【アメリカ報告】

ノースカロライナの回教徒襲撃

武田 尚子


 2015年2月10日、午後5時過ぎのことだった。仕事を終えた人々が家路をたどリ始めたとき、二人の女性から非常時に使われる地元警察への電話で、何発かの銃声を聞いたとの知らせに続いて、ノースカロライナ大学に近いコンドミニアムから、つん裂くような悲鳴が静かな近隣にこだました。警官が到着するまでに、新婚の大学生夫婦と、新婦の妹の3人が射殺されていた。

 被害者はアラブ系のイスラム人であり、慈善作業を含むボランティア活動に熱心で、優秀な学生だった。犯人は近隣者で、中年の白人男性が逮捕された。彼は駐車場をめぐる近所のいざこざが元だったと説明する。ニュースはまたたくまに世界中に伝わり、ノースカロライナのチャペルヒルの警察は彼の説明を肯定したが、ノースカロライナ大学の学生だった被害者たちが頭部を撃たれたことを確認しないまま、彼らがイスラム教徒であったことが原因ではないか、ヘイトクライムではないかとの公衆の疑問も徹底的に解明すると述べて、取り調べがはじめられた。

 射殺された二人の姉妹の父親ムハマド・アブサリハは、娘ユソーが、彼女らの特徴ある服装(回教徒特有の頭を覆うスカーフ)のために射撃者ヒックスからいやがらせをうけていたことを告げた。犯人のヒックス(46歳)はその時、ベルトにピストルをつけていた。最近のフェイスブックに、ヒックスは彼の38口径、5連発ピストルの写真を載せている。ユソーのある友人は、ヒックスが一度被害者夫婦に、お前らは騒々し過ぎる、お前らの友達が駐車場を占拠してしまうと不平をいったことがあり、ライフルを下げて彼女の家に現れたこともあったと話している。

 ヒックスは以前自動車部品のセールスをしていた。現在はパラ・リーガルになるべく、ダーハムの技術系コミュニティカレッジで勉強していた。無神論者であり、いかなる宗教をも毛嫌いする。先月は「祈りなど意味がない、役に立たない、ナルシシズムで、傲慢で怠慢だ。ちょうど君達が崇める空想上の神と同じだ」という文章をフェイスブックに載せている。しかし彼の妻はヒックスが偏屈ではなく「この事件は決して宗教などが原因ではありません。近所で長いことつづいていた駐車場の問題だけです」さらに彼女は夫が、ゲイの権利も堕胎も認めていると告げた。

 被害者は彼らのアパートの内部で殺された。そして家族は警察から、彼らが頭部を撃たれていたことを伝えられたという。リサーチ・トライアングルと呼ばれるその地域の回教徒は、大学や技術系の会社が主たる雇用者である。そこにはモスクやキリスト教の礼拝堂も散らばり、諸宗教の交流をめざす集会の催されるのがしばしばであったが、最近の、フランスのシャルリー・エブド襲撃事件以来、緊張が高まっていたという。
 例えば、先月はデューク大学の金曜日ごとの回教徒の祈祷への呼びかけの放送予定が、突然、保安を理由にキャンセルされた。ビリー・グレハムの子息、フランクリン・グレハムがフェイスブックに猛烈な反対を表明した後のことであった。教会の鐘撞堂からの祈祷への呼びかけの放送は、もろもろの信仰を認め、広げようとする努力のシンボルであったが、逆に宗教間の分裂を深めることになった。デューク大学の回教学センターの理事であリ大学の教授であるオミド・サフィ氏はいう。「ここに限って暴力の突発など起きっこないと、えてして人はいいたがるものです。でもご覧なさい。心は破れ、暴力も悲しみもあふれてやまない今のこの状態を」

 実は警察は、火曜日に起こったこの事件に関わる人名を(アメリカ東部時間)水曜日の午後2時まで伏せていた。そして彼らにとってこの事件は、ニュースメディアが、3人の回教徒の殺害されたことはあまり報道しないというダブルスタンダードを設けているという多くのイスラム人の認知が裏書きされたものとして、メディアへの怒りを生んでいる。

 事実、警察は米国東部時間では火曜日2月11日午後に起こったこの事件の被害者及び加害者の名前を、水曜日の午後2時まで発表しなかった。ヒックスは2-3マイル離れた警察に自首しているが、それが何時だったのかも明らかにされていない。水曜日の法廷出頭に際しても、判事は彼をボンド抜きで拘留することを認めている。

 この時までには、アメリカの主要メディアのほとんどはこの出来事を報道はした。しかしそれが、メディアの怠慢を許す口実にはならない。これに先立ち、マイケル・ブラウンとエリック・ガーナーという黒人が、無防備で理由なく警官に殺された時、盛大なプロテスト運動に登場して流行した反復フレーズ『黒人の命は重大なのだ』が、この際は「イスラム人の命は重大なのだ」として使われた。

 それら二つの反復句はいずれも、少数者のコミュニティが周辺に追いやられ、尊敬を失ってゆく嘆きを表現している。殺害された学生たちの業績を分かち合うサイト「我らの3人の勝利者」が、友人や家族の手で作られ、フェイスブックにバラカット(23歳)、ユソー・アブサリハ(21歳)の結婚写真が掲載された。友人たちはまた、歯科医を志すバラカットの慈善行為をたたえ、彼の歯科治療品の寄付などに感謝した。

 ノースカロライナ大学のキャンバスには水曜日の夜、ピットと呼ばれる大広場に家族、友人、知人など何千人もが集まり、劇的な、沈黙の団結を表明した。一人の女性は、団結への支持の言葉をこう結んだ、『回教徒の生命は重要です。すべて人の生命は重要なのです』

 上記は、NYタイムズに紹介されたこの事件のあらましである。これを機に「イスラム人の生命は重要なのです」はかれらの人権キャンペインの標語としてツイッターに登場した。

 しかしこれと時を同じくしてアラバマ州の判事達が、いかなる結婚にもライセンスを出さないという決議をしたことが報道された。それは、なんらかの結婚に許可証を出すなら、今問題になっているゲイやレズビアンへの許可証も出さざるを得ない。それを避けるための処置であった。しかし同性愛については改めて書きたいと思っているので、本稿では、問題をノースカロライナの襲撃事件に絞ることをお断りしたい。

 NYタイムズ紙の論説欄寄稿者ニコラス・クリストフの意見は、事件後いち早く出された説得力あるものだと思うので、要点をご紹介しよう。

 『この二つの異なった事件から得られる共通のレッスンは、自分と異なる信仰や信念を持つ者あるいは持たない者への偏狭な態度に抵抗する、あるいはいかなる信仰を持つあるいは持たない人間にもあり得る不寛容と戦うことではないかと思う。

 私はシャルリー・エブド事件に関して、イスラム人が謝罪すべきではないと思うし、無神論者が3人の大学生射殺に間して謝罪すべきだとも思わない。しかし私はこの機会に、すべての人間が、異なった信仰や人種や国家や異性を持つ他者をよけい者扱いにして、時にはそのよけい者性を脅威に変えてしまう―そしてそれこそ、実はISISが我々に対して行っていることであり、そして時には我々自身もそれと同じことをやっている事実を反省できたら、非常に有益なことだと思う。

 言うまでもなく、読者は抵抗するだろう。結婚許可をあたえないことと、生身の人間を焼き殺す事の間には大きな差異がある。俺たちは人間を焼き殺したりはしない。どんなに愛し合っていても、同性と結婚するなといっているだけだと。「我々はISISより上等の人間だ」とスローガンを打ち出してみるとしても、はたして我々はISISより優れた人間になれるのだろうか?

 今月の全米祈祷朝食会で、オバマが「西側にも、多々反省すべきことがある」と述べた時に見られたように、過去におけるキリスト教者の出過ぎとイスラム教徒の出過ぎの相似性をオバマが指摘したとき、クリスチャン保守派からの憤怒の防衛を招いた。しかしオバマは正しい。我々が十字軍遠征からスレブレニカに至るキリスト教保守派の過激主義と対決することなしに、イスラムのリーダーたちに、彼らの信仰の過激性に対決せよなどとどうして言えるだろう。

 私は度々、自己と向かい合うことのできる、真摯なクリスチャンについて、何度も書いてきている。彼らは世界中の不正と戦い、抜きん出た仕事をしている。にもかかわらず、ほとんど注目されない。問題は彼らの英雄的な行為が、往々にして、信心家ぶった吹聴好きの連中の影に隠されることなのである。(ニコラス・クリストフ)』

 (筆者は米国・ニュージャーシー州在住・翻訳家)


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