【海峡両岸論】

中国公船の侵入は何だったのか

岡田 充


 日本政府が尖閣諸島(中国名 釣魚島)を国有化してから9月11日で4年。この8月には、中国漁船と公船が大挙して周辺海域に入り(写真1)外交問題に発展した。「大挙侵入」の理由と背景はナゾに包まれたまま、大騒ぎしたメディアも説得力のある謎解きは出来なかった。中国の尖閣政策は国有化を境に大きく変化した。この4年でどう変わったのかを整理する。

(写真1)海上保安庁HPから
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◆◆ 「奪取」から緊張演出説まで

 ニュースにも“夏枯れ”がある。8月に「閑古鳥が鳴く」のは客商売と同じ。だがこの夏は「大繁盛」だった。中国海警局の公船2隻と中国漁船6隻が8月5日、久場島沖の12カイリ内に、初めて同時に入ったのだ。杉山晋輔外務事務次官は程永華駐日大使を呼んで抗議したが、周辺海域には連日300隻近い中国漁船が押し寄せた。さらに7日には計13隻の公船が接続水域に入り、国有化直後の2012年9月18日の12隻を上回る過去最多になった。今度は岸田文雄外相が9日、程大使に「日中関係を巡る状況は著しく悪化している」と抗議する事態に。接近した公船数は8日をピークに、25日まで続いた。
 いったい何が起きたのだろう。中国公船は、尖閣海域では通常3隻で航行する。だから今回が尋常でないのは明らかだ。メディアは北京の意図について「領有権主張に向けた既成事実化が狙い」(官邸筋)「南シナ海紛争の仲裁判断を巡る日本の対応に反発」(外務省筋)などという観測報道をした。メディアの報道内容は(1)仲裁裁定に対する日本への反発(2)中国内政との関係(3)尖閣奪取の試み—の三つにざっと分類できる。(1)は官邸・外務省筋の見方と同様「仲裁裁判所の判決に対し、日本が判決受け入れを強調したことへの反発」「南沙問題から関心をそらす狙い」とする見立て。(2)は「共産党指導部が重要事項を協議する『北戴河会議』の開催時期と重なり、習近平総書記が対日強硬姿勢を打ち出し求心力を高めようとした」という見方である。
 (1)(2)の見立ては、何となく「据わり」がよく、それらしくみえるのだが、状況証拠に基づく憶測にすぎず、明確な根拠があるわけではない。では(3)の「尖閣奪取」はどうか。中国漁船には「100人以上の海上民兵が乗り込んでいた」と“特ダネ”風に伝えたある新聞は「尖閣奪取」の意図を言外にほのめかした。さらに全国紙のWEBサイト(29日)は、8月11日に起きたギリシャ貨物船と中国漁船の衝突事故は「偽装」で、海保が行方不明者の捜索に気をとられている隙に、人民解放軍が島を奪うというフィクション仕立ての長い物語を掲載した。「軍事専門」を自称する、妄想記者の「白日夢」である。

◆◆ 日中共同管轄が「新現状」

 本題に入る。中国は1971年末から尖閣の領有権を主張しているが、日中の指導者は「棚上げ」で暗黙の了解に達したとする。2010年9月7日に起きた中国漁船と巡視船衝突事件では、当時の菅直人・民主党政権が船長を釈放せず、日本の司法手続きで処理したことを「棚上げ合意違反」と批判。さらに12年9月11日の国有化でも、「暗黙の了解」を東京が破ったとして、中国公船を12カイリに入れる報復措置をとった。
 国有化以前、中国は例外を除けば公船を入れなかった。日本の領有権を認めたわけではないが、「棚上げ」路線に沿って日本の実効支配(管轄権)を事実上認めていたのである。それが国有化以後、海警船が定期的に12カイリや接続水域に入るようになった。公船接近を常態化させ、中国も実効支配している「実績」を重ねるのが目的である。「尖閣諸島を力で奪おうとしている」と危機感を煽るメディアがあるが、正しくない。
 習近平は2013年7月末、政治局学習会で領有権紛争処理の原則として〈1〉領有権はわが方にある〈2〉争いは棚上げ〈3〉共同開発—の三点を挙げた。尖閣でも南シナ海でもこれが北京の基本政策であり、棚上げと共同開発こそが紛争処理の原則である。
 日本側は「棚上げ」を認めていないが、実は中国側は国有化後も「棚上げ」を主張している。「棚上げ」の対象は「現状」だが、国有化以降「現状は変化した」というのが中国側の認識だ。新たな現状とは、日中がともに実効支配している「現状」であり、その最終目標は尖閣周辺海域の「共同開発」にある。
 日中両国は2014年11月、安部首相訪中の際「4項目合意文書」を交わした。その第3項が尖閣問題に関する項目で、「対話を通じて不測の事態を避ける」とうたった。これは北京からみれば「新現状に基づく新たな棚上げ合意」になる。

◆◆ 脅威あおり防衛予算増額?

 中国公船の「侵入」は8月25日以降収まった。メディアはその理由を、9月初め杭州で開かれた主要20カ国・地域(G20)首脳会議を前に「中国側が自制した可能性」と読み込んだ。G20のスケジュールははるか昔に決まっていたのに… では公船を侵入させることによって「仲裁裁定に対する日本の対応への反発」や「対日緊張を煽って党内結束を図る」目的は達成できたから止めたというのだろうか。さらにG20を前に「奪取」を試みるとすれば、無謀な冒険と言うほかはない。
 北京の言い分にも耳を傾けよう。中国外交部は9日「中国固有の領土であり、争いのない主権がある」とした上で「正常なパトロールは中国固有の権利」と主張した。同時に4項目合意に触れ「双方が緊張や複雑化を避けるようにすべき」とコメントした。要するに日本に対し「事を荒立てる意図はない」とのサインを送ったのである。この間、中国の官製メディアが公船問題について一切報道を控えたことも、早期鎮静化を希望していた傍証になる。
 在京の中国外交筋が発生直後「8月1日の禁漁解禁で中国漁船が例年より大量に出漁し、監視に当たるため大量の公船が航行したのが実情。中国側に事を荒立てる気は一切なく、日本がなぜこれほど騒ぐのか理解に苦しむ」と説明したのを思い出す。日中両国は1997年の漁業協定で、尖閣諸島のすぐ北側に「日中暫定水域」を設定し、中国漁船が自由に操業することを認め、中国漁船の監視・取り締まりができるのは中国側である。
 2年前の秋、数百隻を超える中国漁船が、小笠原諸島付近でアカサンゴを密漁した時も「海洋進出を狙った偽装船」「乗組員に武装民兵」などの報道が目を引いた。領土・領海ナショナリズムにとりつかれると、「あちら」の非ばかりに目を奪われ、「こちら」の行為には無自覚になる。外務省の発表を鵜呑みにして、無理な「謎解き」をしたメディア報道は、テーマ設定自体の怪しさを疑わない「落とし穴」にはまった例だと思う。
 北京からみれば「日本政府はなぜこの時期に騒ぐのか?」という疑問こそ合理的なテーマ設定になる。ちょうど8月末、防衛省は2017年度概算要求で16年度当初予算比2・3%増の5兆円を超す過去最大額を要求した。海上保安庁も尖閣などの警備強化のため、巡視船と巡視艇計9隻を新造する7%増の概算要求を出した。眼鏡をかけ替えただけで「中国の脅威をあおる安倍政権が、安保法制の実行を急ぐため公船侵入を利用したのではないか」という全く「別の風景」がみえてくる。

◆◆ 中国海軍の尖閣接近

 ことしは6月にも、尖閣や沖永良部島で中国海軍の行動が活発化し、日本政府は北京に厳重「抗議」や「懸念」表明した。中国の行動は一見挑発的にみえるが、接続水域と海峡通過は、国際法上認められた合法活動である。「中国軍艦が接続海域に初侵入」「情報収集艦が領海侵入」などと大きく報じられると、多くの読者は「国際法に違反し日本の領域を侵害した」と受け取るだろう。しかしここは事実関係を冷静に見直す必要がある。北京の意図を分析する上で、尖閣接続水域での航行と、口永良部島や北大東島付近の日本領海航行は分けて考えたほうがよい。

 まず尖閣。外務省の発表によると、6月9日午前0時50分ごろ、中国フリゲート艦が久場島(黄尾嶼)と大正島(赤尾嶼)の接続水域に入ったのを自衛艦が発見。中国艦は午前3時10分ごろ大正島の接続水域を北上するまで航行した。これに先立ち8日午後9時50分ごろには、ロシア海軍の駆逐艦など3隻も同じ接続水域に入って北上し、9日午前3時5分ごろに同水域外に出たとされる(図1)。

(図1)中国軍艦とロシア軍艦の動き 東京新聞=TOKYO Web=から
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 斎木昭隆外務事務次官(当時)は9日午前2時、程永華・駐日中国大使を呼び「一方的に緊張を高める行為で、受け入れるわけにはいかない」と「抗議」。程氏は「受け入れられないが政府に至急伝える」と答えた。これが外務省発表の概要である。
 中国側の反応はどうか。中国外交部報道官は「中国は釣魚島に対し主権を有しており、中国軍艦が自国の管轄海域でどんな活動をしても完全に主権の範囲内」と述べた。尖閣は中国の領土だから「何をしようと自由」という論理だ。
 一方、在京中国外交筋は「日本側の発表は事実ではない。中国艦は、海上自衛隊の護衛艦が入ったのに対抗して接続水域に入り追尾した」と明かす。さらに「斎木次官は抗議という表現は使わず、懸念と述べた」と指摘した。接続水域は12カイリの外側12カイリに設定され、基本的には「公海」とほぼ同じであり、軍艦を含めどの国の艦船も自由に航行できる。接続水域内の航行は合法だから、日本も「抗議」ではなく「懸念」にとどめたのだと同筋はみる。
 争点は「合法性」にあるのではない。中国は、日本の尖閣国有化以来、海警船を接続水域と領海に入れている。しかし双方間では軍艦は入れない事実上の「紳士協定」があった。だから争点は「どちらが先に入ったか」になるのだが、この点は「藪の中」としか言いようはない。
 南沙諸島(スプラトリー)で、米国と対立する中国が今、尖閣で事を荒立てもあまり利益はない。国家海洋局などが7月、中国で開いた海洋問題の国際シンポジウムで、主催者が筆者に対し、発表テーマについて「政治がらみは避けて欲しい」と要求していたのもそれを示す一例だ。当時中国側は尖閣紛争が外交問題化しないよう極めて神経質になっていた。

◆◆ 中ロ共同行動ではない

 「中国の挑発行動」の構図が独り歩きしているが、「中国側が意図して入ったというより、結果論に近い」(政府筋)という見方に説得力を感じる。これを機に中国が軍艦の派遣を続け「日本の実効支配を力ずくで突き崩そうと試みる可能性がある」と予測するのは早計だ。
 今回、中国中央テレビは論評で「興味深いのは日本が中ロ両国の軍艦が『共同行動』したと認めようとせず、政府の発表でも中ロ両国の軍艦が『同じ時間帯』に同じ海域に出現したとしか述べていない」と指摘。その理由として、安倍政権がプーチンと平和条約交渉を進めたいため「中ロ共同行動」を認めたくないからだと「深読み」したのだ。興味深い見方だが、先の中国外交筋は、「中ロ共同作戦」の意図について「全くの偶然であり、そういう意図はないと思う」と否定した。
 一方、中国情報収集艦の口永良部島や北大東島の領海航行のほうは、比較的分かりやすい。米海軍が南沙諸島の中国埋め立て地12カイリ内を通過する「航行の自由作戦」への報復行動だと言ってよいだろう。安倍政権はことし4月、自衛艦や潜水艦をフィリピン、ベトナム両国に繰り返し寄港させ、艦船供与を積極的に申し入れた。北京から見れば、安倍政権の南沙紛争への露骨な介入だ。日本側も十分それを意識しているはずであり、対日警告の意味が強い。
 領海航行に懸念表明した日本政府に対し、中国側は「いずれも国際海峡であり、通常の通航である」とはねつけた。対日米報復の意図については、中国外交部報道官が6月15日の記者会見で「(中国軍艦の行動は)米国の最近のこの地域での行動と関連づけられている。従ってこの問題解決の根源を米国に求めることができる」と微妙な説明をした。中国側の行動を問題にするなら、まず米国に「航行の自由作戦」を止めさせるべきだという理屈だった。
 何が脅威なのかはその「意図」と「能力」で決まる。ただ軍事行動は多くの場合「機密」だから、意図を見極めるのは難しい。日本側の発表をそのまま伝える報道を鵜呑みにすると、恣意的な判断が独り歩きしてしまう。8月の公船侵入もそうだが、一方の主張を絶対視せず、他方の声にも耳を傾けて相対化することこそ、実相に近づく道である。

 (共同通信客員論説委員・オルタ編集委員)

※この記事は海峡両岸論70号(2016/09/09)から著者の許諾を得て転載したものです。


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