【コラム】

フォーカス:インド・南アジア(7)

福永 正明


<一>

 1月10日に訪印した世耕経済産業大臣は、モディー首相の地元グジャラート州の投資サミットに参加し、モディー首相とも会談した。昨年11月11日の東京での安倍総理とモディー首相との首脳会談後の「日印原子力協定(以下、「協定」)」署名を受けて、この会談では日本の原子力産業の現状視察のためインド担当者の訪日を要請し、インド側も応諾したとされる。
 しかしながら「協定」は、国会への承認案件としての提出はもちろん、批准手続きも終了していない。相変わらずの安倍政権による、強引な「見切り発車」である。両院で多数を占める政府予定は、予算成立後に短時間での「協定」承認を想定しているのであろう。しかし、日印両国だけでなく国際的にも、「協定」内容について多くの問題が指摘されている。また、日本政府による「説明」との相違、両国政府による「説明の齟齬」など、重大な問題を含んでいる。
 本年3月からは、核兵器禁止条約の交渉が開始され、国連総会第一委員会での決議に反対した日本には、「唯一の戦争被爆国」であることを強調する姿勢を見せながらも、核兵器を国際法により全面的に禁止しようとする世界の流れに反する行為への疑念が強まっている。そして、日本が主導的に核拡散防止条約(NPT)を弱体化させる道を選択したことに批判は強い。

 日本社会に住む者としての責任を果たすということからも、インドへの原子力協力を認めてはならない。広島と長崎における被爆体験、さらに東電福島第一原発事故での被害の継続、その現実を直視するからこそ各種世論調査においては、国民の6割は「脱原発」の道を選択し、再生可能エネルギーへの転換を求めている。この「協定」は、インドに対して「大規模な原発新規増設」と、国際監視のない軍事施設での「核兵器増産」をもたらすこととなる。たとえ安倍総理が言う「世界で最も安全な原発を提供する責任」があるならば、まずは最初に「インドがNPTに加盟してから」と伝えるべきである。

 2010年6月開始の「協定」交渉は、その内容についてはほとんど極秘状態であった。筆者らが加わる「日印原子力協定阻止キャンペーン2015/2016」が、超党派国会議員による「原発ゼロの会」の協力で開催した対政府交渉では、外務官僚たちは「現在交渉中のため、内容は差し控えたい」としか回答しなかった。
 そして11月11日署名後の深夜に公開された「協定」は、まさに日本の譲歩、インドの獲得でしかない。日本側からすると譲歩となるが、インド側から見れば「収穫」といえる。そこに透けて見えるのは、金もうけと原子力業界の存続のためインドが必要な日本である。さらに、従来の外交や安全保障に関する方針を変更せず、むしろ世界大国の仲間入りとして、原発も核兵器も増産したいインドである。

<二>

 「協定」では、日本製原発の使用済み核燃料の再処理について、「包括的事前同意」を認めたことにある。これは、原発輸出国の立場で日本がはじめて、核兵器にも転用可能なプルトニウムを生成する再処理を認めた重要点である。
 「包括的事前同意」とは、将来に行われる再処理も含めて、「協定」が一括して認めるという意味をもつ。つまり、この「包括的事前同意」でインドは今後、日本製原発から取り出した使用済み核燃料の再処理を行う場合、各回ごとに日本からの同意は不要となる。日本は、将来においてインドが行う再処理をすべて容認したという内容である。
 日本が従来、他国と締結した原子力協定を比べれば、大きな譲歩である。従来の日本が締結した原子力協定では、協定本体での合意だけでなく、再処理に関しては別途の公式合意を必要としていた。例えば、ヨルダン、アラブ首長国連邦(UAE)、ベトナムとの協定では、「両国の同意がなければ、濃縮され、又は、再処理されない」とし、トルコの協定では「両締約国政府が書面により合意する場合に限り、濃縮し、又は再処理することができる」とした。
 するとインドとの再処理に関する「包括的事前同意」の付与は、他国との原子力協力協定との大きな相違点である。まさに日本政府の譲歩であり、エネルギー、安全保障政策に他国からの干渉を排除したいインドには大きな成果となった。

 ここで1988年の日米原子力協力協定改定へ向けた、日米交渉が想起される。この交渉で日本側は、アメリカが核不拡散の観点を重視し、供給する核燃料・原子力資機材に対する規制の設定が目的となると判断していた。特に核兵器製造に直結する使用済み核燃料の再処理と濃縮に対する規制は厳しかった。そこで日本側の交渉の重点事項は、「アメリカの拒否権を奪う」であるとされた。
 インドがNPT未加盟のまま1974年に第1回地下核実験に衝撃を受けたカーター政権は、核不拡散政策を一層強化した。そして対日交渉においても、臨界間近の東海再処理工場に「待った」を命じてきた。このアメリカの強硬な態度は、核燃料サイクルをエネルギー政策の基本と定め、将来には再処理工場の実用化計画を有していた日本には大問題であった。
 改定前である1968年日米協定では、個々の再処理・濃縮の事例毎に米国の同意を必要とする内容であった。そこで日本側は、「包括事前合意」制度導入を悲願としていた。ところがアメリカでは、NPTの非核兵器国に対し「包括事前合意」制度を認めた例はなく、議会・行政から反対論が浮上した。このため交渉は難航、6年間の交渉を経た結果が、「包括事前合意」制度を認めた現行協定である。まさに日本が、アメリカの拒否権を無効とさせた意味がある。

 「協定」で日本は、将来にインドが追加する新規施設する再処理も認めた。すると、インドが「日本の拒否権を奪う」ことに成功したと判断できる。
 インドとIAEAとの保障措置(査察)取り決めでは、インドが民生用と定めた原子力関連施設での全面査察が認められる。しかし軍事用施設は、査察は行われない。しかも民生用施設から、軍事施設への技術や人的移転は完全に把握されない。この「協定」では、核拡散の面でのリスクは高い。

<三>

 「協定」第11条では、インドの、同位元素ウラン235の濃縮度20%未満の濃縮を認めた。核兵器の製造に直接結び付く、高濃縮ウラン(濃縮度20%以上)の製造は認めていない。ところが第11条後段によれば、将来の高濃縮ウラン製造も「日本側の書面同意があれば可能」としており、インドの核兵器増産をも認める内容である。
 日本政府は、プルトニウムなどの軍事転用防止のため、インドに「再処理により生成されるプルトニウムなどの量や所在を記した目録」の提出を交渉において求めたが、拒否されたとの報道がある。「協定」では、核物質情報共有規定はあるが、日本が必要とする原発輸出国別の情報ではなく検証はできない。

 例えば日中原子力協力協定では、「合意議事録」において、詳細な情報共有を定める。中国はNPTにおける核兵器国であり、なぜNPT未加盟国インドが同質の情報を提示できないと認めたのか、これも日本側譲歩である。
 安倍総理はじめ日本政府は、再三にわたり「インドとの交渉により、米印協定や仏印協定よりも核不拡散に厳しい内容とする」と表明してきた。しかしながら、「協定」と2008年締結の印米協定を比した時には、日本側が大幅な譲歩であることが分かる。
 例えば、米印協定に附属する「合意議事録」では、10名以下で構成されるアメリカ代表団の現地監視が認められている。日本が主体的に行う現地監視はない。IAEAによるインド特化の保障措置に過度に依存しており不十分な内容である。

 これについてインド側は、米印協定と同程度の内容と、外務次官が述べている。日印交渉では、「再び核実験を行った場合、協力停止」の条項の明文化が問題とされ、実質的にそれも骨抜きとなった。インド側からすれば日本向けに特別に認めた内容は何らない。
 インドの1974 年の第1回核実験は、アメリカとカナダが協力した民生用施設から秘密転用したプルトニウムや技術により行われた。この「前科」からすると軍事転用の懸念は大きく、「協定」が南アジアにおける核軍事大国化を認めることとなった。

<四>

 「協定」承認案件は、通常国会の後半において提出されるだろう。そして、短時間での両院承認、発効をめざしてくるに違いない。
 これに対して、「日印原子力協定阻止キャンペーン」を改組して「日印原子力協定承認反対キャンペーン」が結成され、国内外のさまざまな団体や市民と連携しながら、国会承認阻止の闘いを進める考えである。
 東電福島第一原発事故以来、国内での原発建設はほぼ不可能となった。そして原子力産業界を温存するため、無理やりの再稼働、さらに原発輸出が進む。だが、日本だけでなく世界の人びと考えは、「脱原発」であり「核兵器廃絶」であることは明らかである。

 福島事故を発生し、人類と地球に大きな悪影響を生んだ日本が原発を輸出し、インドをNPT未加盟の核兵器武装国として認定することなど、容認してはならない。インド現地では、福島原発事故の状況、ふるさとを失った人びとの姿を見て、「これが自分たちの明日だ」と理解して、激しい反対行動を続けている。
 ベトナムでは日本企業が受注した原発についての中止が決まり、台湾では原発の全面廃炉が決められた。さらに核兵器廃絶へ向けた動きも活発化し、いよいよ核兵器禁止条約の交渉が本格化する。
 私たちは、「再稼働も原発輸出も許さない」、「インドに売るな、どこにも売るな!」との声をあげなければならない。

 (岐阜女子大学南アジア研究センター長補佐)


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