【コラム】
中国単信(61)

中国人の思考方法 ―― 家庭内ソフト暴力と善意暴力

趙 慶春

 日本は「会社型社会」、中国は「家族型社会」であると、この欄で何度か指摘してきたが、家庭や家族という単位でも日中両国の違いは大きいのだろうか? 身近な事例から考えてみることにする。

◆ 事例①

 ある在日家庭で子どもが成人し、車の免許を取りたいのだが、子ども自身では免許取得に関わる費用を捻出できないため、両親は知り合いの日本人の「経験」を参考に子どもに「貸す」ことにした。就職後に返済という借用書まで子どもに書かせたという。さすが日本は「契約社会」である。
 ところが中国の両親がこの件を知るや、即座に強い口調で「自分の子に金を貸すなんて、世間の物笑いの種になるから、こっちで出す」と言ったそうである。
 親孝行重視の中国だけに、在日夫婦は両親の「命令」に逆らえず、その贈与を受け取ることにしたそうである。

 ところで、在日中国人家庭の子どもは中国に帰りたがらない(一時的な親族訪問でも)者が多い。理由は「言葉がわからない」「友達がいない」「汚い」「合わない」とさまざまである。筆者の子ども二人は「国に帰る」ことにそれほど抵抗感はないようである。「おいしい食べ物が食べられるから」などと言うが、本音はどうやら「多くの親戚からそれぞれ小遣いやお年玉がもらえる」ということらしい。
 ただし子どもたちは帰るたびに必ず一つの注文を出す。「食事の時、いつも取り分け皿にたくさんの料理を入れてくれるけれど、“それだけはやめて”とお爺ちゃんとお婆ちゃん言って欲しい」と。確かに中国人年配者は取り分け皿に料理を取ってあげる習慣がある。そして日本人は料理を残すことに強い抵抗感があり、たくさんの料理を食べきれず、困り果てている姿を何度も目撃したことがあった。

 「金も出すが口も出す」というわけではない。免許取得費用の件でも、料理を取ってくれる件でも、中国の祖父母はあくまで孫への愛情が深く、「善意」で行動していると言える。ただしその善意が相手には大きな負担になる場合もあるというわけである。

◆ 事例②

 ある中国人女性が不可解な顔をしながら話してくれたことである。
 彼女は中国語教師として来日し、その後日本人と結婚した。結婚後は夫の両親とは同居せず、多くの日本人家庭のように独立生活を送ることにした。

 ところが彼女は結婚後、両親との付き合い方が淡白すぎると思い始めた。なぜなら夫の両親はあまり自分の家に来ないし、来ても長く滞在しようとしないばかりか、たいてい食事もしないまま帰ってしまうからである。これは中国では考えられないことであった。中国でこのような状況になったら、嫁と姑の仲が悪いか、嫁が冷たいと見られる可能性が高く、自分もそう見られているのではないかと悩んでいた。

 やがて子どもが生まれた。夫の両親も孫が大好きで、よく可愛がってくれた。でも相変わらず、あまり自宅に訪ねて来ないし、来ても食事をせずに帰ってしまった。
 子どもが成長して保育園の運動会の時には、彼女は姑と「よい関係」を築く絶好のチャンスだと思い、夫の両親を運動会に強く誘った。両親も快く承諾したのだが、後日、夫の母親から電話があった。電話に出た夫から「おふくろは運動会のためにホテルを予約したそうだ」と聞かされた。
 それを聞いた彼女は驚いて「冗談言わないで。なぜ我が家に泊まらないの? 空いている部屋だってあるし。なぜホテルなんかに泊まるの?」と言った。
 この彼女の言葉は、大多数の中国人にとって至極、当然のことだろう。

 その後、彼女の猛烈な説得で夫の両親は息子夫婦の家に泊まることになった。「でもね、なんか違うのよ。両親はすごく遠慮していて、あまり喋らないし、物にもできるだけ触らないようにしているの。最初にトイレに行く時なんか、わざわざ私にトイレを使っていいかって聞くの。全然、家族らしくない。なんでもっと親しくしないの?」と納得できない様子だったのである。
 日本人からは、夫の両親の振舞いは理解できるだろうし、では中国人の親たちならどうするのか、と興味を持つに違いない。

 似ている話がある。
 日本人家庭の奥さんと中国人家庭の奥さんが雑談中、中国人家庭の奥さんが訊いた。「あなたの家では一カ月で何回、ご主人の親の家に行くの?」と。
 すると日本人家庭の奥さんは「別に決まっていないわよ。行きたい時に行く程度ね」
 「羨ましいわ。うちはね、週一回帰らないと、姑が怒るの。なんか面倒くさい」と中国人家庭の奥さんが言ったという。

◆ 事例③

 これは中国でも極めて稀で異常な、中国人でさえも眉を顰める事例であることを先ず断っておきたい。
 ある病院の分娩室の外、数人の家族らしい人たちには不安の色が色濃く浮かんでいた。出産が順調でないことは明らかだった。
 医者が来て「難産です。帝王切開を勧めたいのですが、いかがでしょうか?」と家族の同意を求めた。中国では手術には家族の承認が必要であることが法律で定められていた。
 ところが姑が帝王切開は嬰児に悪い影響を与えると頑として認めなかった。何の根拠もない拒否理由だったが、その場にいた夫(息子)は自分の母親に従うほかなかった。

 時間だけが過ぎてゆき、医者も何度となく手術の許可を求めに来たが、姑はやはり頭を縦に振らなかった。医者はこれ以上引き延ばすと、妊婦の命にまで関わると言い、激痛に耐えられなくなった妊婦は自分から姑に「許可を下さい」と哀願したが、それでも姑は認めなかった。こうして妊婦は絶望して窓から飛び降り自殺をして、胎児も死んだ。
 妊婦の実母がその場にいれば、きっとサインしただろう。しかしその場での大喧嘩は免れず、修羅場と化していたに違いない。

 以上、関係のない三つの事例を紹介したが、濃い家族愛、深い家族の絆をより多く享受できるのは家族社会だからである。
 しかし一方、かつての「家父長制」時代ほどではないにしても、長幼秩序が生み出す「家庭内ソフト暴力」や「善意暴力」の存在は否定できない。家庭内でよく起きる肉親への身体的暴力が一家庭の個別事件だとすれば、家族愛や家族の絆が生み出す「ソフト暴力」と「善意暴力」は文化的要素に起因すると言えるだろう。

 最近、このような暴力が社会問題として取り上げられ、新語まで生まれた。「太后病」(大奥の“統治者”である皇帝の母親に対する称呼)である。
 「太后病」の「患者」は夫の母親、妻の母親、未婚者の母親の場合もある。そして「太后病」の「症状」はいろいろである。

○子ども夫婦の鍵を持ち、二人が不在でも家に入って、掃除、片付け、料理造りをする。
○二人の健康のためにと、善意の押しつけで夫婦の食事メニューを決め、そのための買い物もする。
○子どもの就職、転職に関わり、仕事そのものにも干渉する。
○子どもの交友関係に介入する。
○自分の好みで服などを購入し、勝手に子どものファッションを決める。
○子どもが体調不良になると、自分の判断で処方箋なしで薬を購入、子どもに飲ませる。
○自分の感情で子どもの交際関係に口出しをし、子ども夫婦に離婚を迫る。
○子ども夫婦の金銭を管理する。
○孫の学習や習い事に干渉する。

 ひたすら子どものために献身的な奉仕の精神で、自分の時間、金、体力などを犠牲にして子どもの生活を仕切り、過剰に関与する「病気」である。
 この「病気」はなかなか治らない。いや以下のような理由から治せない。
 なによりも子どもへの愛から出ている自己犠牲であり、「病気」などとは本人は認めようとしないばかりか、理解も及ばないのが常である。
 またこの病気の「被害者」が「病気だ」「迷惑だ」と叫んでも、「病んでいる」本人には自覚症状がないため、戒められると「家族愛」を拒絶されたことが信じられず、そのショックと傷心の様子は子どもや家族には逆に耐え難くなる。

 どうやら会社型の日本社会に「形式主義」「過度のマニュアル化」「部外パワハラ」などの弊害があるように、この「太后病」に代表される「家族内ソフト暴力」や「善意暴力」は家族型社会の一つの宿命ではないだろうか?

 (女子大学教員)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
最新号トップ掲載号トップ直前のページへ戻るページのトップバックナンバー執筆者一覧