■ プーチン政権との本格的領土交渉に総力を挙げて準備せよ  望月 喜市

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  周知の様に、プーチン氏は3月4日の大統領選挙で事前の予想どおり64%余
りの得票率で圧勝した。
注:選挙での最終得票率はつぎの通り選挙管理委員会から発表された。
  1位 プーチン(統一ロシア党) 63.60%
              (2004年71%、2000年52.9%)、
  2位 ジュガーノフ(共産党) 17.18%
  3位 プロホロフ(実業家、ロシア3位の大富豪) 7.98%
  4位 ジリノフスキー(自由民主党) 6.22%
  5位 ミローノフ(前上院議長、公正ロシア党) 3.85%
    投票率は65.34%で、前回08年の最終投票率は69.81%で、
    今回は、それを4.47ポイント下回った。

 選挙直前の3月1日に、プーチン氏は主要な外国メディアを自分の公邸に招待
し、記者会見を開いた。日本からは朝日新聞主筆のみが招待された。当日の速記
録全文が露文のまま当会のHPに掲指されている。
   http://www.ne.jp/asahi/kyokutouken/sono2/120302pukisharobun.pdf
  もしくは、http://premier.gov.ru/events/news/18323/

 そこでは、プーチン氏は3日後の3月4日の大統領選挙で勝利することを前提
に、北方4島問題について朝日記者の質問に次の様に答えた。(1)大統領に復
帰したら、自分の政権下で島問題を解決して見せる。(2)56年の日ソ共同宣
言に依拠して平和条約締結後、歯舞・色丹の2島を引き渡す。(3)締結後は日
本の領土要求がなくなることを意味する。(4)国後、択捉を含めた4島を求め
る日本の要求は同宣言の合意内容を超えている。(5)しかし、双方が受入可能
な形で最終決着をつけたい。

 この主張で重要な点は、「北方領土は第2次大戦の結果、ロシア領になった」
という従来のロシアの公式立場で、日本側の4島要求を切って捨てなかったこと
だ。大統領選挙の直前に、あえてロシア国民の反発を買う2島引渡しを明言した
のは、リーダーとしての強い自信の表れである。同時に双方が受入可能な形で決
着したいとものべ、日本との妥協の余地を残した。

 領土問題はプーチン氏の登場で動くというこうした解釈について、袴田茂樹氏
(日本国際フォーラム副運営委員長・政策委員・青山学院大学教授)は次の様に
厳しい反対論を書いた。論点を要約しよう。

 「わが国のマスコミは会見記録を見て、プーチン氏が大統領になったら、北方
領土問題も解決に向かって大きく前進すると書いたが、プーチン氏の発言を正確
にフォローしないままで、断片的な情報をもとに間違った認識をまき散らしてい
ると言わざるを得ない。プーチン氏は、平和条約締結後に2島を引き渡すとした
1956年の日ソ共同宣言の有効性を認めた上で、『平和条約が意味することは、
日本とソ連との間には、領土に関して(歯舞、色丹以外の)他の諸要求は存在し
ないということだ』と断言した。つまり、プーチン氏は国後、択捉の帰属問題に
関する交渉はまったく認めていないということである。これは『4島の帰属問題
を解決して、平和条約を締結する』と合意した東京宣言の拒否でもある。

 この後、日ソ共同宣言に関して、日本のマスコミが報じていない次のような重
大な発言が続く。『そこ(共同宣言)には、2島が如何なる諸条件の下に引き渡
されるのか、またその島がその後どちらの国の主権下に置かれるかについては、
書かれていない』と。つまり、平和条約が締結されても『2島引き渡しは無条件
でなされるのではない』と示唆しているのだ。もっと重大な指摘は、『2島引き
渡し』後も、主権はロシアが保持する可能性を示唆していることだ。『引き渡し』
は『返還』ではない、というロシアの従来の主張の真意もここにある。

 換言すれば、歯舞、色丹の『開発の権利』のみを日本に引き渡すとも解釈でき
る。この場合、当然のことながら、周辺の排他的経済水域もロシアのものとされ
る。今回の記者会見について、わが国では、両国が譲歩して「2島+α」の解決
をプーチンが示唆していると軽率に理解した者が多い。しかし、記者会見でのプ
ーチン発言が示しているのは、2島返還さえも拒否する姿勢だ。プーチンに質問
した朝日新聞が、そしてプーチンの公式サイトを読める他のメディアも、なぜプ
ーチン発言のこの重大な部分を報道しないのか、理解に苦しむ。
 
  望ましい解決例として、プーチンが中露間の国境問題解決(面積折半論)の例
を挙げ、次のように述べている。『日露間で経済発展が進めば、妥協による解決
が容易になる。・・・ご存じのように、私たちは中国との国境線問題の解決の交
渉を40年も続けた。そして、両国関係の水準が、またその質が、今日の状況に
到達して、我々は妥協による解決を見出したのだ。

 私は、日本との間でも、同様のことが進むことを強く望んでいる』と。ここで
中露間の例を示してプーチンが述べているのは、従来の主張と同じく、まず経済
関係など両国関係を発展させよ、ということだ。もちろん、面積折半論ではない。
不正確な情報をバラ撒いている日本の報道関係者や、それを安易に信じる人たち
の猛省を促したい」ここまで袴田論考の要約。

 要約すると、(1)東京宣言を否定している。(2)2島でさえ領土は渡さな
いで、ロシアの主権の下に置く。(3)開発の権利のみを日本に引き渡す。(4)
中ロの国境問題の解決にならって解決したいということは、面積折半論を示唆し
ているのではなく、まず経済分野で両国関係を発展させよということで、経済的
利益のみの「食い逃げ」を図っているのだ。(5)と言うわけで、今度のプーチ
ン発言は、従来の繰り返しで、新しいところは何もない。これが袴田氏の見解だ。

 ではその他の日本のオピニオンリーダー達は、プーチン発言をどうとらえてい
るのか見てみよう。

 ★元外務省主任分析官・佐藤優氏の意見(D120303): プーチン氏は
1956年の日ソ共同宣言の有効性を再確認した。これは2島は絶対返すという
ことを意味する。さらに日本が2島では不十分と分かったうえで、日ロ両国の外
務省に「大統領になって『始め!』の指示を出そう」と(交渉開始の)号令をか
け、「(ロシアが)勝利を得る必要はないとも述べている。つまり2島+αとい
うことだ。プーチン氏がかつてない譲歩の姿勢を示したと言える。

 ★横手慎二・慶応大教授の意見(D120303): プーチン氏が大統領だ
った時から2島の交渉が基本という考え方は変わっていない。日本に厳しかった
メドベージェフ大統領との違いを、あらためて強調したかったのではないか。こ
の発言で、領土問題が急展開することはないと思う。プーチン新政権は、デモが
起きるなど反対勢力が一定の力を持ち、かつてのようには安定しないだろう。日
本も、新政権がどのくらい落ち着くか見極めてから動くのではないか。

 ★「解決へ意欲感じた」(D120304):(要約)野田首相は3日、プーチ
ン首相が北方領土問題をめぐり「双方に受け入れ可能な形で最終的に解決したい」
と発言したことについて、「問題を解決していこうという意欲を感じた」と述べ、
交渉の進展に期待感を表明した。

 ★「領土解決へのメッセージだ」(D120304):(要約)新党大地・真民
主の鈴木宗男代表は3日、プーチン首相の北方領土問題に対する発言に関し、
「2島だけでなく、4島の問題を解決しようとのメッセージだ」と述べ、領土問
題に進展の可能性があるとの見通しを示した。「大統領選直前に、本来は領土問
題のような国家主権に関わる話はしない。あえて言及したところに大きな意味が
ある」と指摘した。

 ★以上を踏まえて私見を述べたい。
(1)袴田氏は、東京宣言をプーチン氏が否定しているように書いているが、
実は、56年宣言と両者は矛盾しない、という点を袴田氏は理解していない。と
いうのは、東京宣言は「4島の帰属に関する問題を解決して」と書いてあり、
「返還に関する問題を解決して」とは書いてないのだ。

 4島の帰属問題には、0島、1島、2島、3島、4島の返還という5つのバリ
アントがある。2島のみの返還も、5つのバリアントの1つであって両者は矛盾
しない。さらに、「4島の帰属に関する問題を解決する」ことに同意したことは、
この問題が双方にとって未解決であることを意味し、4島は日本の固有の領土だ
という日本の立場を損なうものになっていることも認識すべきだ。

 (2)56年宣言でいう「2島の引渡し」に関し、「その条件については何も
言っていないし、引き渡した後に島がどちらの主権に属するかは未定だ」という
プーチン発言について、なぜわざわざこの発言をして問題を複雑化させたのかと
いう疑問が起きるが、これはロシア国民向けの発言であると思う。つまり、3日
後に迫った選挙を前にして、選挙民の票を失いたくなかったのに違いない。領土
交渉を強い立場ですすめると言うことをアピールしたかったのだ。

 引き渡しの条件やどちらの主権に属するかは未定だといっても、2島引渡し交
渉で2島を引き渡すが、主権はロシア側にある、とプーチン氏が言う可能性はゼ
ロであると考えるべきで、袴田解釈は非現実的であるし、彼の持論「プーチンが
登場しても事態は変化しない。領土を餌に経済的メリットだけを引き出すのがロ
シアのやり方だ。4島返還の旗を降ろせば、民族の誇りを失う。4島で頑張れ!」
といいたいのだ。

 しかし「2島を渡してもその帰属はロシア側だ」と言えば、日本との信頼関係
は根本的に覆され、国際的批判にさらされ、「喉に引っかかった小骨を取って、
真の友好関係を築く」という永い間の懸案を解決し得ないことは自明である。

 さらに日本との経済協力(特に高度に発達したテクノロジー)を自国経済の近
代化に役立てたいだけでなく、アグレシブな海洋進出、軍備強化をはかる中国に
対するバランサーとしての日ロの戦略的同盟(?)を必要としているのだ。日本
もサハリンや東シベリアから、石油・ガスを輸入出来れば、中近東依存率を軽減
できるメリットがある。日ロ貿易でいえば、ロシアの貿易総額に占める日本の比
率は3.6%で第9位にすぎず(2011年)、中国(10.3%)とは大きく
水をあけられている。直接投資額でも日本は第9位で、中国に後れを取っている。

 プーチン氏は日ロ間の難問を解決した政治家として名声を後世にのこしたいに
違いないし、ロシアに根強くある、「1島たりとも引き渡すな」という強硬な世
論(とくに、サハリン州は強硬)を抑えて、交渉を妥結させる力は、自分をおい
て他にいないという自負がある。

 交渉相手の日本側の体制はどうか。4島一括返還、2島先行返還、国境画定と
施政権返還の分離論などのほか、現実的接近論が最近では出てきている。その1
つが4島の共同利用論だ。これについて、ラブロフ外相は「日本の法的立場に損
害を与えないようさらなる努力をしたい」として、歩み寄る姿勢を見せた。だが、
政府の方針は定まっていない。

 民主党中堅はその理由について「4島では展望を見いだせないのは分かるが、
2島で妥協すれば世論にたたかれる。それを恐れ、誰も具体的議論に踏み出せな
い」と明かす。本格的交渉が始まると言われている今年5月以降に備え、領土交
渉の政治・経済環境を改善するアイテムを掘り起こし要求を一本化する、交渉戦
略を練り上げるべきだ。この機会を失えば、悔いを千載に残すことになろう。
                     (了) 2012年3月15日記

    (筆者は北大名誉教授・ロシア経済・日ロ関係専攻)

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