【コラム】宗教・民族から見た同時代世界

ノーベル平和賞を受賞したヤジディ教徒の女性が訴えたこと

荒木 重雄

 今年の各分野のノーベル賞受賞者の中でも本欄でとくに注目したいのは、コンゴで性暴力被害者の救済に尽くすデニ・ムクウェゲ医師とともに平和賞を受けた、性暴力の実態を国際社会に訴える少数派ヤジディ教徒の女性ナディア・ムラド・バセ・タハさんである。

 今年25歳になるムラドさんは、イラク北部の農村でヤジディ教徒の家に生まれたが、2014年、この村を含む、ヤジディ教徒が多いシンジャル地方が、過激派組織「イスラム国」(IS)に占拠された。ヤジディ教を「多神教」と異端視するISは、ムラドさんの兄弟6人と母親を殺害し、ムラドさんを性奴隷として拉致した。ムラドさんは人身売買を繰り返されたが、三カ月後に脱出に成功。16年に性暴力の実態や被害者らの尊厳を訴える国連親善大使に就任した。

 同地方からISに連れ去られたヤジディ教徒は6千人を超え、いまなお3千人以上が行方不明のままである。
 では、このような苦境に置かれているヤジディ教徒とは、いったいどのような人たちなのか。

◆◇ 「悪魔崇拝」と異端視された、古代から連なる秘密宗教

 ヤジディ(より原語に近くはヤズィード)教は、クルド人の一部に信仰される宗教である。前述のイラク北部シンジャル地方を中心に、シリア、ロシア、アルメニアにも一部認められ、数十万人が信仰する。
 毎日の定期的な礼拝など、表面の信仰の形や生活習慣はイスラムに似ているが、中身はかなり違うようだ。たとえば礼拝は、「わが神以外に神なし。太陽は神の光なり」ではじまる。

 「わが神以外に神なし」はイスラムの祈りを想起させる。しかし、「太陽は神の光なり」とくれば、明らかにイスラムとは異質だ。しかも、ひれ伏すのは太陽の方向にむかってである。ここに、ヤジディ教の起源の一端を古代アッシリアの太陽神信仰に求める研究者もいる。
 ヤジディ教には牡牛を太陽神への生贄にする儀式がある、一日三度の礼拝と、礼拝に際して特別な腰帯を着けるしきたりがある。これらは、古代インド・イランに発し古代ローマで隆盛をみたミトラ教と類似する。
 さらに、輪廻転生を信じ、カースト制度を維持する。これらは明らかに、インドとイランに分かれる前からの古代アーリア民族が保持した信仰であり慣習である。

 イスラム以前に遡るイラン系宗教の基層の上に、ゾロアスター教、ユダヤ教、キリスト教などの諸要素が習合し、さらに11世紀のイスラム神秘主義スーフィーの聖者アディー・イブン・ムサーフィルが説く教説が加わってヤジディ教の骨格が形成された、とするのが学界の定説となっているが、じつのところ不明なことが多い。

 というのは、古い文献が皆無に近いうえ、ヤジディ教では、教えが文字にされることを嫌い、一定カースト出身の聖職者の間でのみ口承される。しかもその聖職者は教えを広め伝えることをよしとせず、秘密の保持を第一義とする。ゆえに、一般のヤジディ教徒も教義には詳らかでない。
 ヤジディ教では他宗教の者の目に触れるところで祈ることはせず、他宗教者に布教することも、他宗教からの改宗を認めることもない。

 ヤジディ教の最大の特徴は、孔雀の姿をした天使、マラク・タールースを篤く信仰することである。だが、このマラク・タールースが、イスラムやキリスト教で神に逆らって地獄に落ちた大天使、いわゆる悪魔とされるアサザエルやイブリースと同一視されるところから、ヤジディ教徒は周囲から「悪魔崇拝教徒」とみなされ、そのため、その歴史を通じて茨の道を歩くこととなった。

 彼らは歴史上「72回の迫害を受けた」と語り伝えるが、たとえば、16世紀からのオスマン帝国支配下では、「啓典の民」とは認められず、帝国から幾度もの攻撃を受け、凌いできた。サダム・フセイン政権下では村落破壊や強制移住の辛酸をなめた。このたびのISによる迫害もまた、このイスラム教徒からの違和感・異端視と無縁ではない。

◆◇ 少数派宗教が内包する豊かさと、遭遇する悲惨

 ナディア・ムラド・バセ・タハさんは受賞に際して、この機会に、ヤジディ教徒だけでなく、多くの少数派に国際社会の目が届くことを願った。中東といえばイスラム一色の世界と思われがちだが、じつはそこには隠された多様な少数派宗教がある。

 宇宙を善悪二元論で捉えるマンダ教やマニ教、ササーン朝ペルシアの国教だったゾロアスター教、イスラムの少数派であるドゥルーズ派やアラゥイー派、キリスト教東方典礼カトリック教会の一派マロン派、東方諸教会の一派であるコプト教等々。発祥や辿った道筋はそれぞれ異なれど、遥かな昔から、アッシリア、バビロニア、ペルシア、ローマ、ビザンツ、アラブ、十字軍、トルコ、そして最後に西欧の、それぞれによる征服・支配を経験し、それら各時代の征服者の文化に抗いながら、他方、それらの文化から多様なものを吸収し融合させながら、歴史を紡いできた、人間精神の広がりの豊かさを示す世界がそこにはある。

 だが、ムラドさんの訴えの核心は、いうまでもなく、「少数派への迫害は終わらせなければならない」にある。近年、旧ユーゴスラビア内戦やアフリカの地域紛争、さらにはミャンマーの少数派ロヒンギャを巡ってみたように、「民族浄化」というおぞましい言葉とともに、性暴力が一つの「戦術」や「兵器」として使われる事態が進行している。このような状況に対して、自らの悲惨な体験を明かして訴えるムラドさんの言葉は重い。
 さらにムラドさんは、「暴力から逃れてきた無辜の女性や子どもに国境を閉ざすべきではない」と、各国政府に難民保護への積極姿勢をも訴えている。

 (元桜美林大学教授・オルタ編集委員)

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