【オルタの視点】

平等主義がカムバックする理由
— 不平等と近代化の罠から脱出する時 —

初岡 昌一郎


 アメリカの国際問題専門誌として世界的に影響力を持っている『フォーリン・アフェアーズ』2016年1/2月号が、「不平等と — 原因は何か、なぜそれが問題か、何をなしうるか」というタイトルで特集を組んでいる。これには、アメリカ人論者だけでなく、フランスン人とイギリス人の学者を含む6人が寄稿している。

 本稿では、その巻頭に所載されている包括的な論文「不平等と近代化 — なぜ平等がカムバックすると思われるのか」の論旨を紹介する。この特集は、経済的な格差だけではなく、政治的社会的な不公正を包含した「不平等」というより包括的な視点で問題を把握している。経済的な格差は不平等の重要な要因ではあるが、問題はそれに止まらない。筆者は、その促進あるいは逆転の基本的な要因を政治的な力のバランス転換にあると分析している。

 論文の筆者はシカゴ大学政治学教授ロナルド・イングルハート。1934年生まれの比較社会調査の分野における高名な社会学者で、世界価値意識学会を創立、その会長を務めた。価値観の変遷や世代間の価値観の相違などについて多数の著作があり、『静かなる革命』(1977)、『先進産業化社会における文化シフト』(1990)、『近代化とポスト近代化』(1997)などが代表的な著書である。

◆◆ 経済的不平等は昔から存在 — 原因は支配的エリートと大衆の権力格差

 過去半世紀、先進諸国における経済的不平等は大きなUカーブを描いてきた。まず高く始まり、急速に低下し、また急激に上昇した。1915年には、アメリカの最富裕層1%が全国民所得の約18%を得ていた。彼らのシェアは1930年代には低下し、1970年代までは10%以下にとどまっていた。

 しかし、2007年までに24%へと上昇した。所得ではなく、世帯保有資産で見ると不平等はさらに広がっており、上位0.1%の最富裕層が所有する資産のシェアは、30年前の9%から22%に増加していた。2011年には、アメリカ富裕層のトップ1%が国富全体の40%をコントロールしていた。アメリカのケースは極端だが、異例ではない。データが入手できるOECD加盟国でも、少数の国を除き、1980年から2009年の間に所得不平等の拡大を経験している。

 ピケティを含め、このテーマを取り上げているほとんどの論者が見落としているのは、前世紀における不平等の縮小とその後の上昇の双方とも、近代化の過程でエリートと大衆の間の力関係がシフトしたことに原因があることだ。

 狩猟・収集社会ではほとんどすべての成員が政治参加していた。コミュニケーションは口頭で、自分自身が見聞きしたことについての話題に関するものであった。意思決定は成人男子が全員参加する部落集会で行われた。社会は比較的平等であった。

 農業の普及が、軍事とコミュニケーション能力に特化したエリートを支えるに足る余剰を生み出した。文字に習熟した行政官が、数百万人を支配する帝国を運営できるようになった。大規模な統治には、識字力のある専門的技能を持つものが必要であった。口頭コミュニケーションだけでは政治参加に十分でなくなり、大きな距離を越えてメッセージを伝達する手段が必要になった。人間の記憶力は複数の地域における税金や軍事力を処理するのに十分でなくなり、文書による記録が必須になった。

 個人的な忠誠心では大帝国を結集することができなくなった。神話を正当化するために、宗教的イデオロギー的専門家による教育宣伝が必要になった。これが、相対的に伝達技能に習熟した支配階級と、地方に散在する農民から主として構成される、識字力のない住民全体とのギャップを拡大させた。このギャップと並行して、経済的不平等が劇的に広がった。

 この不平等は歴史を通じて資本主義初期に至るまで持続した。当初、工業化は低賃金と長時間労働、労働法の不在、組合組織化の弾圧を通じ、労働者の容赦ない搾取につながった。しかしながら、究極的には、産業革命の進行が政治的な能力格差を縮小し、エリートと大衆のギャップを縮めることになった。

 都市化が人々の関係を密接化させた。労働者が工場に集中したので、その間のコミュニケーションが容易になった。大衆的な識字の普及が国内政治との接触を促進した。これらの発展が社会的な力の動員を可能にした。19世紀後半から20世紀初頭にかけて、労働組合が団結権と団体交渉権を獲得した。普通選挙権の拡大が一般大衆に投票権を与え、誕生した左翼政党が労働者階級の経済的利益のために闘った。その結果、様々な再分配政策をとる政権が誕生した。累進課税、社会保障、福祉国家の拡大が、20世紀の大半の時期を通じて不平等を縮小した。

 しかしながら、脱工業化社会の出現が力関係を再び逆転させた。近代的福祉国家の成功が再分配の緊急性を低下させた。非経済的な要因が階級ラインに食い込んできた。アイデンティティ・ポリティクス(特定集団の利害と要求や、ジェンダー、避妊・中絶、同性婚、移民など社会文化的諸問題に基づく政見と政策を分岐点とする)、環境問題への関心などが一部富裕層を左派に近づけた。逆に文化的な諸問題が労働者階級のかなりの部分を右に移行させた。グローバル化と脱工業化が労働組合を弱体化させた。情報革命が「勝者総取り」型経済を成立させた。これらの要因が重なり、再分配政策の政治基盤が浸食され、公共・福祉政策が人気を失い、経済的な不平等が再び増大している。

 今日、先進経済諸国において大きな経済的成果が挙げられているが、それは主として所得分配の最上位層に帰属している。他方、それ以下の層では実質所得が停滞ないし低下している。中間層や低所得階級の願望に反して、富裕層は富の集中をさらに促進する政策をとらせるために特権を利用している。アメリカの歴代政府は上位10%富裕層の意見に耳を傾けてきた、と政治学者マーティン・ギレンスが論証している。かれは「アメリカ人の圧倒的多数の要望は政府のとる政策に実質的なインパクトを与えなかった」との結論をだした。

 特権と富は累積されている。富裕な家族に生まれたものは十分な栄養とヘルスケアを与えられ、恵まれた知的環境で育ち、質的に高等教育を受けている。その後も社会的資本の便益をより多く受け、富裕者は増すます富裕になり、貧者はますます貧しくなる傾向を持続させている。しかし、この傾向がどの程度実現するかは、国の指導者と政治制度に左右される。政治制度全体の運営の中に大衆的な力の動員から生まれた政治的圧力が反映されるからだ。換言すれば、不平等の増減は究極的に政治問題である。

 今日の利害衝突は、もはや労働者階級と中間階級の間のものではなくなった。基本的な利害衝突は少数のエリートと圧倒的多数の市民の間にある。先進諸国における将来の政治にとって課題は、大多数の市民がいかに共通の価値観を発展させるかである。現在の傾向が持続すれば、不平等問題に再び焦点をあてる圧力が次第に大きく醸成される。この発酵の兆候はすでに顕著であり、時と共に政治的な影響力を増すことは間違いない。

◆◆ 不平等の本質は金銭問題よりも、富の偏在による支配権力の集中

 20世紀初めから3分の2の期間では、労働者階級の有権者が左派政党を、中・上層階級が右派政党を支持する傾向があった。政党支持はほぼ社会階級と連関しており、政府はその支持基盤の利益を反映した政策を採ってきた。

 しかしながら、世紀が年代を重ねるにつれて、経済の性格と国民の思考・行動様式が変化した。産業社会がポスト産業社会に移行し、高い経済的物質的保障のレベルを成長期に享受した世代が「ポスト物欲主義」的考え方を発揮しだしたので、自立とか自己実現が強調され始めた。これが階級対立の後退を招き、環境、ジェンダー、移民などの新しい経済的対立に基づく政治的分化をもたらした。

 この動きが労働者階級をも刺激し、その一部が伝統的な価値を再強調する右翼に奔しる反動を生んだ。その上に、多数の移民の流入、特に異なる言語、文化、宗教を持つ低所得国からの移民が、先進工業社会の人種構成に変化をもたらした。アメリカにおける宗教的ファンダメンタリズムや、西欧諸国における排外的ポピュリズムの運動の興隆は、基本的な社会的価値観を侵食していると思われる、急速な文化的変化に対する反動である。変化が社会経済的に不安定な層に、特に警戒感を喚起している。このような変化が、所得再分配問題を分岐点としてきた既存の政党システムを揺るがしている。

 古典的な経済問題はなくなっていないのにも拘わらず、1980年代以後に非経済問題が選挙公約において重要性を増すにつれて、その相対的な比重が低下した。それが左右両派の階層的な政治基盤に関するこれまでの通説を崩壊させ、階級対立に基づく政治的分極化を中和する作用をもたらした。左派の政治基盤が中間層寄りとなる一方、労働者階級の一部が右派支持に移行した。階級基盤による政治的分化よりも、価値基準による政治的分化が1990年代以後顕著になった。

 事実、前世紀末以降、ほとんどの先進民主主義国において、社会階級的投票行動はそれ以前に比較して半減している。特にアメリカにおいてはあまりにも低下しており、これ以上下がる余地がないほどだ。アメリカ国民の政治的選択を示す場合、所得や学齢は避妊や中絶よりもはるかに重要性の低い指標となっている。中絶や同性婚に反対するものは圧倒的に共和党候補を支持している。だが、近年の極端な経済的不平等はこの状況を変化させずにはおかない。

◆◆ グローバリゼーションは世界の市民を団結させるか

 グローバリゼーションは世界人口の半分に貧困からの脱却を可能にしたが、先進工業国労働者の交渉力を弱めてしまった。他方、知識社会の出現が経済的に少数エリートの勝ち組と、弱い立場で雇用される労働者多数に分裂させている。市場の諸力はこの傾向を自ら逆転させる兆候をいささかも示していない。それを実現しうるのは政治の力のみである。経済的不安と相対的な貧困化が次第に市民の態度を変化させ、不平等の是正を政府に求める方向に動いている。

 不平等問題に対して多くの市民がますます敏感になっている。所得格差に対する関心は過去30年間にドラマティックに高まった。先進世界におけるエリートと大衆の間の力関係のバランスを再び回復するために、新しい政治的同盟が再び姿を現しても不思議ではない。工業化社会における労働者階級が政治的な力を発揮するには、長期にわたる社会的意識的な努力のプロセスが必要であった。しかし、今日のポスト工業化社会では市民の大多数が高度な教育を受けており、政治能力を身に着けている。効果的な政治力発揮にとって必要とされるのは、相互利益に対する共通認識の拡大だけだ。

 階層を越えた文化的分裂は依然として大きく、共通の経済的利益を認識するのを阻害しているものの、これまでのように政治家が不平等を無視することはできなくなっている。2016年のアメリカ大統領選挙戦においては、すべての民主党候補だけではなく、数人の共和党候補もエリート富裕層に対する「減税措置」を廃止すると公約している。

 近代化の本質は、経済的社会的思想的政治的な異なる傾向を統合することである。変化がこのシステムを揺さぶるにつれ、ある領域の動向がその他の領域の動向を突き動かす。社会勢力と思想が政治を動かし、それが経済の風景を変える。でも、変化はすべて同じ方向を目指すものではない。

 多数派大衆が経済的不平等拡大の傾向を逆転させることが再び起きるだろうか。長期的に見れば、おそらくそうなるだろう。世界中の多数派市民は不平等の軽減に賛成している。生き残る社会は、変化する諸条件と圧力に対応するのに成功したものだ。民主主義は現在麻痺しているように見えるが、変化を生み出す活力を依然として内包している。

◆ コメント ◆

 この論文は進行中のアメリカ大統領予備選中に現れている「サンダース現象」や「トランプ現象」をより深く理解する視点を提供している。伝統的な政党政治の崩壊の背後に、イングルハートの指摘する「アイデンティティ・ポリティクス」や文化的社会的価値観による従断的な分裂が作用している。しかし、彼が指摘しているように、経済的格差と不平等による横断的な分裂は深刻化ており、それに対する認識が新たな政治的多数派を生みだすことが、平等の回復につながる。

 格差の経済的な分析は盛んに行われるようになっているが、不平等の本質が政治的側面と不可分であり、政治権力と統治の改革こそが不平等を削減する決め手であるという、古典的な認識を現代化して展開したところに本論の意義がある。先進民主主義諸国における政治権力の転換は労働者階級の力を背景とする革命ではなく、少数の極富裕層エリートに対抗する圧倒的多数の市民の力で民主主義を活性化することによって達成しうる。そのためには、共通の文化的社会的価値意識の発展を促進しなければならない。経済的な格差を告発するだけでは、政治的な転換が実現しないという認識が重要だ。

 欧米での議論は、経済的な格差に焦点を当てるというよりも、それを生み出している不平等に向けられている。ピケティの著書も、この不平等を正面から取り上げているのに、日本語版は英語の「インイクオリティ」に照応するフランス語を「格差」と訳しているので、政治的な含意を弱めているように思われる。日本でのその後の議論が、政治的社会的不平等を視野に入れない、経済的「格差」論に矮小化される傾向があるのは残念だ。

 今から半世紀以上も昔の1960年代初頭、評者は青年学生の世界フォーラムなどのために4年間連続で当時のソ連を訪問、合計1年近くモスクワに滞在したことがあった。その当時は、フルシチョフ時代の「平和共存」路線の全盛末期であった。彼の「雪解け」改革路線は「祖父と孫の世代」が推進力だと言われていた。今、サンダースや本論筆者のような祖父世代が、アメリカで孫世代の改革意欲を刺激しているのを目撃すると、われわれ世代にもまだやり残したことがあるのを想起せざるをえない。

 (筆者はソシアルアジア研究会代表・オルタ編集委員)


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