【コラム】
中国単信(56)

中国人の思考方法 ―― 公対

趙 慶春

 来日外国人が増加の一途だが、この日本という国が外国人の目にどう映っているのか、という報道や紹介も随分増えた。公共意識が高く、おもてなしをアピールしている日本はおおむね良好な評価を得ているようだ。例えば、町がどこも清潔、ルール遵守、列に割込む者があまりいない、電車など公共場所では大きな声を上げず、他人に迷惑をかけないように心がけているといったことである。
 もちろん不評もある。例えば、タクシー料金が高過ぎる、在来線にトイレがない、富士山など有名観光スポットと交通機関の連携を工夫すべき、といった観光客ならではの目線などである。
 でも日本に定住していたり、ある程度長く日本で生活している外国人は、自国と日本の相違点について、観光客のような「表面現象」はあまり口にせず、もう少し「立ち至った」点に目を向ける傾向がある。

 ここでは、在日中国人がよく口にする日中相違点の一つを紹介しよう。
 「市役所(区役所)」である。
 長期滞在の外国人は必ず何かの事情で市役所と関わるため、たいてい行ったことがあるからである。さまざまな受付窓口が並んでいるが、わかりやすいうえ、すぐ応対する職員。わからずにウロウロしていればフロアにいる案内人が教えてくれる。また行政地区によって違うだろうが、同じ建物内で市長の顔も覗けるかもしれない。会議場には傍聴席があるし、役所内に自動販売機は言うまでもなくコンビニ、レストランまでがある。さらには講演会や住民向け講座などは常時開催されている。どこまで本当かわからないが、自宅の光熱費節約のために市役所に一日中、居続ける人さえいるとか・・・。
 なんと言ってもこうした公共の場への出入りは自由である。日本人にとっては当たり前の風景だが、中国人にはかなり「驚きと新鮮」が入り混じった光景に映る。

 日本の「市役所」は中国では「市政府」に相当する。したがって中国では〝威厳〟が必要だとばかりに、ガードマンではなく兵士が銃を持って警備に当たり、建物内に入るには身分証明書のチェックが厳しく行われる。政府内部の人間でないと基本的に構内を自由に歩き回ることはできない。目に見えない高い壁で囲まれていると言えるだろう。政府機能の分散や窓口対応方法が異なり、単純に比較できないが、中国の「市政府」は気軽に行けるとはとても言えない場所なのである。筆者は26歳まで中国で生活していたが、「市政府」の出先機関として別のところにあった施設を除いて「政府」には一度も入ったことはなかった。

 「市政府」はある意味で「雲の上の存在」である。そして古代の中国でも同様だった。
 国から見ればもっとも下部組織の「長」だが、庶民から見れば地元の行政長官は現在の「市町村」の「長」に当たった。彼らは庶民から親しまれるようにと「父母官」と名付けられていたが、実際に町に出ても「回避」の札を立て、庶民を寄せつけなかった。一方、庶民は訴訟と納税以外で官公庁に行くことはほとんどなかった。納税時には役人の厳しい監視に遭うだけだったし、訴訟の場合は「長」にも会うが、跪かなければならなかった。そこにあるのは明らかに統治と被統治の関係だった。

 以前、紹介したが、政府は「官」であり、庶民の遙か向こう側にある。中国人の意識では、自分、自分の家族、宗族(現代では親戚)、自分の仲間などは「内」であり、政府は「外」である。この区別は必ずしも「対立」「衝突」「敵対」を意味しないが、同じ陣営、同じ仲間の立場、同じ利益共同体とはならないのも事実である。
 人類が誕生し、やがて私有財産というものが出現した時点で、「公と私」の概念は早くも生まれていたに違いない。しかし、中国では「私」の概念が強く、その反対側ある「公」の認識は極めて薄かった。政府=「官」、政府関連=「公」だと言えなくもないが、忘れてならないのは「官」の部分に庶民は立ち入ることはできなかったのである。

 古代中国では流通が未発達のため、庶民の移動は基本的に少なかったし、移動を禁止した時期さえあった。大都市、交通要衝地、商業地には宿泊業や飲食業も盛んだったが、利用者は限られていた。
 また「官」つまり政府主催の各種行事では庶民はあくまで参加者ではなく、傍観者に近かった。
 職住(仕事と住居)が分離していなかった古代では、庶民は地元に定着していた。そして祭りや文化交流活動は宗族単位で行われることがほとんどで、「内=家族」意識が強かった。

 一般庶民が自分の土地を離れる場合、例えばごく少数だが官吏登用試験の科挙受験のために大都市に出かけても、多くは郷土が出資して設けた「会館」を利用するわけで、「内=家族」の範囲を出ていないと言えるだろう。
重大事項の決定は無論のこと、議論を重ねての意志疎通が必要な時も、普段の交流の時も基本的には宗族会議で決めるため「一族」の範囲からはずれることはなかった。つまり人間としての交際は基本的には宗族間であり、仲間内である。「公的」の場が存在するという意識すらほとんどなかった。
 このように中国人は仲間の中で、一族の中で、地域の「私的な輪」の中で生きてきたのであった。「官」と「民」が明確に分断され、宗族の強い影響を受けながら中国の国民性は育まれてきたと言え、その結果、中国人に「公共概念」の希薄さをもたらすことになった。

 中国人の公共の場でのマナーの悪さがよく報道されるが、そのいずれもが「公共概念」があまりにも希薄であることに由来するところが大きい――公共の場であろうが、共用空間であろうが、「公共概念」が薄いため、ついついいつもと変わらない振る舞いをしがちになる。また赤の他人の目を気にするより、仲間の中で生きている中国人はいつも仲間をいちばん大事にして、仲間を最優先にした気配りをしがちである。

 「公共概念」の希薄さは、中国人の寄付という行為にも特徴を見ることができる。
 伝統的な中国人の寄付行為とは、決して不特定多数者を対象とはしていない。ある意味では単純明快である。なぜなら、中国人は出世したり、経済的に余裕が生まれると、宗族や故郷へ貢献しよと寄付を行うからである。多くの中国人が真っ先にする寄付は、一族の先祖を祭る「祠堂」の修繕や新築に対してである。次に道路の整備、水路の整備、教育施設の建設へと広がっていく。さらに一族内の貧困家庭への支援や災害時の食料提供などにも寄付は行われる。首都や大都市に置かれている郷土の出先機関とも言える「会館」(その地域出身者は無料ないしは格安で利用可能で、困った時に頼れば支援して貰える)の建設もその地域出身者の寄付による場合がある。
 こうして強固な宗族意識の影響から中国人の眼は常に「私」に注がれ、「公」という概念が薄いため、寄付という一つの行為を見ても、日本も含めて諸外国とは大きく異なることがわかる。

 ところが最近、中国で「赤十字協会」へ、「骨髄バンク」へ、「貧困地区小学校建設」へ、「アフリカ難民」へ、「日本の東日本大震災」へ、「難病研究」へ、「宇宙開発」へ、「地球温暖化対策」へ、「大学図書館」へ、「少年サッカーチーム」へといった身内意識を取り去ったさまざまな寄付も行われるようになってきている。
 中国人の意識構造の中に「公」への視線が生まれ始めているのかもしれない。それは言うまでもなく価値観の多様化現象が起こり始めていて、中国にも否応なしにグローバル化の波が押し寄せてきている証明でもあるのだろう。
 中国人の伝統的な思考方法に今後、変化がもたらされることになるのだろうか。

 (女子大学教員)

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