≪特集:東日本震災≫

■ ポスト震災の日本政治 ― 悪夢の大連立構想    初岡 昌一郎

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 今や英国内よりも国外の購読者が上回るようになっている、ハイクオリティ・
ペイパーの代表誌『エコノミスト』6月11日号が、論説欄とトップ記事で長文
の日本政治紹介を取り上げている。最近、日本の政治が外国のジャーナリズムで
重点的に取り上げられることがあまりなかったので目に付いた。本欄ではこれま
で国外の日本論を避けてきたのだが、今回はこの主張明快な記事がタイムリーな
事からみて、あえて取り上げてみる。以下に論旨を要約紹介する。


◇首相反対派が提唱する大連立は守旧派の思う壺


  菅首相が一年前に官邸入りした時に、長続きしないのだから夏服だけでいいと
伸子夫人がジョークを飛ばした。実際は、4人の前任者より彼の在任期間はなが
くつづいており、戦後最悪の震災を越えて日本を引っ張っている。しかし、彼の
命脈は尽きかけている。反対派の策謀者たちが彼に代わる大連立を画策している
からだ。

 これは、菅によって追われた日本の守旧派エリートに都合のよい構想だ。守旧
派は権力の味に餓えている。しかし、彼らを政権につける事は日本にとって忌む
べき後退となるだろう。

 あらゆるサイドが日本の政治的混乱を批判している。地震、津波、原発事故後
菅の指導力は揺らいでおり、民主党は支持を多く失った。菅の明らかな弱点にも
かかわらず、権力の空白を喜ぶ国民はいない。今は政権交代に適した時期ではな
い。しかし、彼は辞任を約束しているので去らざるを得ない。今の問題は辞任か
どうかではなくなり、何がその後に来るかである。

 財界や、最大部数を誇る読売新聞を初めとする日本のエスタブリッシュメント
は、連立政権という、古臭い構想を復活させることを政党に求めている。彼らは
国会の行き詰まりが被災地の再建を遅らせ、予算措置を麻痺させていると主張し
ている。大連立だけが野党によってブロックされている法案を通しうる道だとい
う。それによって、遅れている消費税引き上げも狙う。

 経験が語るところからみると、この構想はナンセンスだ。昨年の参議院選挙で
勝利して以来、自民党主導の野党側は反対と妨害しかしていない。菅が公共財政
の健全化に彼らの考えを取り入れたときすら反対した。野党は戦術的な考慮から
国益を犠牲にしてきた。日本の既成政治家たちが身に染みついた習慣を急に変換
する理由があるとは思えない。民主党と自民党が連立すれば、互いの腕で支えあ
う酔っ払いの歩行のようになるだけだ。

 自民党内の菅敵対者たちが日本のためになる仕事をする、という見方は国民の
知性に対する侮辱である。55年間の政官財癒着政治に飽き飽きした有権者によ
って、2009年に自民党は政権を追われたばかりだ。彼らのシステムこそが規
制の緩い原子力産業の過信を生み、今も未解決の福島の惨事という負の遺産を生
み出した。自民党は政権復帰どころか、福島の野菜のように封じ込められるべき
ものだ。

 民主党は大連立を図るよりは民意を問うべきである。災害はあらゆるトラウマ
をもたらしただけでなく、日本にとって改革の好機をも生み出している。これま
で日本の地方において深く隠れていた共同体精神、ローカルな指導性、産業力と
創造力が浮かびあがっている。


◇災害時に示された社会的な底力


 日本社会の底辺にある力量と沈着さが大災害時によく示された。自己中心的な
政治家たちの狼狽振りとは好対照だ。中央の底の浅さと比較して、地方社会に隠
れていた共同体的な力を日本人に再認識させた。震源に近い町で自分を犠牲にし
て最後まで拡声器で避難を呼びかけた24歳の女性の英雄的な行動、自分の子ど
もの行へも分からないまま村の残骸整理に尽力した人々など、共同体精神と人道
主義の実例が無数にある。

 国会における政争と比較して、ローカル・リーダーたちの資質と献身が非常に
新鮮であった。被災地の市長たちと話すと、ワイルドな西部におけるような不屈
の健闘心を感じる。その一人、佐藤南三陸市長は建物の塀にすがり付いて辛うじ
て助かった後、役所の仮設ベッドで寝起きしながら連日奮闘してきた。福島原発
に近い南相馬市の櫻井市長は、放射能騒ぎの最中にSOSをユーチューブに掲載
した。
  これらの首長たちが力強く発言するにつれて、地方社会が災害で打ちひしがれ
ているだけではなく、経済的衰退、高齢化、債務、人口減少などの日本全体で急
務となっている諸課題の最前線に立っていることが明らかになった。東京の全国
的指導者たちが巨大な財政問題を回避している間に、地方の指導者たちは予算縮
小の諸影響を実地で経験している。幾つかの自治体は向こう見ずなミスマネージ
メントから問題を悪化させたが、多くの自治体は倹約の術をマスターしている。

 近年の大型市村町合併によって、伝統的な村的結束は弱体化していた。しかし、
恐怖と孤立の中で、こうした精神がよみがえっている。一部の事業家(特に外資
系)は、その影響を社会主義まがいとして嫌い、イノベーションを阻害するもの
と見る。また、ゼノホビア(外国人排斥)の傾向が見られるというものがいるが、
それは被災地で「外国人略奪者」がいるという呟きだけが兆候である。


◇被災者救済より東電救済が先行する危険 


  以後、二つの長期的な重要課題が浮かび上がり、その取り組みの方向が日本の
長期的な進路を支配する。第一は復興と財源をどのように設計するかである。そ
れらは高齢者に適したものだけでなく、若者を惹きつける再活性化を計るべきで
ある。第二は、福島事故をエネルギー政策再考の契機として、経済活性化の新た
な出発をお目指す、意思決定の非中央集権化を図ることである。その双方とも、
日本が戦後数十年にわたり信奉してきた方式に対する根本的な挑戦である。

 地方の経済社会は、これまでの画一的な大型プロジェクト推進の大失敗によっ
て大きな債務を負い、疲弊してきた。しかし、自治体は教訓を学んでいる。コン
パクトで持続的な企画と取り組みを奨励する江戸時代の考え方によって、幾つか
のパイオニア的計画が最近躍進している。今回の災害の経験から、土地と農地な
どに対する拘束的な制約が取り払われ、新たな挑戦を刺激する事が期待される。

 原発事故にたいする対応はより難しい。溶解冷却の目標は来年にずれ込んだ。
東電は原子力発電所を制御するのに苦闘しているだけでなく、少なくとも生計を
当分は奪われた人々の補償要求に頭を抱えている. 政府はツギハギ的な補償対策
を練っているが、専門家は東電救済に主眼が置かれると読んでいる。

 原発危機は、東京電力などの強力な公益企業の悪影響を抑える必要性を明らか
にした。地方分権と公益企業改革は、連立論者にとっての悪夢であろう。彼らは
本能的な権力愛好者で、東電などの特殊権益を守る事でその政治的キャリアを形
成してきた。


◇民意によって危機を機会に


  幾つかの面からみて、今は総選挙が嫌がられる時である。仮住まいの人々は生
活の邪魔をされたくない。一部の市町村は有権者記録を津波で失っている。しか
し、選挙はそれほど大きな負担ではなく、利点となりうる。津波や原発の被害者
にその声を反映させる機会を与える。国民は、エネルギー政策や地方分権を議論
できる。消費税引き上げの可否さえも決定できる。

 危機は日本の政治家に厳しい光りを投げかけた。これまでのシステムを改革す
る一歩として、不満を表明する機会を国民に与えるべきではないのか。


◇コメント


  日本のジャーナリズムにあまり見かけないすっきりした主張を国外から告げら
れるのを、面白くないと受け取る向きがあるだろう。ことわるまでもないが、こ
こに紹介した論調は左翼からではなく、保守的で経済界よりと見られている英国
の代表的な雑誌に論説として展開されているのが興味深い。日本の新聞、テレビ
にみる“常識”との落差が大きい、

 大連立構想が既得権益擁護に発しているという、本論の分析に同意する。民主、
自民両党内で大連立を推進しようとする人たちの名前は東電や電気事業連合会の
献金大口リストにずらりと並んでいる、との憶測は本当であろう。大連立が「悪
者の最後の拠り所」となる可能性が高い。

 原理的にいっても、大連立は政策の選択肢を狭め、国民の声を届きにくくする。
それでなくとも、政局的な鋭い対立が目立つのに、政策的な相違がほとんど見え
ない現状においては、与野党内外の争いが大連立をきっかけとして馴れ合いに転
化する危険を顕在化させかねない。

 「自然は空白をきらう」という哲理があるが、これを多用するのは「選挙を嫌
う」議員である。政策の大きな転換期に民意を聞くために総選挙を実施するのが
民主政治の原則だとすれば、有事だからという理由でこれを回避するのは原則を
ご都合主義に貶めることになる。政権のたらい回しをあれほど批判して政権に就
いた民主党とその国会議員が、民意を聞く事よりも自己の議席維持を優先するの
であろうか。
            (筆者はソシアルアジア研究会代表)

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