【コラム】宗教・民族から見た同時代世界

希望こそが抑圧と恐怖を撥ね返す力
― パレスチナ映画『歌声にのった少年』―

荒木 重雄
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 来年は英国がユダヤ人国家の建設を支持した1917年の「バルフォア宣言」から100年にあたる。パレスチナ自治政府のアッバス議長は、9月、米ニューヨークの国連総会でこれに言及し、英国に謝罪とパレスチナの国家承認を求めた。
 同じ頃、日本では、イスラエルに封鎖されたパレスチナ自治区ガザを脱出した青年が、中東の人気歌番組で優勝しパレスチナ人を熱狂させた実話に基づく映画『歌声にのった少年』が上映され、一部ながら、静かな感動を広げていた。
 今号ではこの二つのことにふれながら、中東問題の元凶であるパレスチナ問題の過程と今を概観しておきたい。

◆◆ 中東の混迷はパレスチナから

 バルフォア宣言とは、第1次世界大戦で老大国・オスマン帝国の解体を策した英国が弄した「三枚舌外交」の内の一枚をなすものである。
 英国はまず、帝国内のアラブ人の協力を引き出そうと、パレスチナを含む地域にアラブ人の統一国家樹立を約束するフセイン・マクマホン協定(1915年)を結び、しかしそのじつ、帝国の版図を英仏露で分割する密約サイクス・ピコ協定(16年)を三国間で結び、さらにそのうえ、ユダヤ系財閥ロスチャイルド家から戦費を引き出そうと、バルフォア宣言(17年)で戦後のパレスチナにユダヤ人の民族的郷土の建設を約束した。

 パレスチナをめぐるフセイン・マクマホン協定とバルフォア宣言との矛盾は、パレスチナにユダヤ人の入植が進んだ第2次大戦後に持ち越される。処理に窮した英国は問題を国連に丸投げし、国連はこの地をユダヤ国家・アラブ国家・国連管理地区に3分割する案を採択したが、これは、従来この地に居住してきたパレスチナ人には晴天の霹靂であった。
 パレスチナ人側は、ユダヤ人とパレスチナ人が民主的に共同経営する国家を提案するが、それでは少数派になるユダヤ人側が拒否して、突如、イスラエルの独立を宣言し、パレスチナ人の住む町や村を破壊して占領した。
 大量のパレスチナ人が難民となり、現在に至る中東問題の根源としてのパレスチナ問題がはじまるのである。

◆◆ ガザは「天井のない巨大監獄」

 イスラエル国家の建国を認めぬ周辺アラブ諸国は3度に亙って戦火を交えるが、米欧の資金や兵器の支援を受けたイスラエルが圧倒的に強く、67年の第3次中東戦争では、独立時にパレスチナ全土の8割を自国領土としたイスラエルが、残りの2割(ヨルダン川西岸、東エルサレム、ガザ)をも占領した。93年のオスロ協定でヨルダン川西岸とガザにパレスチナ人の自治が認められ、暫定自治政府が発足するが、イスラエルはパレスチナ人自治区へユダヤ人入植を押し進め、分離壁を巡らして人や物資の循環を妨げ、ゲリラ攻撃でも起ころうものなら一般市民を巻き込む苛烈な弾圧を繰り返してきた。

 とりわけヨルダン川西岸から遠く離れた飛び地のガザは、約180万人が住む縦40キロ・横10キロほどの土地全体を高さ8メートルに及ぶフェンスや分離壁で隔離され、人やモノの出入りはイスラエル官憲に厳しく管理されて、まさに「天井のない巨大監獄」となっている。
 非人道的な「封鎖」と、数年ごとに繰り返されるイスラエル軍の侵攻・破壊で、産業は育たず、失業率は43%、若年層では6割に達し、8割の人々が国連やNGOの支援に頼って暮らしている。

 そのような明日への展望が奪い尽くされた中でも、楽天的にしたたかに生きている庶民のエネルギーを描くことから、ハニ・アブ・アサド監督の映画『歌声にのった少年』は始まる。

◆◆ 希望が支配・抑圧を跳ね返す

 このような地に生まれ育った者が描く夢は、この地から脱出すること、そして、世界を変えることだ。「スター歌手になって世界を変える」――無邪気な夢を共有した映画の主人公ムハンマド少年と姉、二人の友人は、拾ったガラクタで手作りした楽器でバンドを組んで結婚パーティーや街角で歌い、夢は叶うと信じているが、ムハンマドの才能を信じる姉の死によって突如、夢は挫折する。

 時が経ち、青年になったムハンマドは、イスラエル軍の攻撃で廃墟となった街で希望のない日々を過ごしているが、ある日、亡くなった姉との約束を果たすべく、命懸けでガザを脱出し、エジプトとレバノンで開催されたテレビの人気オーデション番組「アラブ・アイドル」に出演して、勝ち抜くたびにパレスチナの民衆の期待を一身に背負う存在となり、ついにはアラブ世界のスーパースターとなる。
 実在の人物、ムハンマド・アッサーフをモデルに描いた映画である。

 ハニ・アブ・アサド監督はイスラエル生まれのパレスチナ系イスラエル人。イスラエル国籍をもつが、同国が「ユダヤ人国家」を掲げる限りは「アラブ系イスラエル人」と呼ばれることを拒否し、自らをパレスチナ人と断言する。
 これまで、自爆攻撃に向かう青年が主人公の『パラダイス・ナウ』、分断された街での恋を描いた『オマールの壁』という、パレスチナの絶望的な現実を突きつけた作品で、2度、アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされたが、本作では「希望」を描いたという。

 監督は語る。「この60年間、パレスチナにあるのは敗北の物語ばかりです。パレスチナ人は自分たちの土地も、人生さえも、自己決定権を失い、自由を得ようとする試みはすべてうまくいかなかった。これは数少ない希望の物語です。しかし、人が生きていくうえでは希望が必要なのです」。

 希望を描くとしても、この監督は絵空事では描かない。困難な環境の中でもガザ現地へのこだわりを捨てず、少年時代の主人公ら子役にガザの子どもたちを起用しただけでなく、当局への粘り強い交渉で短期間であれガザ現地での撮影許可を引き出す。イスラエル軍による攻撃の爪痕がなまなましく大勢の人が死んだ場所で撮影することに、監督は、罪悪感に囚われて悩んだが、逆にガザの人たちに励まされたという。
 2013年の勝ち抜きオーデションでアッサーフが優勝した瞬間は、中東各国で8千万人が視聴し、歓喜・熱狂したとされるが、そのときの実際のビデオ映像も挿入している。とりわけ、65年に及ぶ難民生活で分断され、パレスチナ自治区だけでなく、イスラエル国内や周辺アラブ諸国をはじめ世界各地に散ったパレスチナ人たちが、一体となって一つのテレビ画面に見入り、「パレスチナの希望の象徴」ムハンマド・アッサーフを応援し歓喜している情景は、彼らが生きる背景を思うとき、胸が熱くなる。
 パレスチナの人々の現実と心の内に迫る、推奨したい一作である。

 (元桜美林大学教授)


最新号トップ掲載号トップ直前のページへ戻るページのトップバックナンバー執筆者一覧