■ 【エッセー】

メイ・サートン著「私は不死鳥を見た」をめぐって 高沢 英子

   ~人間教育のドキュメント~
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  メイ・サートンが「自伝のためのスケッチ」と銘うって書いた表題の作品、第
2部は、詩人の教育という副題がつけられ、前半はサートンが幼年期から少女期
までの9年間に受けた創造性豊かでユニークな初等教育がどのようなものであっ
たかを、詩情溢れる筆致で描き出す。

 マサチューセッツ州ケンブリッジにあった連帯方式によるシェイディヒル・ス
クールで受けた進歩的な初等教育は、彼女の人生に決定的な影響を与えた。

 校長のミセス・アグネス・ホッキングは哲学者ウイリアム・エルネスト・ホッ
キングの妻で、詩人の娘という経歴の持ち主で、その教育理念は目指すところに
おいて、同じ頃、イタリアで始まったマリア・モンテッソーリの教育理念と相通
じるものであったが、さらに過激で、空想的要素に富み、モンテッソーリが、す
べての子供たちを対象に編み出した、生命工学に即した、理性的で、キリスト教
の愛の倫理に貫かれた実践教育とはやや路線を異にしていた。

 シェイディヒルの生徒たちは、どちらかといえば裕福とはいえないが、知的環
境に恵まれた子どもが多く、連帯方式という仕組みで、それぞれ専門分野で活躍
する子どもの親たちが、彼らの持つ知的財産を提供して教えて新しい学校に協力
したのである。

 そして初代校長ミセス・ホッキングの教育方針は、あくまでも直感に根ざした
型破りで奔放自在なものだったらしい。仮設小屋のような校舎は、メイに言わせ
れば「水のなかの魚のようにのびのびとくつろげる場所」であった。

 「私たちはこの学校の生徒として、ニューイングランドそれ自体のように、人
を緊張させると同時に変化にみちて予測を許さない精神的な気候の中にいた。私
たちは教育理念にしたがって教育されたのではない。原初の力のはたらきのただ
なかにおかれたのだ」

 こうして子どもたちは校長のミセス・アグネス・ホッキングと彼女の択んだそ
れぞれ個性豊かな教師の発するオーラに包まれ、ある種神秘的でストイックな方
式で、肉体と魂の鍛錬をほどこされたのである。

 「ミセス・ホッキングは詩の化身だった」彼女は「管理するのではなく創造し
た」ともメイは書いている。学校の最初の広告パンフレットには「子どもたちが
オープンな心と、学習への愛を身につけるよう、生きた子ども時代を維持するこ
と。生活に可能なかぎりの多様な悦びと、広がり、深さをもたせること。自律性
に裏打ちされた自由を確保すること」とあった。

 自律性に裏打ちされた、という箇所には、とくに傍点が振られていたという。
この学校が別名オープン・エアー・スクールといわれるゆえんである。そして、
この「自律性に裏打ちされた自由」というのは、モンテッソーリ教育がめざす
「規律正しさのなかでの自由」という、いかにもヨーロッパ的発想と微妙に食い
違っている。

 しかし、それだけにいっそう新生アメリカの風を感じさせ、颯爽としている。
サートンの「子どもたちは大人と同じく形式に憧れるし、それは創造的なエネル
ギーを束縛するよりも、むしろ解放するものだ」という言葉は含蓄に富んだ真理
であろう。

 「私たちはたしかに個人として育てられはした。しかしつねに、相互の関係を
意識するように仕向けられ、ひとりひとりの持つ差異を尊重に、大切にすること
を教えられた」とサートンはきっぱりいう。さらに「今、シェイディヒルで過ご
した歳月をふり返ってみるとき、この学校の強調した創造性と自発性は、つねに
各々の子どもの、コミュニティにたいする責任感、とりわけたがいの才能にたい
する尊敬だけでなく、『公民としての義務』に要約される倫理性によって平衡を
保っていたことに気づくのである」と。

 ホッキング校長が択んだ教師群がまた実にユニークで才能に富んだ女性たちで
あった。物静かで冷静な博物学者のミス・バトナム、熱狂的に数学を愛し、生徒
を愛していた小肥りのミス・エジエット。対照的なこの二人の教師を回想するく
だりは幼いメイの純真な魂をそのまま映し出す。メイはこのミス・エジエットに
1篇の短詩を捧げている。

  ようやく今になってわかるのです、正確無比の
   確実さという名誉をはるかに超えて
   あなたが教えてくださったのは数学以上の神秘だったと。
   詩人は真実への崇拝から出発するのですから。

 ホッキング校長の後を継いだ美しく繊細なキャサリン・テイラー、詩人ロング
フェローの孫娘アン・ソープ。生き生きと描かれる天才的な教師たちとクラスメ
ートの姿を、その受けた奇想天外ともいえる教育の実態を、さらに詳細に具体的
に写しだすことができないのは残念だが、数10年後、メイは回想の中でこうし
めくくる。

 「これらの大半は大昔の歴史になってしまった。学校はもはやオープンスクー
ルではなくなった。・・・そしてシェイディヒルはたしかに、多数の子供たちに
とって、今でも世界最高の学校だ。しかし有史以前の、ミセス・ホッキングと彼
女を引き継いだ天才を知っている私たちは、ひそかにこう考えているのだが、き
っと許していただけることだろう。
  『若いとき私は不死鳥を知っていた。だから、彼らには彼らの日々を謳歌させ
るがよい』

*文中の引用文はすべて武田尚子訳「私は不死鳥を見た」によりました。

      (筆者は東京都在住・エッセースト)

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