≪連載≫海外論潮短評(78)

ソチ・オリンピック — プーチンとその統治下ロシアにみる光と影

                      初岡 昌一郎

 ソチ・オリンピックの前夜に、ロンドンン『エコノミスト』誌2月1日号が社説に「プーチンの勝利」を掲げ、長文のトップ記事「ソチ、もしくは完敗」で解説を加えた。浮かれ気味のマスコミ報道の裏面にある問題点を剔抉しているので、要約を紹介する。

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* 冬季オリンピックの対外的成功は強いロシアではなく、弱さを示す
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 2014年冬季オリンピックのロシア開催を獲得した直後の2008年、プーチン大統領は「ついにロシアは強力な国家として世界舞台に復帰した」と豪語した。このゲームは1980年のモスクワ・オリンピック以来のことである。ソチは冬季ゲームには不向きな亜熱帯にあり、設備建設に500億ドルもの巨費が投じられた。

 国内では大きなポスターが「ロシア — 偉大な新しい幕開け」を宣伝している。国営銀行のスロ−ガンは「今日のソチ、明日の世界」を謳う。

 オリンピック祭典はプーチンにとって得意の時期に合致した。国内的には、2012年大統領選時の大抗議デモを乗り切った。脅威となる挑戦者不在の余裕から、2003年から投獄していた大富豪ミハイル・ホドルコフスキーと、国際的に話題となった「プッシー・ライオット」(体制を批判したライブ・グループ)の娘たちを釈放した。

 対外的には、シリア軍事介入西欧案を国連安保理事会で拒否権によって葬り、代わりに化学兵器破棄の妥協案をまとめた。彼の血なまぐさい同盟者、アサド大統領は命運を永らえた。アフガニスタンでのNATO作戦が難航し、30年前にソ連が耐えた経験を繰り返しているのを彼は横目で冷笑している。ロシアは軍事費を増大させ、ウクライナに介入姿勢を強め、そのEU接近阻止を狙っている。

 しかしながら、プーチンにとって幸運の再来はそれほど頼れるものではない。ロシアの政治モデルは他国にとって魅力がないだけでなく、その復活は腐敗した国家主導経済の停滞により足踏みを余儀なくされている。

 1999年にプーチンが大統領になった後はロシア経済の成長が続き、急成長国群BRICの一角を占めた。ロシア人の所得もそれにつれて上り、年金と福祉給付も改善され、定期的に支払われるようになった。一般のロシア市民に彼が人気を得たのは、それが大きな理由であった。国民の支持は、彼が強い国を約束したからというよりも、安定をもたらし、1990年代の混乱後に急落した生活水準を回復させたからであった。

 しかし、経済の復調は石油とガスの価格上昇にほとんど全面的に依存したものである。それらへの依存度は、1980年の67%から75%に跳ね上がった。2012年のアメリカとの二国間貿易は僅か280億ドルであったのに対し、対中貿易は870億ドルに上った。これと対比して、アメリカの対中貿易額は5,550億ドルである。

 高い労働力コストと低い生産性が多くのロシア産業の競争力を失わせた。売られている商品のほとんどは輸入に頼っている。投資は非常に低く、資本と有能な若者の海外流出が続いている。腐敗し、非能率的な国家とその管理する企業がGDPの半分を占めている。

 20年前には石油価格が1バレル=20ドルでロシアの予算はバランスがとれたが、今日では103ドルを必要とする。現在、ウラル石油の価格が108ドルに低下した。他方、プーチンの嘲笑していたアメリカ産シェール・ガスが、石油価格をさらに押し下げることは確実だ。

 石油価格の上昇がストップした現在、GDP成長は2013年に1.5%、2014年にも2%以下に割り込みそうだ。アメリカとイギリスはこれよりましだし、ロシアのBRIC仲間のブラジル、インド、中国はもっと高い。プーチンが弱体な経済を軽蔑してきたEUと同じレベルにロシアは入る。

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* 華やかなゲームが覆い隠す不都合な真実
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 ソチ・オリンピックという壮大な事業は、ポスト・ソ連時代最大の建設プロジェクトであり、ロシアにおける腐敗、非効率、偏在する富、国民不在の縮図であった。そのオリンピックは国民協同の努力というよりも、支配層、特にマッチョな大統領の気まぐれな浪費とみられている。

 ゲームのコストは2007年よりも5倍に跳ね上がって、史上最高額に達した。国際オリンピック委員会のあるメンバーは、総額500億米ドルの3分の一が盗用・着服されたとみている。ロシアの野党幹部はその数字がもっとはるかに高いとしている。

 ソチはまた、コーカサス北部において紛争が継続していることを明示した。12月末に600キロ北のボルゴグラードで2回の自爆事件が内務省をターゲットに行われた。人口40万人のリゾート都市ソチは、10万人の治安部隊と軍事要員で要塞化されている。

 丘陵地帯にはミサイルが配置され、高速艇と潜水艦が沿岸をパトロールし、無人飛行機(ドローム)が空から監視する。2008年に対グルジア戦に投入されたロシア第8軍団が南部国境を固めている。

 国土を観光客に開放することもなく、このゲームは史上最も閉鎖的なオリンピックとして記憶されるだろう。潜在的なテロリストだけではなく、政治的トラブルメーカーを排除するために、ロシアの治安機関がすべての観客に特別パスポートを発給した。

 厳戒の保安体制はモスクワ・オリンピックを想起させる。その当時、モスクワ居住者以外は首都に立ち入れず、要注意人物は外に追い出された。両オリンピックは共にロシアと西欧諸国との対立を際立たせた。1980年には、ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議して、アメリカと西ドイツをはじめとする国々がゲームをボイコットした。今回、選手団は参加したが、オバマ大統領をはじめとする西欧首脳が欠席した。

 ロシアと西欧の激しい地政学的な競合の結果である、ウクライナでの暴力的な衝突による暗雲がすでに状況に影を落としている。旧ソ連の縮小版である、プーチンの「ユーラシア同盟」構想にとってウクライナは不可欠である。クレムリンは西側の干渉を牽制しながら、資金、ガス、情報対策などによってウクライナをロシア勢力圏に留めようとしている。その姿勢が友好的なオリンピックのホスト国とはとても言えない。

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* さまよい出たソ連時代のゴースト
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 前回のオリンピックとのもっとも顕著なパラレルは経済状態である。ある面でロシアは、ソ連時代と完全に異なっているように見える。政府はもはや物価を統制していないし、大規模な民間部門が存在する。ロシアはもはや誰もが買わない品物を製造していない。国民的な資源を大量に浪費していた産軍複合体は縮小した。ロシアの中産階級は西欧人同様に着飾り、飲食し、旅行している。表面的な消費は華々しい。

 それにもかかわらず、より注意深く見れば、1980年当時と同じような弱さが明らかになる。その年はソ連経済安定のピークにあった。石油価格は高く、西欧向けの新パイプラインを通じてエネルギー輸出を増加させていた。その収入が巨大な国家を支え、国民の衣食を賄っていた。西欧が経済危機にあったのに対し、ソ連は緩やかな経済成長を享受していた。しかしながら、数年後には石油価格が低落し、政権が崩壊を開始した。

 今日のロシアの輸出に占める石油とガスの割合は75%に上るが、1980年には67%であった。ロシアは1980年代のように穀物をアメリカから買っていないが、ロシア人が買う45%の食糧は輸入されている。モスクワ中心部のデパートを歩き回って、国産品を見つけるのが難しい。国家が最大の使用者であることに変わりなく、国営企業が天然資源、インフラ、金融、メディアを管理し、経済を支配している。

 先進国が不況から回復し始めた一昨年、ロシア経済は1.5%以下の成長に落ち込んだ。プーチンもスローダウンの原因が国内にあることを認めた。プーチン統治の第一期と重なった高度成長時代は終った。

 可処分所得と消費は、2000年代に経済成長よりも倍の速度で伸びた。生活水準の向上が投資を犠牲にして達成された。200年にGDPの15%であった新工場と設備に対する投資が現在は23%に増加したが、中国と比較するまでもなく、ソ連時代よりも低い。しかも、投資の半分が新ショッピングセンターの建設向けである。

 ロシアはソ連時代と同じ問題に悩んでいる。すなわち、労働力の増加による成長はもはや不可能である。労働力は2008年まで増加したが、1990年代の出生率低下により、今や縮小し始めている。さらなる成長のためには、投資、資源の適切な再配分、制度改革を必要とするが、それらはプーチンとその取り巻きの利害と衝突せざるを得ない。

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* マネー中毒 — おトモダチと取り立てられた者たちの国家
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 国家がロシアの近代化の主要な障害である。2000年代に官僚数はほぼ倍化した。労働力の4分の1が公務部門に雇用されている。国家に依存している人の数は35−40%に上る。これは現状維持を望む選挙民の基礎数となる。選挙時に地方の公務員はプーチン支持を示すために走り回る。

 官僚は自分の首を絞めるような競争強化には関心がない。プーチン支配の主たる受益者である治安関係と警察に、それが特に当てはまる。民営化はロシアに対する脅威であり、経済を絞め殺すと彼らは見る。そして、国営企業の多くが旧治安関係者とその友人たちに託されている。エリツイン時代の財閥は国の運営に口を挟んだが、プーチン時代の財閥は民間企業を簒奪するために国家を利用している。

 これらの国営企業がロシア経済の半分をコントロールしているとみるアナリストもいる。国営企業は競争から保護されており、資源を吸い上げ、インフレを煽っている。国営企業は重役たちの家族や友人の経営する企業に発注するのが常である。ソチ・オリンピックはその好例である。プーチンのボディガードで、柔道の友である側近の関係企業などが最大の契約受託者である。

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* 幸運期待薄、三回目の勝負
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 パイが膨らんでいるときには異なる利益集団の忠誠心を買い取ることが容易であるが、縮小している時には困難である。ひとたび所得が下がり始めると、政権は抑圧策か、民主化かの選択に迫られる。後者のコースは権力を失うことにつながりかねない。プーチンはこれまでこの選択を回避しようとしてきた。

 KGBの忠実な息子であるプーチンは、かつてのボスであり、今の政治モデルであるユーリ・アンドロポフが1980年代に行ったやり方で、経済情勢の悪化に対処したいところであろう。アンドロポフは反体制派を弾圧する一方で、上からの改革を進め、体制の安定を確保しようとした。彼が1984年に死ななければ、そのプランがうまくいったとプーチンは信じている。

 クレムリンにとってのリスクは、大衆的な抗議活動ではなく、彼の前任者たちがソ連末期に行ったように、エリートたちが自分自身の政治的経済的な目的に国民の不満を利用することである。プーチン構想の中央集権的「タテ型権力構造」は上から金が流れ込むときには地方の知事たちに人気があったが、地方から金を吸い上げ、大衆の不満と支えきれない負担を地方に残す時にはその支持が失われる。

 モスクワと他の大都市で行われた最近の世論調査では、地方分権、政府の公開的説明責任、司法の独立、報道の自由、抗議の権利に対する要求が増大していることが確認される。これらすべてのことは、都市の中産階級の期待と合致してる。1980年代にソ連体制が崩壊したのは、広範な大衆的な不満とエリートの反乱が結合したからであった。つまり、ソ連が崩壊したのは大衆の街頭デモによるものではなく、ノウメンクラトゥーラ(党官僚などの体制側エリート集団)がもはや体制継続に利益を期待できなくなったからであった。

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■ コメント ■
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 ソチ・オリンピックについては、1860年に創刊されて以来「アメリカの良心」と言われてきた週刊誌『ネーション』2月10日号が批判的な特集を組んでいる。なかでも、欧米紙誌への精力的な寄稿を通じて国際的に知られている、モスクワ在住フリー・ジャーナリスト、アレック・ルーンの「ソチの隠されたコスト」は、オリンピック準備の過程で、無法な建設廃材の投棄や、環境アセスメント抜きの乱暴な工事による環境破壊、予定地住民の強制立ち退き、批判的な活動家の逮捕・投獄が大規模に行われたことを伝えている。

 ソチはもともと避暑・避寒地として帝政ロシア時代から有名な黒海沿岸リゾートの街で、スポーツ競技施設や大規模スタジアムの存在しないところであった。しかも亜熱帯に位置し、雪などほとんど降らないところである。このようなところで冬季オリンピックを開催すること自体に無理があった。このような場所を選んだのは、プーチン政権が推進したとはいえ、決定した国際オリンピック委員会にも大きな責任がある。

 国際オリンピック委員会が決してフェアプレイ尊重の場ではなく、特権的かつ腐敗したメンバーを多く含み、利権によって支配されていることは公然の秘密だ。開催地の選定は、ホスト側の招待、接待、お土産による大攻勢の結果である。日本が数少ない友好国、トルコを押しのけて次期オリンピック開催国に当選したことには、決して誇ることのできない「隠された手」が用いられたといわれている。

 オリンピックでは本来の目的とされた平和、友好、フェアプレイの精神は霞んでしまい、ナショナリズムと国威発揚、そして商業主義とエリート・スポーツマン養成の場と化している。勝って泣き、負けて泣く情景は「参加することに意味がある」オリンピック精神にとって異質なものだ。

 かつてはソ連や中国で選手たちが国家の支援を受けていることを「ステート・アマ」として批判されていた。ところがいまや、わが国ではオリンピック向けスポーツ選手の多数が自衛隊に所属しており、彼らは軍事訓練ではなく、恵まれた環境でスポーツ訓練に専念している。オリンピックの国家目的による政治利用をこれほど示しているものはないと見えるのだが、国会やマスコミで全く批判が無いのは不思議。

 (筆者はソシアルアジア研究会代表)


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