【コラム】技術者の視点~エンジニーア・エッセイ・シリーズ(26)

一般市民と専門家との対話

荒川 文生

◆ 1.川崎市民アカデミー講座

 「AIは人間を超えるか?」という些か人口に膾炙した感のある問題について駄文(エンジニーア・エッセイ・シリーズ #14、 VIII 2017)を弄んだところ、川崎市民アカデミー講座の副学長をお勤めの柴田鉄治さん(朝日新聞OB)のお目に留まり、その口座の一コマで皆様にお話を申上げるようご依頼を請けました。其のシリーズのテーマが、「新しい科学の世界」という事で、もう一コマは原発事故の問題について語れという事でした。

 事務方のお話に拠ると、聴き手の皆さんはご経験豊かな方々で、ご自分のご意見もお持ちという事で、改めて講義をお聴きになるほどの事も無い方も少なくないと想われました。そこで、此方も一つの試みとして、此の一コマを一般市民と専門家との対話の時間としてみたらどうかと考えました。

 事務方の御了承を得ながら、お話の進め方として、まず、「率直に伺います」と、「人工知能(AI)は人間をこえるでしょうか?」と問いかけて、「超えると思う」、「超えないと思う」、「どちらとも言えない」の夫々に、10人、21人、32人のお答えを戴きました。その後、「AI技術の発展」として、情報技術の時代(1960年代)、機械学習の時代(1980年代)、深層学習の時代(2000年代以降)、次に「AI技術の問題点」として、情報技術の集積と管理、大脳生理学との相関、社会的価値観と技術倫理の実践の三つを挙げ、纏めに「AI技術の未来」として、データやアルゴリズムの偏り、情報技術と価値観・技術倫理、社会の為の科学と技術(STS)の三点に就いて愚見を述べつつ、改めて「もう一度伺います」と最初の質問を繰り返したところ、ほとんどの方が同じ解答をされた中でお一人だけが、「どちらとも言えない」から「超えないと思う」にお答えを変更されただけでした。

 聴き手の皆さんがこのお話をどの様に受け止められたかは、極めて興味のある所ですが、何と「話を聴きにやってきた者に、逆にものを聴くとは何事か!」というお叱りがあったり、此方が申し上げたかったことをより的確にご指摘頂いたり、大変勉強になりました。

 これを参考に、二コマ目の「原子力」に就いては、最近になって漸く公表されるようになった史料、例えば、合衆国議会図書館収蔵の外交文書などを基に、原子力開発を巡る日米関係に関わる事実の紹介や、日本帝国陸軍に拠る原爆開発計画「ニ号研究」が湯川秀樹・朝永振一郎など日本の物理学者を指導する立場に在った仁科芳雄らによって行われていた事実に就いての論評を行いました。

 これらを背景とし、日本の原子力開発の歴史を「前史」から「第4期」に至るまで概括し、2011年3月11日の福島事故に就いて、国会・政府・民間・東電・電気学会の各報告書を紹介する形で、事故の問題点を提示しました。そこから学ぶべき事柄に就いては、技術倫理、国際情勢、文明的価値の三点から愚見を述べつつ、報告書などに挙げられた問題の解決は、一般市民一人ひとりがこの問題を「自分のこと」として捉え、問題に関わる「専門家」との対話を通じて知恵を働かせる中から、日々の生活実践によって齎されると訴えました。

◆ 2.「トランス・サイエンス」の認識

 このような問題の解決が、一般市民と専門家との対話を通じて両者が知恵を働かせる中から、人々が日々の生活を実践する事で図られるという考え方は、以前に このシリーズ(#23「技術史の分析」)で紹介した「トランス・サイエンス」の考え方に基づくものです。これは「科学によって問う事は出来るが、科学によって答える事が出来ない問題群からなる領域」としての科学と政治(社会的意思決定)の交錯する領域があるという認識を、社会制度やそれを支える技術の専門家などと一般市民とが共有する事が問題の解決の基礎として肝要で有効だという事です。
 科学や技術の革新が政治や経済の変革を齎すという認識が、科学者や技術者の思い上がりとならず、逆に、その責任追及の誤りを犯さぬように、科学と政治(社会的意思決定)の交錯する領域に関わる制度を再構築する方向性を現実的かつ倫理的に可能なものとして計画する上での「知恵」は、「トランス・サイエンス」の認識に基づいて交わされる「対話」の中から生み出されるものと思われます。

◆ 3.人類は叱られているのか?

 1995年の阪神・淡路大震災、2011年の東日本大震災の記憶が今なお人々の心を痛めている中、昨今日本では「自然災害」がより甚大な「人災」を伴って、人々の生活を脅かしております。2018年に入り、その状況は一層の厳しさを増し、6月18日大阪北部地震、7月6日西日本豪雨、8月23日台風20号、9月4日台風21号と続いて、9月6日午前3時8分ごろ胆振東部を襲った巨大地震は、最大震度7を観測した厚真町に大規模な土砂災害を齎しました。
 この時、北海道全域が停電しましたが、これは電力系統技術の専門家にとって、福島事故が原子力技術の専門家に与えた深刻な影響に匹敵する事態といえるものです。その理由は、これまで大規模集中型の電源や送配電設備を以って出力システムを統一的に管理運営してきた方式が、大規模自然災害に対応できないことが明らかとなったからです。ここでも「効率・安全神話」が崩壊しているのです。

 しかも、恰も人類が自然という神様から叱られているかの如く、地球上の各地で山火事やハリケーン、河川の洪水といった大規模な自然災害が、これからも頻発すると思われる状況が在ります。「科学的な根拠が明らかでない」とか「想定外の事態」などという専門家の「弁解」が在りながら、これらの状況はエネルギーの無駄遣いに拠る自然破壊や気候変動の結果であるとする指摘が、多くの一般市民の共感を呼んでいます。北海道の全域停電に就いても、3・11の原子力事故が如実に明らかにした現代社会の「制度疲労」がどの様なものであるかを的確に把握し、その再構築の方向性を現実的かつ倫理的に可能なものとして計画し実践する事が肝要でしょう。そのための「知恵」は、「トランス・サイエンス」の認識の上に交わされる一般市民一人ひとりと専門家との「対話」の中から生み出されるものと思われます。

◆ 4.歴史創造への自覚

 このシリーズ(#25「日本の技術革新力」)でも述べた通り、現代社会の「制度疲労」を的確に把握し分析するに当たっては、その制度がどの様な過程を経て作り上げられてきたか、その歴史を分析することが基礎となります。さらに、その再構築の方向性を現実的かつ倫理的に可能なものとして計画する上での「知恵」も歴史に学ぶことにより得られます。
 受験制度の齎す弊害のひとつである知識偏重教育の下では、歴史から知恵を学ぶ事など、忘れ去られて久しいと思われますが、現代社会の「制度疲労」を克服する為に、自然災害に対応する社会制度に関わる歴史的事実の正確な把握と分析から歴史的知恵を学ぶことが、如何に合理的で有効であるかを再認識する事こそ、「トランス・サイエンス」の認識と並ぶ大切な要件であると思われます。更に、現代社会の「制度疲労」を再構築する計画を立てるうえで、社会制度やそれを支える技術の専門家と一般市民との「対話」が「三人寄れば文殊の知恵」の理(コトワリ)の如く有効だと述べました。

 ところが今回、川崎市民アカデミー講座で試みた「対話」は、大変興味深い事実を示してくれました。それは言葉の問題で、専門領域が違うと言葉使いも異なるように、一般市民と専門家とでは、それぞれに「方言」があり、鹿児島弁と弘前弁では会話が成り立たないようなものがあります。従って、「対話」は言葉を交わしながらお互いの背景となる生活と考え方とを理解しあうことから始めなければなりません。ただ、理解することと同意する事とは些か異なっており、お互いの「多様性」を尊重することがその人間性に敬意を払うこととなります。

 人は誰でもその生き様の後ろ盾となる社会と文化を背負っており、それがその人の歴史であり、魅力でもあるわけです。その集大成として世界各地の共同体でその社会と文化とが歴史的に形成されてきています。こうして、私達一人ひとりが人類の歴史創造に参画しているという事への自覚をはっきり持つことにより、歴史的事実の正確な把握と分析から歴史的知恵を学ぶという事が楽しくも有意義なものとして実践されるでしょう。

  青竹に刻む歴史や竹伐り会  (青史)

 (地球技術研究所代表)