【コラム】
中国単信(72)

中国茶文化紀行(9)盧仝

趙 慶春


 中国茶文化史上の有名人となると、陸羽に次いで盧仝(ろどう)が登場すべきだろう。なぜなら盧仝は「茶聖・陸羽」に次ぐ「亜聖」だからである。
 しかし、それにも関わらず管見するに陸羽が多くの人からその名が知られているのに対して、盧仝はその名前さえ知らないという人が「意外」に多く、私の調査では半数以上に昇った。調査の対象者が全員、愛茶家だったにも関わらずである。
 唐・宋・元・明・清、いずれの時代を通しても中国古代社会では、茶人にとって盧仝の人気は絶大で、陸羽に引けを取らないほどだった。盧仝(775?~835)は陸羽(733~804)より四十歳ほど若いが、同時代を生きた人間といえるだろう。
盧仝は政治事件に巻き込まれて、非業の死を遂げたからだろうか、彼の茶について触れた作品(詩)は少なく、四首の詩のみである。

 1、「示添丁」詩は「宿舂連暁不成米、日高始進一碗茶。(夜の臼舂きが夜明けまで続いてもまだ米にならず、日が高く上ってからようやく一碗の茶を啜ることができた)」と詠んでいる。

 2、「蕭宅二三子贈答詩二十首·客謝竹」詩に「必有煎茶厄(必ず煎茶厄がある)」とある。「煎茶厄」とは盧仝が王莽の「水厄」という典故に基づいて作った新しい言葉であるが、後世にはあまり広まらなかったようである。

 3、「走筆謝孟諌議寄新茶」(孟諌議の新茶を寄せるに謝して走筆す)
  日高丈五睡正濃、   日高く一丈五尺にして、睡り正に濃く、
  軍将打門驚周公。   軍将は門を打ちて周公を驚かす。
  口云諌議送書信、   口に言うには諌議(かんぎ)が書信を送れりと、
  白絹斜封三道印。   白絹、斜めに封ず三道の印。
  開緘宛見諌議面、   緘を開けばあたかも諌議の顔を見るがごとく、
  手閲月団三百片。   手に団茶を閲(けみ)す三百片。
  聞道新年入山里、   聞道(きくなら)く新年に山裏に入れば、
  蟄虫驚動春風起。   蟄虫(ちつちゅう)驚動(きょうどう)して春風起る。
  天子須嘗陽羡茶、   天子須(すべか)らく陽羡(ようせん)の茶を嘗(な)むべく、
  百草不敢先開花。   百草敢えて先に花を開かず。
  仁風暗結珠琲瓃、   仁風が暗(ひそ)かに結ぶ珠琲(しゅはい)の瓃(=つぼみ)、
  先春抽出黄金芽。   春に先んじて抽出す黄金の芽。
  摘鮮焙芳旋封裹、   鮮を摘み芳ばしきを焙じ旋(ただ)ちに封じつつみ、
  至精至好且不奢。   至精至好、且つ奢(おご)らず。
  至尊之余合王公、   至尊の余りは王公に合い、
  何事便到山人家。   何事ぞ便(すなわ)ち山人の家に至れる。
  柴門反関無俗客、   柴門反関(=外からの施錠)して俗客無きも、
  紗帽籠頭自煎喫。   紗帽に頭を籠(こ)めて自から煎じて喫(の)まん。
  碧雲引風吹不断、   碧雲は風を引き吹きて断まず、
  白花浮光凝碗面。   白き花は光を浮かべて碗面に凝る。
  一碗喉吻潤。     一碗、喉吻(こうふん)潤し
  两碗破孤悶。     両碗、孤悶(こもん)を破る。
  三碗搜枯腸、     三碗、枯腸(こちょう)を捜し、
  唯有文字五千卷。   ただ文字五千巻有り。
  四碗発軽汗、     四碗、軽き汗を発し、
  平生不平事、     平生不平の事、
  尽向毛孔散。     尽(ことごと)く毛孔に向いて散ず。
  五碗肌骨清。     五碗、肌骨(きこつ)清く、
  六碗通仙霊。     六碗、仙霊に通ず。
  七碗喫不得也、    七碗、喫して得ざるなり、
  唯覚两腋習習清風生。 唯だ覚ゆ 両脇習習として清風の生ずるを。
  蓬莱山、       蓬莱山、
  在何処、       何処に在りや、
  玉川子、       玉川子、
  乗此清風欲帰去。   この清風に乗りて帰り去らんと欲す。
  山上群仙司下土、   山上の群仙は下土(かど)を司(つかさど)り、
  地位清高隔風雨。   地位清高にして風雨を隔つ。
  安得知百万億蒼生命、 安(いずく)んぞ知るを得ん百万億の蒼生の命、
  墜在巔崖受辛苦。   堕ちて巔崖(てんがい)に在りて辛苦を受くるを。
  便為諌議問蒼生、   便ち諌議のために蒼生に問う、
  到頭還得蘇息否。   到頭還た蘇息を得るや否や。

 4、『憶金鵝山沈山人二首(その一)』
  君家山頭松樹風、   君の家がある山頂の松樹の風が、
  適来入我竹林裏。   我が竹林のなかに入ってくる。
  一片新茶破鼻香、   一片の新茶が鼻を直撃するほど香る、
  請君速来助我喜。   君よ、早く来て私が喜びを助けてくれたまえ。
  莫合九転大還丹、   九転大還丹を練ってはいけない、
  莫読三十六部大洞経。 三十六部の大洞経(=道教経典)も読んではいけない。
  閑来共我説真意、   閑暇ならば私と共に真意を説き、
  歯下領取真長生。   歯のもとで真の長生を獲得しよう。
  不須服薬求神仙、   薬を服して神仙を求める必要はない、
  神仙意智或偶然。   神仙の意智を得られてもそれは偶然のことなのだ。
  自古聖賢放入土、   聖賢は土の上に放っておき、
  淮南鶏犬駆上天。   淮南の鶏犬(=登仙する時のとも)を天上に追い出せばよい。
  白日上昇応不悪、   白日でも昇天(意識上の得度)すればきっと悪くない、
  薬成且輒一丸薬。   薬ができてもそのままにしておけばよい。
  暫時上天少問天、   一時的にでも天に上れば、天に問うことをしないで済む、
  蛇頭蝎尾誰安着。   蛇頭蝎尾など誰が使うものか。

 以上の4つの詩のうち、第1首と第2首は特徴も後世への影響も薄いので、ここで省略する。
 第4首は「大還丹」「大洞経」「服薬」「求神仙」など中国の土着宗教と言える道教と比較して、「不老長寿」や「仙人になる(上天)」ことを追求する道教の修行や薬は不要、茶によってその効果が十分得られると詠っている。盧仝がこの詩で強調したのは茶の薬用効果ではなく、茶の陶酔感などの精神効果である。陸羽の喫茶法の是正を重視した姿勢と対照的に、盧仝は茶の精神効果を全面的に前に打ち出しているのである。
 ただし、この第4首の詩の影響もそれほど大きくない。盧仝の茶文化における貢献はひとえに第3首に依っている。

 この第3首こそ、茶文化歴史上で有名な「七碗茶詩」であり、数多くの茶人に引用され、踏襲され、幅広く共鳴されている名作である。それだけでなく詩中の「喉吻潤」、「破孤悶」、「搜枯腸」、「文字五千卷」、「毛孔散」、「肌骨清」、「通仙霊」、「两腋習習」、「清風生」、「玉川子」、「乗此清風」などの表現も喫茶精神論、あるいは喫茶境地の代名詞になっていて、他の3首の比ではない。
 盧仝はこの1首、わずか262文字の詩で「亜聖」の名誉を掴んだと言っても言い過ぎではないだろう。盧仝はこの詩で喫茶の陶酔感や爽快感を絶妙に描写しただけではなく、後世の茶人に喫茶精神を自由に想像させ、自由に発揮させる空間を作り出した。盧仝はこの詩によって喫茶の精神性を高い境地に引き上げたのである。そして、その境地で何の制限もなく、何の束縛もない、誰でも自由に表現できるオープンな空間を提供したのである。

 後世の茶人が盧仝の詩句を詠み、盧仝を持ち出したのは、盧仝を踏襲し、盧仝の後を追っていたわけではない。あくまで盧仝が作り出した「自由な空間」「オープンな空間」に立って、同じ文化的雰囲気を享受しながら、自己陶酔し、自己表現をしていたのである。これは盧仝「七碗茶詩」の最大の魅力であり、中国茶文化の精神性に対する貢献である。

 陸羽は喫茶作法において規範を作ったが、盧仝は喫茶の境地において規範を取り去ったのである。陸羽の作法の規範は合理性への追求からで、中国茶が常に美味しさを追求していく方向性を定めた。盧仝が喫茶思想に関する制限の枠を取り除いたことで、精神性への追求をより自由に発展させていく方向に導いた。「喫茶自体は合理的に美味しさを追求」と「精神的には自由に個性を追求」は中国茶文化の二大特徴である。だからこそ盧仝が「亜聖」と称賛されているのである。

 ちなみに、前述したように盧仝の影響は現代になると、次第に薄れてきた。その理由は以下の三点が考えられる。
 1 儒教思想を共有する唐代のような時代と異なり、現代の価値観は多様化し、むしろすでに盧仝が提供した空間の包容能力を遥かに超えてしまっている。
 2 飲み物の多様化、生活様態の複雑化により、喫茶活動に精神性を求める機運も薄れてしまう傾向がある。この点は「修行性」を重視し、組織化された日本茶道と異なっている。
 3 文化大革命により、茶と仏教や道教などとのつながりが断たれてしまい、難解な宗教性を身近な茶で象徴し、発信していく機能が次第に薄れてしまった。

 古代から現代へ移るにしたがい、盧仝の知名度が薄れてしまったのは何を意味しているのだろうか。良く言えば、中国茶文化はいっそう個性的になってしまったからであり、悪く言えば、中国茶文化の精神性が明確さを欠いてしまい、曖昧になってしまったからである。

 (大学教員)

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