【コラム】技術者の視点

中国畏るべし

荒川 文生


 人間の生活を便利で豊かにしてきた営みの技(わざ)や術(すべ)は、情けを報らせるもの(情報)として、或いは人伝手に、また、文書などで、時間と空間を超えて伝えられてゆきます。勿論、伝えたくても伝わらないものも少なくありませんが、工学の分野の知識は、伝搬の障壁と為るものが少ないと考えられます。日本では、1880年代から「文明開化」の掛け声のもと、欧米の知識や製品が導入されました。その後、太平洋戦争の時期にその流入が途絶えましたが、戦後の「復興」を契機とする経済の高度成長は、欧米からの知識や製品の導入によって、大いに促進されました。その下地には、永い歴史と伝統に育まれた日本の高い文化が有りました。1970年代に為ると、隣国中国がそれらの「成果」を導入し「自力更生」を図りました。
 この時期に在る日本の高名な工学部教授が、電子計算機を駆使して旧来の工学を新たなものに集大成した教科書を出版した所、それが直ちに中国語に翻訳され活用されました。更に中国の関係者は、その教授を招聘し、直接その教えを乞いました。この種のものは、日本で初版2〜3千部も出れば良しとされるところ中国では初版1万部が出版され、日本語版に在った誤植などの誤りが全て修正されて居たそうです。しかも、当時日本では、中国が「文化大革命」で、学者も地方で農業に従事し、学問研究は停滞していたと報じられていた時でした。さらに、その教科書には、著者の「まえがき」に先立ち毛沢東語録の一節が掲げられており、そこには「海外の先進的知識を大いに吸収すべし。但し、鵜呑みにしては為らぬ」と記されて居たそうです。
 ところが、この教授、帰国直後にはこのような事に就き単に「中国が海賊版を作り・・・」と言った話をするだけで、その背後にあった中国の文化的底力については、知ってか知らずか、何も公表せず、30年もたった最近に為って、「中国 恐るべし」と後輩たちの集まりで昔話をしたのでした。

 それは恰も、30年前に中国の「真実」を伝えることは、時流に乗って居らなかったので憚られ、今、「中国脅威論」が語られる時には、「時宜に適して居る」と判断されたかの如くで在ります。日本で中国に関する情報が、あまりに偏っている中で、学問研究に従事し、それ故に「真実」を知り、一般に伝えることを基本的倫理とすべき者が、このような有様では「曲学阿世」の謗りを免れることが避けられないのではないでしょうか? 1945年夏の敗戦から学ぶべき事のひとつとして、隣国中国がどの様な国で、どのように対応すべきかと言う事があった筈です。そのことを踏まえれば、この教授は、30年前の帰国直後に「中国 畏るべし」と言うべきであったのでしょう。
 今や中国は「自力更生」を卒業し、「輿時倶進」(与えられた時代と共に進む)を標榜して居ます。日本を追い抜いて世界第二の経済大国に成長した自信が、国際社会の中に自らを位置づける途を大局的に見通して居るかの如くです。翻って、日本はこの大局観を見失い、太平洋戦争に盲進したような外交的孤立への途を盲目的に進み始めては居ないでしょうか。絶望的敗戦から経済力を頼りに「復興」を遂げるべく立ち上がった1945年の夏がまた同じように巡って来る筈も無く、盲目的進路の果ては国家の崩壊と為るでしょう。

 夏巡り今更中国畏るべし  (青史)

 (地球技術研究所代表)


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