【オルタの視点】

リニア計画の意義、経営リスク、残された選択
—異端な超高速鉄道プロジェクトの政策・経済・社会的問題を問う—

橋山 禮治郎


◆◆ はじめに

 英国の哲学者T.ホッブスは「実践なき理念は空虚であり、理念なき実践は危険である」と言っている。筆者は長年、国の長期計画(所得倍増計画、全国総合開発計画等)、公共インフラ投資、民間設備投資等の事業計画(プロジェクト)を数多く検証してきたが、常に脳裏にあったのはこの至言である。日米開戦、原子力開発利用、国土開発、都市計画、新幹線や高速道路建設等を取り上げるだけでも、この至言の持つ重みを痛感せざるを得ない。
 東海道新幹線、トヨタ自動車生産方式のように成功したものもあるが、他方ではむつ小川原工業基地開発、東京湾横断道路、関西国際空港、福島原発、宮崎リゾート開発、八ツ場ダム、高速増殖炉もんじゅ、東京一極集中など、ほぼ失敗したと評価される事例も少なくない。わが国では80年代以降、各種の規制を緩和し事後評価を重視してきたが、現在の私達や後世代の人々の生活に関わる公共・公益的なプロジェクトや政策については、それが新しい技術、革新的手段であっても、その採択については十分な事前評価が必要であろう。

 本稿では、その一つである「リニア中央新幹線計画」について筆者なりの事前評価を試みることとしたい。ただ残念ながら、リニア中央新幹線計画なるものに対する国民の理解・関心は、工事が着工し始めた現在でも決して高くない。国会議員でさえ十分な知識を持っていない。しかし以下で述べるように、リニア計画は単にJR東海の投資計画に留まらず、その成否は将来のわが国の高速鉄道網の在り方、全国JR各社の将来、さらなる東京一極集中など、21世紀後半のわが国の交通体系に大きく関わる巨大プロジェクトである。
 しかもその影響はそれに留まらない。10兆円を超える巨額な資金と約60年(1980年代半ば〜2045年予定)を掛けて建設される超高速リニア鉄道は、わが国の経済、財政、社会、技術、自然環境、国土利用、人口分布、地域交通など多くの領域に大きな変化をもたらす国民的プロジェクトである。その意味で、本誌の読者である各分野の科学者諸氏にも傍観できない問題として一緒に考えて頂きたい。

◆◆ 1.政策的視点からリニア計画を評価する

 リニア中央新幹線は民間プロジェクトか、国家事業か。この問題はかなり複雑である。
 リニア中央新幹線がこれまでの新幹線といかに違うかは、触れざるを得ないが、国がこれまで新幹線の建設にどの様に関わってきたかをまず最初に触れておきたい。
 国鉄が分割民営化される以前につくられた東海道新幹線、山陽新幹線、東北新幹線(東京・盛岡間)は国から一部融資を得た国鉄が自ら建設してきたが、1987年の分割民営化以降は建設主体、資金負担において度々の変更がなされてきた。即ち、分割民営化と同時に、新幹線はすべて新設の「新幹線保有機構」に譲渡された。その後の新幹線建設工事は国、地方公共団体、当該JR会社が夫々1/3ずつ資金負担することとなった。それも長続きせず、現在は国が2/3、地方が1/3の資金を負担し、「鉄道建設・運輸施設整備支援機構」が建設・保有している施設をJR会社に貸し賃貸料を受け取っている。
 しかしリニア中央新幹線だけは建設、営業、資金負担をすべて自社でやる方式で申請し認可された事業だけに、国と企業の責任分担が極めて曖昧である。詳述は避けるが、国は例外的に自力建設を認めたのか、将来資金不足や赤字経営が深刻化した時に国は救済するのか、賠償責任をどちらが取るのか、国は明確な監督権限を行使するのか、等である。現に沿線各地の現場で問題が起こっているだけに国の姿勢を明確にすべきである。

 もう一つ考えざるを得ないのは、全国新幹線整備法との法的整合性である。全幹法は目的として、新幹線網の全国的整備、中核都市間の効率的連結、地域振興の三つを掲げているが、リニア計画はその全てに合致していない。即ち現在の新幹線網に乗り入れできない、直線最短ルートであるため途中の中間駅の利便性は殆ど考慮されず、開業後の効果はあまり期待できない。逆に駅関連施設の建設費は主要3駅は自社負担とするが、中間駅は地元に負担させている。

 更に大きな問題は、代替案との比較検討も技術評価も殆どせず、当初から超電導磁気浮上方式のリニア導入を独善的に決め、採算性、安全性、環境保全性に対する真摯な検討も十分なされてこなかったこと、今なお検証不十分な技術が残されていることである。公益事業でありながら沿線住民に対する説明が極めて誠意に欠け、政府(国交省)も民間企業の投資計画を盾に国民への情報提供を拒否してきた。環境重視の姿勢も双方とも著しく欠けている。
 本年5月、17年かけて貫通したスイス〜イタリア間の世界最長のゴッタルド鉄道トンネル(57km)は、計画段階で国民投票を実施し63%の賛成を得て着工したプロジェクトである。政府答申の直前に行った国交省のリニア国民意識調査(パブリックコメント)では反対意見が73%あったにも関わらず、政府審議会小委員会の家田仁委員長は「審議会の結論を変更させるものではない」と無視して答申を急いだ。両国の計画プロセスの違いには驚くばかりである。

 リニア計画の最大のリスクは利用者の安全確保にあるが、多くの活断層を貫通するリニアが大地震による断層のずれ、トンネル崩壊、火災、停電、テロ等に遭遇する蓋然性は新幹線や航空機の比ではない。見たくないもの、考えたくないものを排除して安全神話に逃避するならば、経営資源の大半を投入する会社の命運と技術立国としての国際的信頼を一挙に喪失させることにもなりかねない。

◆◆ 2.目的は妥当か ——リニアの意義と必要性を問う——

 リニア計画が結果として成功するか、失敗するかこそ、核心的問題である。プロジェクトの成否を決定する条件は、適正な目的と適正な手段の併存である。
 まず筆者の私見を述べれば、プロジェクト成功の第一条件である「妥当で明確な目的」、換言すれば「国民が納得できる大義名分」がないことに驚かざるを得ない。会社側が当初から掲げていた「輸送能力増強のためにバイパス建設が必要」「移動時間短縮のためにリニア導入が必要」との言い分も全く裏付けがない偽証的主張である。現在の東海道新幹線の座席利用率は63%強で推移しており十分余力があるし、時速500kmに対する国民の要望も実態がない。鉄道経営の持続性を可能にする第一の条件は、常に安定した需要が存在することに尽きる。潜在需要の調査もせずに、長期的人口減少の中で大幅な需要増加を前提にする計画は理解できない。信じられないことに、国交省の需要見通しでは今後の人口減少を全く織り込んでいない(太田昭宏国交大臣国会答弁)。

 JR東海は最近になって上記の目的を引っ込め、「世界唯一の超電導磁気浮上方式リニアの実現」を錦の御旗にしているが、これまた国民に対する大義名分になっていない。リニア計画の目的が「リニアの実現」では堂々めぐりで、何のためにリニアを実用化するのかに対する答えになっていない。将に手段自体が目的化している自己矛盾の計画だと言うしかない。それでも、リニア実現=目的=手段だと主張するならば、リニア計画は利用者や国民のため、社会的利益実現のためという公益企業の社会的使命を全く考慮外において取り組む「わが社の、わが社による、わが社のためのプロジェクト」であると宣言しているに等しい。これでは“理念なき実践”だと断言するしかない。超音速機コンコルド、東京湾横断道路の二の舞いにならないか心配である。

◆◆ 3.採算性をどう見るか

 市場経済社会において事業の採算性をどう考えるかは、いろいろ違った見方がある。経済学的には純粋私的財から純粋公共財まで多様であるが、財サービスの供給主体も、国、財政投融資機関、地方自治体、公設民営形態、半官半民組織、民間会社など多種多様である。しかし如何なる事業、いかなる供給主体であろうと、その事業を長期間安定的に運営するために不可欠な条件は、前述したようにその財サービスを必要とする需要が存在することと同時に、供給者が採算を維持して事業を安定的に継続できることである。
 さてリニアプロジェクトの採算を検討する場合、新たにリニア中央新幹線株式会社が新設され、単独で建設・運営することを想定して長期収支、資金調達コスト、投資回収等を算定する方法も考えられる。外部の投資家や長期資金融資機関は、こうした単独プロジェクトベースで採算性、償還能力等を評価するのが一般的であるが、リニア中央新幹線計画の場合はそうした厳格な収支見通しは難しいし、実際的でもない。なぜなら、東海道新幹線の営業利益から蓄積された潤沢な自己資金の充当、低利で調達可能な長期借入金、リニア利用者を新幹線から転換させる誘客戦略等、種々のリニア支援策(内部補助)が考えられるからである。

 さて昨年(2015年12月)南アルプストンネル東側で起工式を行った東京・名古屋間と2028年以降着工予定の名古屋・大阪間の新幹線が、果して予定通りに完成・開業し、採算が確保できるだろうか。
 収支を決定するのは、言うまでもなく収入と支出の大きさである。まずJR東海のバブル崩壊後25年間の新幹線収入は殆ど横這いで推移しているが、近年の金利低下による支払利息の減少で経常利益は大幅に増加し、JR他社をはるかに上回る高収益を誇っている。しかしリニア工事が本格化する2018年以降は年々資金支出が急増し、リニア収支は当初想定の楽観的見通しを大幅に下回り、2027年の名古屋開業初年度から筆者の試算では大幅な赤字操業が予想される。
 2013年9月、山田佳臣社長(当時)が「リニアは絶対ペイしない」と記者会見で公言したことを記憶している方も多いであろう。社長見解は期せずして私見とほぼ同じだったが、不可解なことに事業を認可した国交省も主要株主も主力銀行も何一つ動かず今日まで傍観を続けている。少なくとも事業を認可した国交省当局は計画の再検討なり修正を勧告するのが当然であろうが、ここら辺りにも「完全な自主的計画ゆえに認可したにすぎず、政府にそれ以上の責任はない」と言う政府側の認識と、「政府審議会の答申を受けて認可された計画である以上、政府の責任も明確になったはずだ」との双方の思惑の違いが、今後どの様な行動として表面化するだろうか。投資環境の厳しい変化が益々予想される現在に於いても会社自身に計画修正の意向がないならば、リニア計画の前途はさらに厳しくなると見なければならない。

 今後の需要動向についても、高度成長期は供給力増加、新技術、新製品が新たな需要を生み出したが、現在は全く違う経済社会である。人口減少、生産拠点の海外移転、地域格差の拡大、止まらない東京一極集中などいずれの経済社会指標も、利用者の増加、リニア開通による関西経済圏の再活性化が期待できる時代ではない。ホッブス流に言えば、人口と企業の東京一極集中は抑制されるべきだが、政府自身が実効性ある手段・政策を講じない現状では、リニア大阪開通も僅かなインパクトしか期待できそうにない。

◆◆ 4.怪しくなってきたリニア計画

(1)巨額な財政支援は何をもたらすか

 そうした状況下で、リニア中央新幹線計画がいよいよ怪しくなってきた。伊勢志摩サミットが終わり参議院選挙の近づいた6月上旬、突如、関西出身の自民党国会議員に安倍首相までが一緒になって、国の財投資金を使って2045年予定のリニア大阪開業を早めよと言い出した。新聞報道によると、財投関連法を改正して、来年以降3年間に3兆円の財投資金を超低利又は無利子で特殊法人「鉄道建設・運輸施設整備支援機構」を通してJR東海に貸付け、名古屋・大阪間の工事を前倒しして全線開通を8年早めよというのが自民党議員の意向のようである。

 それがどうだろう。当初から「国から金を貰うと口まで出されるからお断りだ」と言っていた会社(柘植康英社長)側が、政治家側が口を出し始めたら、即座に「有難いことです」と言い出した。「途中で資金不足になったら、工事を中断させる」と明言していた政府(国交省鉄道局)も態度を直ちに反転させた。
 しかし超金融緩和の現在、財投資金で支援する必要は全くない。民間銀行には貸出余力が十分あり、社債を発行すれば財投債とほぼ同水準の年0.4%程度で調達できる。官民双方の騙し合いか、慣れ合いか。どちらにしても収支計画にせよ、資金計画にせよ、当初計画が大幅に変更されることは確実である。ただ政治家が介入してくると、経路や中間駅地点、更には建設主体まで変更される事態も考えられる。そうなれば、政府が当初JR東海(株)に認可した建設工事自体が実質国営事業へ大幅に変更される可能性も出てくる。国会議員の中には、JR東海ではなく、国主導の建設を内心望んでいる議員も結構多いからである。

 しかし公共財の整備を自ずからの業務としてきた財投機関が、リニア建設事業支援だけの為に法改正までして融資業務まで広げるとなると、財政融資と民間融資の競合問題が再び表面化するだけでなく、今後のJR他社に対しても同様な助成措置を適用するのが法的に当然となろう。戦後最も成功した行財政改革だと評価されてきた国鉄の分割民営化後約30年、JR6社の企業格差は益々拡大し、地方3社の前途は極めて深刻である。このJR6社の再編成こそわが国の鉄道網の維時にとって最大の問題であることは明白な時に、何ら長期的構想もなく、当面のリニアの前倒し開業だけに一政権の景気対策として巨額な財政融資を実施するのは、国鉄改革の基本哲学に照らしてどう理解すべきであろうか。
 こうした事態を招くに至った主たる原因は、閣議決定も国会承認も経ず、全幹法の目的も無視して、リニア方式を前提にした中央新幹線の建設を安易に民間会社に任せた政府の無責任な政治判断にあると言わざるを得ない。世界に誇る新幹線に優るのは速度だけで、何十年経っても新幹線に代替することも補完することもできないリニアを「この道しかない」と急ぐのは日本の将来にとって木を見て森を見ない愚策の選択と言うべきであろう。

 いずれにせよ、JR東海がリニア導入に固執する限り、高コスト構造と赤字操業は避けられず、計画の失敗は必至であろう。失敗を回避する唯一の方法は東海道新幹線を廃線にすることしかないが、これこそ国民から総反発を受けるであろう。現に計画段階で山田社長(当時)自らが名古屋までは作れても絶対ペイしないと公言している。それにも拘わらず、政府も株主も債権者も傍観、沈黙を続けている。その結果は一会社の問題に留まらず、人口減少下の地方再生と全国新幹線鉄道網の軟着陸を困難にならしめ、一方ではさらなる東京一極集中を促進することになろう。鉄道インフラ整備の価値は、単に建設工事中の投資効果にあるのではなく、完成後に国民の共有資産として長年にわたって利用されることによって発揮される経済社会的効果にあることを政策決定者は十分認識して頂きたい。

(2)あまりにも異端な超電導リニア技術

 筆者も超電導磁気浮上技術の存在は十分認めるが、その実現に否定的なのは、残念ながらリニア鉄道計画はあまりにも異端な計画であり、将来の発展可能性は見込めないと思うからである。どこが異端か。レールも車輪もない超電導磁気浮上鉄道であるため、他の新幹線網に乗り入れができない、東京大阪間438キロの70%以上(東京名古屋間は86%)が深い地下走行で運転士ゼロ、乗務員2名程度では事故発生時の救出は絶望的である。わが国最大の破砕帯を貫通する大型土木工事に巨額な国費(未着工の全国新幹線の相当部分を建設できる金額に相当する実質国民の税金)を投入して前倒しで完成させるのがどれほど国民のためになるのだろうか。
 キロ当たり建設費と消費電力も新幹線の2〜3倍、建設目的も整備新幹線の目的には全く該当しない鉄道である。時速500キロのみが喧伝され、夢の超特急の虚像だけが広がり、関西選出の国会議員と経済界首脳、沿線地方自治体首長、一部の利害関係者だけが旗を振っているプロジェクトである。あれだけ政財界あげて要望し実現した東海道新幹線、関西国際空港で関西圏はどれだけ活性化しただろうか。工事前倒しを言い出した政治家の方々は、東京一極集中を促進させた根本的因は何であったかを検証したのだろうか。これまでとは違って、第三の矢「リニア開通」が間違いなく“6千万人の巨大都市圏”をつくる合理的根拠を具体的に示し、広く国民の合意を得る努力をしただろうか。

 もう一つの異端は言うまでもなく、リニア鉄道について関心や興味を持っているのは世界中でJR東海(株)だけだという事実である。競争相手や共同開発者がいない状況下では技術革新も市場開拓も殆ど期待できない。今回の場合、表立ってリニアに代わる代替案を提唱した鉄道関係者、研究者も少ないが、逆にリニアが新幹線より優れていると主張している学者や鉄道専門家は、以前から「リニア村」に所属の学者以外には殆どいない。むしろリニア計画に強い疑問や反対の考えを持っている方々は、一般の沿線住民、JR他社の鉄道関係者、学者、言論界、評論家、通過県以外の国会議員、経営者、行政官僚、弁護士、主婦、登山者等に広がっている。既に沿線住民の中には工事による被害を受けている人々も出始め、原告者738名が2016年5月、国土交通大臣に対し、全幹法に基づく中央新幹線実施計画認可処分取り消しを求める訴訟を提起した。

 こうした事態に至った原因の一つは、福島原発事故直後の大混乱の中で政府審議会ではリニア計画の是非が「結論先に在りき」で殆ど議論されず、短期間で政治的に決定されたことにある。それを如実に示すのが、「新幹線は安全性、信頼性、利便性、快適性、ネットワーク性、省エネ性、建設コスト、運営費用の点でリニアに優っているが、高速性の点でリニアが優っているのでリニアが適当である」という結論を出した“歴史に残る”迷答申である。これがわが国の政府審議会の実態である。国民合意を求める姿勢など全くない。
 リニア計画についての情報公開が極めて少ないため、一般国民にとって計画自体に対する評価・判断はいろいろあるのは当然であろうが、筆者が自信を持って言えることは、日本の新幹線に優る高速鉄道はないと高く評価している外国首脳、有識者、鉄道専門家、交通学者、報道関係者、訪日経験者が世界中に驚くほど多いという事実である。読者で驚く方もいるだろうが、鉄道の歴史が示すように、鉄道はこの200年間、駆動原理と走行方式は殆ど変わらず、改善と改良の積み重ねで漸進的に発展してきた経験工学である。今後も漸進する鉄道は私達国民にとって必要かつ有用な交通手段であり続けるであろう。

 余談になるが、ドイツのリニア計画は、少ない需要、高い建設費、在来鉄道網との相互乗り入れができないこと、森を破壊すること、輸出市場が無いことから連邦議会の厳しい検証の結果中止された。超音速機コンコルドは経済性(開発費・需要・料金)、技術(撚費効率)、環境破壊(大気汚染・騒音)で失敗に終わった。民間施工の英仏海峡トンネルは、サッチャー政権が一切の政府支援を事前に拒否した(着工後、会社は資金不足で倒産した)。わが国では政府も政治家もこうした技術開発プロジェクトの失敗例から得られる教訓を何一つ学ばず、リニア計画が持つ意味、将来社会への影響、公設民営に在り方、官民双方の責任分担等について殆ど検討も取り決めもせずに安易な着工を認めた。経営的にも技術的にも「安全神話」はあり得ないことを肝に銘ずべきである。

 世界中で鉄道の価値は近年確実に高まっている。わが国も鉄道インフラ輸出に積極的であるが、いま諸外国で共通に求められている条件は安全性、利便性、経済性、環境保全であって、決して大幅な高速化ではない。鉄道先進国も最高時320キロで並んでおり、車両メーカーも鉄道会社も高速化で国際競争する時代ではない。航空機業界、自動車業界も同じである。また鉄道に求められるのは、部分最適化ではなく全体最適化であるという点である。その点から見ても、東京・大阪間だけのリニア高速鉄道の導入は全国新幹線網を阻害するだけでなく、国際競争力強化を狙う戦略としても的外れであろう。現にEU域内では各国間の鉄道の安全性、利便性、相互乗り入れ等を促進するため、電圧・周波数・軌道幅・信号・通行方向・ホームの高さ等の基準統一を図り、鉄道輸送は量質両面において大幅に改善されつつある。

◆◆ 5.残された選択は何か

 いかなるプロジェクトにもリスクはある。そのリスクを軽減するのが計画段階に求められる計画能力、事前評価能力である。プロジェクトの成功・失敗は事前にほぼ予測可能である。1980年代のバブル期に「何とかなる」「やってみなければ分らない」で突進して失敗したプロジェクトが如何に多かったことか。
 これまで述べて来たように、リニア中央新幹線計画には目的においても進め方においても検討不十分な点が多く、建設中に重大な問題が顕在化し中断または断念に追い込まれるリスクも皆無とは断言できない。辛うじて完成・開業したところで、当事者たるJR東海のみならず、沿線住民や多くの国民、将来世代、JR他社、国家財政、わが国の自然環境などに計り知れない損失が発生し、その負債解消のために多くの人々が苦しむことはないだろうか。
 筆者の懸念が杞憂に終われば幸いであるが、今後わが国の人口が急増し、リニアの建設工事費が大幅に低減し、現在の新幹線よりはるかに高い料金で多くの利用者が安心して頻繁に乗ってくれるだろうか。少々楽観的に考えても、そうした時代はあり得ないであろう。インフラプロジェクトは、失敗は初めから明らかでも一旦始めたら終わらない。途中で変更も中止もできない不可逆な選択である。そしてその責任は誰も取らない。
 そうした失敗をこれ以上繰り返さないために、現時点で私達に残された選択肢はないのだろうか。筆者に考えられる選択肢は、(一)リニア計画の中断と計画の大幅な見直し、(二)東海道新幹線の抜本的改修、(三)リニア方式から新幹線方式への変更、この三つである。第一案は、工事が本格化していない現時点で国は現行のリニア計画の工事を一時中断させ、その上で冷静な洞察力、長期的構想力、専門的知見を有する超党派両院の政治家と各界の学識経験者や有識者から成る「今後の新幹線整備の在り方を考える構想会議」を国会内に設け、広い見地から1〜2年程度真剣に検討を重ね、最善の政策判断によって今後わが国の進むべき方向を再設定することである。この構想会議で十分検討がなされれば、その過程で自ずから(二)案と(三)案も議論の対象になろう。急がば回れである。

 以上、リニア計画の意義、付随する経営、技術、環境等に関する諸問題について検討してきたが、実はその先にはもっと重大な問題が存在していることを指摘しておかなければならない。それは30年前の国鉄の分割民営化時点では予想していなかったJR6社間の企業格差が考えられない程拡大し、今後10〜20年以内に抜本的な再編成をしなければ、全国のJR鉄道網は決定的に破壊を余儀なくされる段階に直面すると考えられるからである。民営化後、JR各社が自主的な経営責任が問われていることは当然であるが、JR各社は地域内交通を維時すると同時に、全国的な地域間交通を連帯して維持する公共的責任を負うべき公益事業体であるだけに、JR共同連合体として共存可能な体制を保証するのは国の大きな責任であろう。その点を考えると、これまで論じて来たリニア新幹線の位置付け、その成否等が、政府とJR各社との関係、今後のわが国の地域間高速鉄道網の在り方と無関係でないと言わざるを得ない。
 最後に、私たち科学者、研究者、学識経験者も、重要な時は狭い専門領域だけに留まることなく、持てる英知を発揮して人類社会の進歩、社会的善、人々の幸福追求のために新たな発想、より望ましい方法や代替案の提示等を含め、さらなる実践的努力が求められていると考えたい。

 (アラバマ大学名誉教授)

※本稿は、学術誌『日本の科学者』2016年9月号掲載論文の一部を加筆修正したものです。


最新号トップ掲載号トップ直前のページへ戻るページのトップバックナンバー執筆者一覧