【コラム】中国単信(62)

中国人の思考方法――尊びと蔑み

趙 慶春

 損得判断の基準は個人重視の社会では、言うまでもないが「己」が中心になっていく。「己」とは一個人という「自己」の意味だけではなく、「自己の輪」まで拡大され、親族、友人、知人を含めて「内」か「外」の基準によって判断されていく。こうして常に「己」に近い「内」の利益が優先されていくのである。
 結局、中国人は究極の「自己中心主義者」と思われそうだが、実際の状況はそうではない。なぜなら中国人も他の民族と同じく、自分の文化への「尊び」と「蔑み」の両意識を持ち合わせているからである。

 すでに紹介したように、「孝、信、義、礼、秩序」などは中国人の「尊び」として普遍的に認識されている。他方、日本人の「恥意識」のような中国人の「蔑み意識」とは、どういうものだろうか? 「不孝、不信、不義、無礼、乱秩序」は「蔑み意識」として中国人の行動を縛る基準になっていると言えるだろう。
 ここではいくつかの事例を挙げながら、中国人の「蔑み意識」有無のボーダーラインを探ってみたい。
 
◆ 事例①

 筆者の母親から直接、聞いた「昔ばなし」である。
 四〇年程前の出来事だったようである。住んでいたマンションの前で道路工事をしていたが、労働者たちは全員、警官の監視下で働いていた。いわゆる「労働改造」という名の強制労働をさせられていた囚人たちだった。
 昼食時になると囚人たちが我が家の窓の下で食べ始めた。食事は冷えたトウモロコシの蒸しパンだけで、なかなか喉を通らない様子を見た母親が漬物とお湯を出してあげた。監視の警官の許可をもらって受け取った犯人たちは、その時は短い感謝の言葉を言っただけで余計なことは何も話さなかった。
 その日、囚人たちが仕事を終えて引き上げていったあと、自宅の窓の下に鍬や斧、ハンマーなど数本の道具が置かれているのに母親は気づいた。囚人たちがお礼にと敢えて「忘れた」に違いないということだった。

 法的に言えば、道具類は国有財産であり、囚人たちの行為は明らかに「犯罪」である。しかし筆者も含めて、この出来事を知った中国人は囚人たちの人間性を称賛しても批判する人は皆無だったのである。

◆ 事例②

 これは郊外のある大きなアウトレット店での筆者夫婦の体験である。
 買い物を終えレジで会計をしていると、隣のレジで店員は日本語で、客は中国語で何やら言い争っているのに気がついた。会計を済ませた家内は隣のレジに行き、店員に「私は中国語がわかりますからお手伝いしましょう」と日本語で声をかけた。

 店員はほっとしたように「こちらのお客様がこのクレジットカードでお支払いされようとしていますが、このカード、このお客様のものではなく、うちではご本人様のカードでないと受けつけないことになっております。私たち店員としてはどうしようもないのです」と言った。
 客はあくまでも「このカードは私のものです」と言った。
 それを店員に伝えると、店員は片手にクレジットカード、片手に客のパスポートを持って家内に見せ「中国語はわかりませんが、漢字くらいは読めます。どう見てもこれは同一人物ではないですよ」と言った。

 確かにパスポートの名前は男性で、クレジットカードの名前は明らかに女性の名前だった。しかも片方の名前は二文字、片方の名前は三文字だった。さらにそれぞれのサインの筆跡も明らかに異なっていた。
 店員の言葉を客に通訳すると「このカードは絶対に私のものです。間違いないです。誓います」と言い張った。

 この堂々巡りを何度かするうちにようやく状況が理解できた。パスポートもクレジットカードも確かに目の前の男性客のものなのだ。ただ男性は中国国内でカードを娘に貸した。娘はカードを使ったとき、そのカードに自分のサインをしていた。その後、男性がカードを使用しても中国では拒否されたことがなかったらしい。「中国で問題なかったのに、なぜ日本ではダメなのか、わからない」と言っている男性客に「自分のカードを勝手に娘に使わせてはいけないのです」と日本人店員が口を挟んだ。
 「誰にも害を与えないのに、なぜダメなのか」と男性客は納得せず「それなら暗証番号を入力します。それが一致すればいいのでは」と提案した。
 しかし「会社のルールなので、私たちにはできません」と店員は否定的だった。

 解決策が見いだせないまま、家内は自分の出る幕は終わったと思い、帰ろうとしたとき、中国人店員がようやく駆けつけてきた。おそらく別の客対応に追われていたのだろう。
 中国人店員は経緯を聞くと、さすが経験豊かで、日本社会のルールと中国人の心理のいずれも熟知していて、すぐに問題を解決した。
 中国人店員はまず客に「このクレジットカードのサインをあなたの名前に書き直してよろしいですか」と訊いた。
 「もちろん」客はすぐさま元のサインを二重線で消して、自分の名前を書き入れた。次に中国人店員は日本人店員に「カードの名前が一致したので、もう大丈夫でしょう。会計手続きをおねがいします」と言った。
 最後に中国人店員は家内に「客が気にしないなら、私たちはあまり深く考えなくてもいいでしょう」と言った。

 このトラブルの元凶は、男性客が自分のカードを勝手に娘に使わせたことである。もちろん会社のルールや厳しいチェック体制は顧客の利益を守るためだとカード利用者も十分わかっているはずである。
 それにもかかわらず「他人に無害」という線引きによって、「自分にとって便利・有効」な手法を選択してしまうのである。

◆ 事例③

 中国の食品衛生や品質の問題は、日本のメディアでもよく取り上げられ、評判がすこぶる悪いことはすでに周知の事実である。特に「三鹿毒ミルク事件」「マクドナルド腐った鶏肉事件」「下水に廃棄した食用油を回収し、クリーニングして再利用する“地溝油”事件」などは健康に甚大な被害を及ぼすことが懸念され日本でもよく知られている。
 工業用アルコールを使った毒酒では毎年死者や障害者を出しているし、食品の着色に漂白剤や工業用着色剤を使うなど、庶民の日常生活で、こうした類の「ネタ」は後を絶たない。確かに中国人もこれらの悪徳業者と彼らの犯罪的な行為を「モラル低下の証」と評している。ただこうした悪徳業者は「少数」であり、これによって中国人の「蔑み意識」の証明とするのはやや乱暴だろう。

 そこで中国で非常に人気のあるテレビドラマの一シーンを紹介し、一つの事例としたい。
 上海で日本料理店を経営する中国人オーナーが友人でもある常連客の依頼を受け、わざわざ日本の築地で最上級のマグロの大トロを競り落とし、すぐさま空輸で上海へ届けてもらった。
 その日の夜、常連客に提供するとき、少しだが大トロの一部を密かに隠して、自分のつき合っている女性に食べさせた。この高価な「プレゼント」に喜びながら、彼女は「こんな高価なもの、私が食べていいの?」と訊いた。するとオーナーは何も知らない常連客を指さしながら「常連客のオゴリだよ」と返事した。
 ドラマではこのシーンで彼女への「愛」を表現したかったのだろう。そしてこのオーナーの行為を「良くない」と非難する中国人は一人もいないはずである。

◆ 事例④

 豊かになった中国人が、日本でお花見をするために来日する人が年々増加している。彼らはたいてい桜の花をバックに記念写真を撮ることになる。そして写真撮影のとき、さくらの枝を引っ張って自分の顔に近づけて撮ろうとする人もかなり多い。それを目にした日本人は「マナーが悪い」「植物が痛む」と批判するが、このような行為を「マナー違反」と認識する中国人はほとんどいないし、当然、非難の対象とはならない。
 ところがある観光地にある銅像の頭の上に登って記念写真を撮った男性は、実名が公表されて、「観光マナー違反ブラックリスト」にリストアップされ、海外旅行禁止処分となった。

◆ 事例⑤

 中国人は信号を無視する、列に並ばないなどのマナー違反行為は、つとに「有名」になっている。しかも周囲の目も気にせず、正々堂々と行なっている。
 ところがその中国人が来日すると、すぐ周囲の目を気にし始め、信号を守り、列にも並ぶようになる人が増えるのである。

 いくつかの事例でわかるように、中国人の「蔑み意識」は本来、個人差があり、学歴、経歴、環境、その時の心情、直面する物事によって、かなり異なってくる。日本人の「恥」意識のように、日本人に比較的共通した「蔑み」概念は中国人にはない。つまり中国人の「蔑み意識」は常に変動的で、あまりにも曖昧すぎると言わざるを得ないのである。

 (女子大学教員)

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