【オルタの視点】
<フランス便り(25)>

一段落した労働法改革

鈴木 宏昌


 本年5月に成立したマクロン政権が最初の大きな改革と位置づける労働法改革は最終局面を迎え、まだ適用条例などの細部の詰めは残っているが、全体像が見えてきた。今回の労働法改革は、末期だったオランド・ヴァルス政権の2016年の改革が積み残したところを補足したもので、これで労働法改革は一段落することになると思われる。昨年、左翼系の組合のデモが連日続き、大きな政治的混乱を生んだのに比べると、今回の改革に対する反対運動は大きな広がりを見せず、マクロン政権は、まず第一の関門を通過したことになる。もっとも、EUが求める労働市場改革の観点からは、労働法改革はその第一歩に過ぎず、今後、失業保険、年金改革そして職業訓練などの政治的にデリケートな宿題が控えている。

 最近、私は、日本でこのフランスの労働法改革に関するシンポジウムに参加する機会を得た(国際シンポジウム「働き方改革に向けて」2017年10月31日、海外産業育成協会主催)。基調講演を行なったパリ第一大学の Jean-Emmanuel Ray 教授の講演は、実に刺激的で、興味深かったので、その内容を紹介しながら、2016、2017年の労働法改革の全体像に迫ってみたい。Ray 教授は、労働法が専門だが、企業人事・法務に詳しく、ネットなどの新技術と労働法では、文句なしの第一人者である(氏はパリ政治学院出身の経済学学士でもある)。

 伝統のあるパリ第1大学(ソルボンヌ)で教えるとともに、パリ政治学院、理工系のトップ大学院(Paris-Tech、昔から Mines として知られる)でも教え、ENAでも講義することが多いという。言わば、フランスのエリート教育の労働法を一手に引く受ける超人気教授である。左翼系の労働法学者が多いフランスの労働法学界では異端児で、マクロン政権の中枢の人と親しい模様である。

◆◆ 労働法改革の背景

 フランスの労働法の集大成である労働法典は、現在では3,000ページを超える分厚いものになっている。ここ40年間、雇用問題、産業民主主義や男女平等の流れがあり、次第に労働法が積み上げられ、法典化されてきた。フランス法の伝統として、法規範の原則と定義、例外の範囲、手続き、制裁などが、細部を含めて、労働法典に書き込まれている。たとえば、有期雇用に関しては、期間の定めのない雇用が原則であるので、例外的な雇用と位置づけられ、実に労働法典の20数ページを割いて、19の有期雇用の類型が書かれている。そこには、契約期間とその更新、契約終了時の特別手当などが定められている。

 また、解雇に関する章は、個人的理由による解雇、経済的理由による解雇、集団的整理解雇に分かれ、200ページを超えて、解雇の定義、細かな手続き、企業委員会との協議、職業訓練や配置転換による解雇回避義務などが定められている。日本の労働契約法がわずかな条文しかなく、多くは判例に頼っているのと対照的である。昔から、フランスで選挙が行なわれる度に、労働法の簡素化が言われてきたが、労働法のインフレはあっても、労働法典の大きな削除が行なわれたことはない。既存の法を廃止すれば、必ず保護を失う人が出てくるので、労働組合の代表はいつも法の廃止に反対し、結局、新しい法が積み重なることの繰り返しであった。

 さて、Ray 教授は、近年の労働法改革への大きな流れを高度成長期の労働法から、雇用・失業問題の深刻化という現実の前に、企業実態に即した労働法へのゆるやかな転換と大胆に把握する。
 高度成長期のモデルは、労働法が賃金・労働時間などの最低基準を定め、その土台の上に、重層な団体交渉がくる。すなわち、産業別団体交渉で、その産業における雇用・労働条件を上乗せする。さらに、大企業では、企業協定により、実際の賃金や労働時間短縮を定めていた。ドイツと異なり、産業別協約の実際的影響は限られていた。この上に、民法でその不可侵性が保障されている個別の労働契約がくる。

 このような法秩序(法規範、産業別労働協約、企業協定、個別契約)が高度成長期に安定的に機能したのは、フランスの特異な代表的労働組合の位置づけと労働者の有利原則にある。フランスの労働組合の組織率は、先進国で最低に近く、とくに民間企業では5%を下回ると推計されている。しかも、周知のように、いくつもの労働組合に分かれている。それにもかかわらず、労働組合の影響力が強いのは、代表的な労働組合と認定された組合(全国レベルで5組合)は、組合への加入者数とは関係なく、労働者全体の声を代表するものと規定する法があるお陰である。このため、労働協約は、日本のように組合員のみに適用されるのではなく、すべての労働者に適用される原則となる。過去には、少数組合の1つ、あるいは2つが署名しても、産業別労働協約として、労働省令で拡張適用された。

 この特異な労働組合の位置づけと対になるのが、有利原則と呼ばれるもので、下位の協約・協定が上位の法を変更できるのは、労働者に有利なときに限られるという原則である。つまり、法が最低の基準を設け、その上に産業別協約と企業協定がより良い労働条件を定める。これに加えて、個別契約でさらに良い労働条件を引き出す技能労働者が存在していた。

 このような重層な法秩序と団体交渉を可能にしていたのは、年率5%に及んだ高度成長があったためと Ray 教授は指摘する。少数組合しか署名しない労働協約が労働者に受け入れられたのは、協定が定めるのが、その年の賃金・手当ての引上げ分でしかなく、いずれにしてもその協約はすべての労働者に適用されるたことからきていた。つまり、署名組合がほんの少数組合でも、一般労働者が文句を言う理由は少なかった。

◆◆ 近年の労働法改革の流れ

 1970年代になると、フランスの経済情勢は変化し、低成長が続き、雇用情勢が深刻化してゆく。石油ショックによる一時的な不況と考えた政治家は、解雇規制の強化や早期退職の奨励などの政策を打ち出すが、効果はなく、失業率は上がり続ける。1981年に政権を獲得したミッテラン政権は、そこで大きな労働法改革(オールー法)を行なう。企業内の団体交渉の促進と労働時間の柔軟化が目指された。たとえば、労働時間に関しては、企業協定による年間みなし労働時間制を採用可能とし、労働時間に関する毎年の団体交渉を義務化した。

 この1982年の改革を Ray 教授は高度成長期モデルからの決別の分岐点と位置づける。すなわち、絶えず賃金の引き上げ、手当ての増加をめぐる労使の分配交渉から雇用維持のための譲歩の交渉へと団体交渉の性格が変化する。さらに、2000年の35時間制に採択になると、フランスの伝統的な法秩序そのものが風化し始める。カードルと呼ばれる専門職・管理職層は、労働時間管理を離れ、年間みなし労働時間により、2週間あるいは3週間という労働時間短縮分の有給休暇を獲得する。国は法律で最長労働時間を規制することをあきらめ、企業ごとの労働時間の選択の道を開いたと考える。

 この線上で、2004年の改革(企業協定により産業別協約からの適用除外を行なう可能性が開かれる)、そして、2008年には、代表的組合に関するルールの変更(4年毎の職場選挙で、少なくとも10%の得票を得なければ、団体交渉に参加できない)、協約発効への要件設定(職場選挙で30%を超える労働組合の署名が必要となる)が法制化された。

◆◆ 2016年、2017年の労働法改革

 社会党のオランド政権の時代には、失業率は少しも回復せず、財政赤字もGDP比で4%近くに上っていた(EUの財政規律は3%以内)。オランド政権が、雇用問題解決の切り札と考えたのが、企業への税負担の軽減と労働法改革であった。なお、この政策変更は、与党社会党の主流派と党内左翼との対立を決定的なものにした。

 2016年の労働法改革は、企業の実態を知る企業内労使交渉を重視し、労働時間の長さや編成に関して、単に法や産業別協約からの適用除外を行なうのではなく、むしろ企業協定が労働時間を決定し、協定が無い場合に産業別協約や労働法の基準が適用することが目指された。これは、多くの国では一般的に受け入れられている労働条件決定の仕組みだが、集権的国家の伝統があるフランスでは、現場に委ねることは一種の革命であると Ray 教授は指摘する。フランスの組合は、中央と産業レベルあるいは地域レベルで組織されているので、一部大企業を除くと、職場レベルでの活動は低調である。このため、多くの組合にとって、職場交渉の重視は、組合の死活問題でもある。だからこそ、CGTやFOなどの左翼系の組合は、2016年の改革の際に、猛烈な抗議デモを行なった。

 オランド・ヴァルス政権の苦い経験を知るマクロン政権は、すべての労働組合との徹底した対話路線を採用しながら、改革案を練り、その中に企業が求めていた項目をいくつか盛り込んだ。大きなポイントとしては、
①労働時間の決定は企業協定が定めるものとされ、協定が成立しないときのみ、補足的に産業別協約、あるいは法基準が用いられる、
②企業協定には、職場選挙で過半数の得票を得た組合・組合連合の賛成を必要とする、
③企業協定を拒否すること(労働条件の不利益変更)は、正当な解雇理由となる(集団的解雇の煩雑な手続きは適用されない)、
④組合のない零細企業では、一般従業員と交渉し、協定とすることが可能となる、
⑤多国籍企業のフランス子会社が業績不振で整理解雇を行なう場合、業績判断の範囲はフランス国内で活動する企業が対象となる、
⑥簡易労働裁判所における解雇手当ての判断には、勤続年数に応じた上限を設ける、
などである。したがって、2017年法は、2016年法が積み残した部分を補う改革と言うことができる。

◆◆ 「つながらない権利」

 2016年法には、「つながらない権利」(droit à la déconnexion)が明記された。これは、労働時間終了後、家で仕事をさせたり、有給休暇の最中に仕事のメイルを送ったりすることを禁止し、個人の休暇権を尊重し、私生活と職業生活のけじめを付けようとするものである。この分野の専門家である Ray 教授は、これを古い考え方に基づいた手法で効果はないとみている。まず、有給休暇中でも、職場のメイルなどを見る習慣があるのは、管理職などの責任のある地位に就いている知的労働者に限られることを指摘する。そのような地位にある若い世代の人たちは、四六時中ネットとつながり、何回もケータイなどを開き、メイルが入っていないかをチェックする。

 私的なメイルと職業的なメイルが混在するのが当たり前なのが実情である。会社にいる間でも当然、私的なメイルも開くこともあり、休暇中に職業的な関係の人にメイルを送ることもある。これまで、職場でのケータイやパソコンの私的使用を禁じようとした会社はあったが、成功例はない。子供を学校へ送り迎えをしなければならない親たちは、その時間に合わせて退社しなければならない。
 その代わり、子供たちが寝込んだ21時以降に会社の仕事を片付けることには抵抗はない。つまり、現在の若い世代にとって、職業生活と私的な生活は、ネットを介して、混同しているのが普通である。昔の工場労働者は、工場にいる時間が労働時間で、一歩外にでれば私的な時間になった。しかし、現在のように、絶えずネットにつながり、職業生活と私生活が混同してくると、労働時間自体を計ることが困難となる。

 これまでの労働法は、工場労働者をモデルとして、労働者保護を制度化してきた。すなわち、使用者の指揮・監督下にある(従属関係にある)労働時間を規制し、団体交渉を促進することで労働条件の改善を行なってきた。従属関係と労働時間を軸として発達してきた労働法だが、すさまじいデジタル革命と知的労働の増加に対し、どう対応するのだろうか? 知的労働者は、どこでも、いつでも、ネットにつながり、自律性の高い労働をしている。
 以上が私が読み取った Ray 教授の講演の骨子だった。

 実に刺激的な講演であった。フランス経済・社会が置かれた現状、とくに深刻なフランスの雇用情勢を考えると、教授の分析は実に強烈である。日本の労働法は、フランスと比べるとソフト・ローの性格が強いが、デジタル革命など共通の部分も多く、教授の分析には考えさせられた。 (2017年11月17日)

 (早稲田大学名誉教授)

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