしないか』。この辺の説明はどうしてもセンチメンタルにならざるをえない」
 (『続・現代科学と公害』115ページ、勁草書房)

 若月先生は、太平洋戦争に敗れた日本が廃墟から立ち上がる過程で、「農民とともに」と掲げ、地域に根づいた医療を築き上げた。時代は変わっても、ロゴス(理性)とセンチメンタル・ヒューマニズム、この両者が住民との対話に不可欠であろうことはいうまでもなさそうだ。

 (長野県・佐久総合病院・医師・オルタ編集委員)

※この記事は著者の許諾を得て『日経メディカル』2018年9月28日号から転載したものですが文責は『オルタ広場』編集部にあります。
 https://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/blog/irohira/201809/557936.html

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