【コラム】宗教・民族から見た同時代世界

ミャンマー民主化の陰に若手仏教僧の活動あり

荒木 重雄


 ミャンマー国会は、3月、国民民主連盟(NLD)の幹部でアウンサンスーチー党首側近のティンチョー氏を大統領に選出した。軍政が続いた同国で、民主的な手続きで軍出身でない国家指導者が選ばれたのはじつに56年ぶりのことである。
 報道では、市民の歓びの声が伝えられ、また、昨年11月の総選挙でNLDが大勝して以来、アウンサンスーチー氏自身の大統領就任をめぐる軍との交渉に注目が集まっていたが、民主化実現への道程での人々の苦闘が改めて語られることは少なかった。
 そこで今回は、仏教僧の役割を中心にその過程をいささか振り返っておきたい。

◆◆ 8888民主化運動と挫折

 1988年8月8日、その年3月のラングーン工科大学での学生と治安部隊との衝突から始まった学生たちの反軍政運動は、この日、広範な市民、労働者、公務員、知識人を巻き込んだゼネストに発展し、首都ヤンゴンの路上は数十万人のデモの隊列で溢れた。その中で一大勢力として登場し人目を惹いたのが若い僧侶の隊列であった。僧侶に人々が篤い尊敬を寄せる社会で、その登場が人々を大いに勇気づけたことはいうまでもない。

 62年のクーデター以来、軍事独裁政権を率いてきたネウィン将軍は運動が盛り上がる過程で引退を表明するが、軍部が再度のクーデターで軍政を引き継ぐと、民主化運動に仮借ない弾圧を開始して、数千人が犠牲となった。運動の先頭に立った学生と僧侶に犠牲者が多かった。
 「危険分子狩り」を逃れて国境近くの少数民族地域に闘争拠点を築いた活動家、学生、僧侶も少なくなかった。

 新たな軍政が公約した総選挙は90年5月に実施され、アウンサンスーチー氏ら民主化勢力が結成したNLDが圧勝したが、軍政は議会招集を拒否して弾圧を強化。当選者の一部は海外に逃れたり、少数民族地域の闘争拠点に合流したりした。

 若手僧侶たちは、その後も、軍人やその家族が営む宗教儀礼では読経することを拒否したり、彼らから布施や托鉢を受けることを拒否する戦術で抵抗をつづけた。これを「鉢伏せ行」といい、ミャンマーの仏教徒にとって托鉢に応えることを拒否されることは、功徳を積んで後生を願ったり祖先を供養することを拒まれることだから、その心理的痛手は大きいのである。

◆◆ 血塗られたサフラン革命

 次に僧侶たちが運動の前面に立ったのは2007年のことであった。
 8月、市民生活を痛撃する燃料価格の大幅値上げをきっかけに、軍政に抗議するデモが元学生運動家など民主化勢力によって散発的にはじめられた。しかし、反政府運動への過酷な弾圧の過去を知る市民の立ち上がりは鈍かった。
 そこに再び登場してきたのが若い僧侶たちであった。9月に起こった、その僧たちのデモに軍が発砲し、殴打、拘束した事件は、僧たちの自尊心を著しく傷つけ、全国の僧たちに反軍政の大きなうねりを呼び起こした。僧たちの奮起に促された市民が、そのうねりを包むさらに大きなうねりをつくりはじめた。
 この運動は、僧衣の色に因んで「サフラン革命」と呼ばれている。

 こうしたなかで一部の僧たちが、反軍政の象徴的存在であるアウンサンスーチー氏に連帯を示し、市民に「軍政打倒」を呼びかけるにおよんで、軍事政権との対立はぬきさしならぬところにまで至ったのである。連日、数千人の僧侶を含む数万人のデモがヤンゴンで繰り広げられ、僧だけでも数百人が逮捕され、数十人が死傷した。日本人ジャーナリストの長井健司氏が軍の銃撃で死亡したのもこの騒乱の中でであった。

◆◆ 仏教僧に闘う伝統

 19世紀末、ビルマを植民地支配した英国は、カレン族・カチン族など少数民族をキリスト教化し、彼らをもって多数派である仏教徒ビルマ族を抑える政策を採った。その結果、反英独立運動は、仏教の護持と高揚を掲げた青年仏教徒連盟やタキン僧侶団など、僧侶を中心とした仏教勢力によって推し進められることとなった。1930年代の英国統治を揺るがせた大規模な農民一揆の指導者も、自らを転輪聖王に譬えた僧侶であった。

 さらに独立後、仏教勢力は政府に仏教の国教化を求め、当時のウー・ヌ首相はその要求を呑んで憲法を改正し仏教を国教としたが、人口の15%を占める非仏教徒の激しい反発を招いて、翌月、憲法を再改正して非仏教徒の権利の平等を約束した。そうなると今度は仏教側が黙ってはいない。こうした混乱に乗じてネウィン将軍が62年にクーデターを起こす。長い軍政の始まりである。

 ネウィンは「仏教精神に基づく社会主義」を標榜して仏教界の懐柔を図ったりもしたが、仏教国教化を封じ、仏教勢力の政治からの排除を強行した軍事政権への仏教界の反発はつづいていた。
 ミャンマーの仏教界にはこのような国家権力との葛藤や、闘う伝統が脈々と流れているのである。

◆◆ 僧侶は民主化の守護役か?

 最近聞こえてくる仏教僧に関する報道は、だが、かんばしいとは言えない。
 洋上を漂うロヒンギャ族難民の苦境がしばしば国際社会の耳目を集めたが、イスラム教徒少数民族の彼らの排斥・迫害を先導しているのは仏教僧である。スリランカの仏教過激派と連携し、イスラム教徒への過激なヘイトスピーチを競っている名高い高僧もいる。
 むろん、ミャンマーとて仏教界は一枚岩ではなく、88年や07年の民主化運動のさなかでも、軍政が組織した国家僧侶委員会の高僧たちは、全国の僧侶に政治活動に関わらぬよう指示する通達を出していた。

 しかし、この度の新政権でも旧軍政トップの腹心が副大統領で睨みをきかせるなど、ミャンマーの民主主義はまだ危うい、その民主主義の守護役を民衆は若手僧侶に期待するのである。

 (筆者は元桜美林大学教授・オルタ編集委員)


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