ニュークリア・リラプス
―英国流「原子力再興」と「核の後始末」―

                        
鈴木 真奈美


 二〇一六年からの電力小売り全面自由化を前に、日本政府は原発優遇措置の制度化を検討している。その制度設計にあたって経済産業省が参考にしているのが、英国政府が新たに編み出した「差額決済型の固定価格買取り契約」(FIT—CfD)と呼ばれるシステムだ。英国は世界に先駆けて一九八九年に電力自由化に着手し、現在に至る。その過程で明確になったのは、原存続困難、という事実である。自由化先行国の英国では、原子力はどのような軌跡をたどり、現状はどうなっているのだろうか。政府による原子力救済策を含め、この四半世紀の英国原子力事情を振り返ってみたい。

 本題に入る前にFIT—CfDについて触れておこう。自然エネルギーを普及させるための固定価格買取り(FIT)は、すでにヨーロッパや日本など多くの国々で施行されているが、このFITに替わるシステムとして英国政府が進めているのが、この新方式だ。対象には原子力発電や炭素回収貯留(CCS)も含まれる。むしろ、それらの新設を後押しするために設けられたといったほうがよい。その仕組みは次のようなものである。

 まず、政府側と発電事業者の間で基準となる買取り価格を決めおき、市場(卸売り)価格が基準より安い場合はその差額が事業者に補填され、逆に高い場合は事業者が差額を還元する(差額決済=CfD)。金融商品の手法を使ったこの方式の狙いは、事業の安定的な収益を保証することで、当該事業への投資を国内外から呼び込むことにある。「金融立国」英国ならではの考案物だ。

 原子力プロジェクトに対する初のFIT—CfDケースは、英国南部に建設が計画されているヒンクリーポイントC原発(一六五万キロワット×二基)である。二〇一三年一〇月に英国政府と事業者(EDFエネジー)の間で暫定的に合意された契約内容は、買取り価格は今日の卸売り価格の二倍にあたる九二・五ペンス/キロワット時(二〇一四年一二月半ばの為替レートで約一七・五円/キロワット時)、買取り期間は運転開始から三五年間、物価スライド制、最大一〇〇億ポンド相当(総事業費の六五%)の政府債務保証の提供、政策変更に影響されない……と、耳を疑うような破格の条件だ。最終的な契約は二〇一五年五月の総選挙後という。

 では、英国政府が新規原発建設にこれほどの優遇措置を施すのはなぜか。それを知るには、まず英国の電力自由化と原子力事業の歴史を押さえておく必要がある。

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 原発の経営破綻
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 英国の電気事業は第二次世界大戦後、国営化された。以来、国営電力による独占体制が続いたが、「小さな政府」を掲げるサッチャー政権の登場で、電力事業は分割・民営化されることになった。一般に金融界は民営化を歓迎する。しかし原発は投資家から敬遠された。その最大の理由は、不透明なバックエンド費用にあった。特に設計寿命が残り少ない原発の場合、発電で得られる利益など廃炉や廃棄物処分にかかるコストで吹っ飛んでしまう。しかも国営電力は廃止措置費用を積立てていなかったのである。そこで政府は当面、原発については民営化を見送り、その受け皿となる公営の原子力発電(原発)会社を設置することにした。

 英国の原発は次の三つに大別できる。それらは、(1)一九五〇年代から七〇年代初めにかけて運転開始したマグノックス炉・全二六基、(2)一九七〇年代半ばから八〇年代末にかけて運転開始した改良型ガス冷却炉(AGR)・全一四基、(3)一九九五年に運転開始した加圧水型原子炉(PWR)・一基である。

 そのうち(1)を請け負った原発会社がマグノックス・エナジー(ME)、(2)と(3)を請け負ったのがブリティッシュ・エナジー(BE)だ。

 残りの運転期間が比較的長いAGRとPWRの所有者となったBEは一九九六年、ついに株式を公開し、民営となった。サッチャー路線を継承したメージャー政権は自由化を促進する一方で、非化石燃料電力の買取りを義務付けることにより、原子力維持を図った。

 それでもBEは激化する価格競争についていけず、早くも二〇〇二年には経営危機に直面。同社は政府に公的資金の投入を求め事実上、国の管理下に入った。そして二〇〇九年、フランス電力会社(EDF)に売却されたのである。そのEDFが英国で設立した子会社が、先のヒンクリーポイントC原発建設を計画するEDFエネジーだ。

 マグノックス炉を引き継いだMEは、最終的に英国核燃料会社(BNFL)に吸収された。マグノックス炉は現在までにウィルファ原発一基を残して運転終了。同原発も二〇一五年内に廃止措置に入る。

 ここでBNFLの沿革を一瞥しておこう。同社の前身は英国原子力公社(UKAEA)である。英国は一九四〇年代初めにいち早く原子爆弾の開発に着手し、同国の科学者は米国の原爆製造プロジェクト「マンハッタン計画」にも参加した。大戦終結後、英国政府はこれらの科学者を呼び戻し独自の核爆弾製造計画を始動。

 そして一九五二年、オーストラリアのモンテベロ諸島で核爆発実験を成功させ、米・ソに続く世界で三番目の核兵器保有国となった。その後、原子力開発はUKAEAに受け継がれ、そのうちウラン濃縮や再処理といった核燃料サイクル部分が一九七一年に分離・独立した。それがBNFLである。
 さて、英国は一九五七年に世界で初めて核エネルギーの商業発電利用を手がけた国としても知られる。その第一号がBNFL(当時はUKAEA)のセラフィールド/ウィンズケール施設に設置されたコルダホール原発(マグノックス炉)だ。マグノックス炉は原爆用プルトニウムを生成しながら発電にも利用できる二重(軍民)目的炉として英国が開発した。日本が同国から輸入した東海第一原発がこのタイプである。“マグノックス”という名称は燃料を包む鞘(被覆管)がマグネシウム合金製であることに由来する。マグネシウムは腐食しやすい。そのため原子炉から取り出されたマグノックス燃料は短期間のうちに再処理する必要がある。BNFLがマグノックス炉を引き受けることになったのは、そうした事情もあった。

 他方、AGRとPWRの使用済み燃料は直接処分が可能だ。再処理は直接処分に比べて高くつく。そこでBEは後者の路線を追求したが、国有時代にBNFLと結んだ再処理契約はキャンセルできなかった。同社が経営難に陥ったのは、再処理代金による圧迫も一因していたのである。しかしBNFLも、マグノックス炉や再処理工場などの廃止措置に必要となる費用(債務)が莫大な額に膨れ上がり、経営破綻、公的資金による救済——と、BEと同じ道をたどった。詳しくは後述する。

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 核依存のぶり返し 二〇〇五年という転換点
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 表1にあるように、英国では現在一六基の原発が稼働中である。それらの運転許可は、一九八七年に着工し九五年に運転開始したサイズウェルB(PWR)を除き、二〇二三年までとなっている(二〇一四年一一月末現在)。新設は同原発を最後に途絶えて久しい。このまま推移していけば、英国は二〇二〇年代初めまでに「準・脱原発国」になるものと見られていた。これは電力自由化の打撃に加え、一九九七年に政権を奪還したトニー・ブレア率いる労働党政権が当初、新設に否定的だったことも影響していた。

(表1)画像の説明

 新設が示唆されるようになったのは、第二次ブレア政権の頃からだ。二〇〇三年のエネルギー白書は、「現在の原子力の経済性では、新規原発建設は魅力的な選択肢にならない」ことから、まず「放射性廃棄物という重大問題を解決する必要がある」として廃棄物問題を優先する方針を示すとともに、「今は新規原発建設を支持しないが、その選択肢はオープンにしておく」との一文が付け加えられたのである。

 とはいえBEとBNFLの惨状の後では、さすがに新設計画への投資は期待できそうもないことから、原子力政策の重点は債務処理に置かれた。それを象徴するのが二〇〇五年四月に正式に発足した原子力廃止措置機関(NDA)である。これによりBNFL及びUKAEAの債務と資産はNDAへ移管され、同機関がその管理・処分に責任をもつことになった(NDAについては最後で取り上げる)。

 かくしてブレア政権は「核の後始末」という世紀を跨ぐ一大事業を立ち上げると、いよいよ原子力発電事業の建て直しを政策の射程に入れ始めた。報道によるとブレア首相は二〇〇五年一一月、英国産業連盟との晩餐において「原子力の再興」を謳ったという。二〇〇五年といえば、米国のブッシュ大統領が打ち出した原子力回帰策を発端として、世界の原子力輸出入が再び活発化してきた時期にあたる。

 いわゆる「ニュークリア・ルネサンス」だ。売りたい側は日本、フランス、ロシアなど、買いたい側は米国、中国、インド、中東、東欧諸国などである。これらの国々の政府は公的融資や債務保証などを通じて新規原発計画や輸出入計画を強力に後押しし、それに呼応して各国の金融界も、リスクが軽減されたとして原発への投融資に前向きになっていった。
英国に話を戻そう。ブレア政権は二〇〇六年のエネルギー白書において、「新規原発は我々のエネルギー政策目標の達成に大いに貢献するだろう」と、〇三年の同白書とは打って変わって新設推進を掲げた。この転換はしかし、〇三年白書が新設再開の条件として明記していた「全面的な公開諮問」を経ていないとして、環境保護団体・グリーンピースUKは政府を高等法院に訴えた。そして二〇〇七年二月、「(政府側に)明らか且つ根本的な誤りがあった」との判決が下されたのである。

 この判決を受けて、政府は諮問をやり直した。だが、導かれた結論は同じ。翌二〇〇八年、ゴードン・ブラウン新政権は「原子力白書」を公表し、「英国の新規原発にエネルギー企業が投資することは公共の利益になる」(下線は筆者)と位置づけ、それを促すための制度改革や環境整備を進める方針を打ち出した。そうした制度改革で生まれたのが、冒頭で述べた差額決済型の固定価格買取り契約(FIT—CfD)である。

 エネルギー政策を専門とするスティーブン・トーマス教授(グリニッジ大学)は、政府が新設推進の前提として掲げたコスト見積もりは「あまりに楽観的」と指摘する。〇八年原子力白書での見積もりでは、一基(一六〇万キロワット級)あたりの建設費は二〇億ポンド。それが二〇一三年には同七〇億ポンド(ヒンクリーポイントC原発ケース)と大幅に膨れ上がった。福島原発事故後、安全強化のためのコストが加算されたことを考慮しても、その差は甚だしい。

 なおかつ二〇〇六年の時点では、政府は「新規原発に補助金を投入することはない」(政府高官)と言明していたのだ。債務保証やFIT—CfD制度による差額補填は政府補助金と何ら変わりはない。こうした優遇措置の導入が事前に明らかにされていたなら、「(原発新設)政策は到底容認されなかっただろう」とトーマス教授は語る。

 こうして英国政府は核エネルギーの発電利用の再興へと踏み出したわけだが、では軍事利用はどうか。英国が保有する唯一の核兵器システムは、サッチャー政権が導入した「トライデント」である。これは米国製トライデント・ミサイルとそれを搭載する四隻の原子力潜水艦から成る。それらの原潜は二〇二四年から順次退役するため、原潜を新造してトライデント・システムを続けるか、それとも廃棄して核廃絶の範となるべきかが議論されてきた。そして二〇〇六年、ブレア政権は「トライデント」更新を決定。翌年、国会で承認された。これにより英国の核兵器関連施設や原潜製造所も維持されることになったのである。

 核エネルギー存廃の岐路に立っていた英国は、発電と軍事の両面での利用継続へとハンドルを切った。これを、「ニュークリア・ルネサンス」ならぬ「ニュークリア・リラプス」と呼ぶ人もいる。「リラプス」とは回復しつつあった病(やまい)や依存症がぶり返すことを指す。すなわち「核依存のぶり返し」だ。

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 「悪い前例」
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 表2は現在までに提案されている新規原発計画である。原発建設は一般的に計画から運転開始まで一〇年以上かかる。長いブランクがあれば、なおさらだ。英国政府が破格の優遇措置を講じてまで新設を急ぐのは、原発の幕引きが目前に迫っているからである。しかし新設を進めるにしても、自国の原子力産業はすでにその能力を失っていた。そこで英国政府は原発建設だけでなく、原子力発電事業そのものを他国企業に開放し、海外資本と技術を活用して原子力再興を成し遂げることにしたのである。

(表2)画像の説明

 英国市場は国際化が進み、多くの海外企業が参入している。その中での英国政府の役割は「劇場の支配人のようなもの」(ロンドン在住の日本人ジャーナリスト)だという。つまり市場という劇場のルールを定め差配するのは英国政府、舞台で演じるのは国内外企業、そしてチケットを買って劇場を支えるのは英国消費者だ。英国で進行中の新規原発プロジェクトは、まさにこの構図である。

 さて英国政府はまず、建設候補地の選定に取りかかった。選ばれたのはEDFエナジーとNDAが所有する既設原子力発電所に隣接する土地である。それと平行して、原子力規制局(ONR)は候補となる原子炉の炉型審査に入った。これは包括的設計審査(GDA)プロセスと呼ばれるもので、新規原発促進のための制度改革の一環である。

 というのも英国では原子力施設建設に先立つ公開聴聞会に長い時間を要するからだ。たとえばサイズウェルB原発の場合、原子炉の設計をめぐって技術的な議論が延々と続き、結審の公表までに四年かかった。審査期間の長期化は投資を引き出すうえでマイナスに働く。そこでONRが事前に炉型の設計承認を済ませておくことで、許認可手続きの短縮が図られることになったのである。このGDAプロセスを最初に通過したのは、仏・アレバが設計した欧州加圧水型原子炉(EPR)だ。ヒンクリーポイントC原発がこの炉型である。

 ONRは現在、日立—GEの改良型沸騰水型原子炉(ABWR)と東芝—WHのAP1000を審査している。日立はドイツ企業が英国に設立した原子力事業開発会社・ホライズンを二〇一二年に買収、東芝は同・ニュージェンの株式を一四年にスペイン企業から取得し、それぞれ原発プロジェクトを進めている。

 実はドイツとスペインの企業は福島原発事故後、英国における原発事業から退くことにし、その株式を日本に売却したのである。また、先行するヒンクリーポイントC原発計画に出資していた英国企業も一三年、大幅な遅延と予算超過のために撤退。その穴を埋めるために英・財務相は自ら中国へ赴き、同国の国有原子力企業による出資を固めた。新規原発建設に対する英国政府の入れ込みようが知れる。

 これらの海外企業にとって英国での原子力ビジネスの先行きに関わる重大決定が二〇一四年一〇月、欧州委員会(EC)から下された。ECは英国政府によるヒンクリーポイントC原発への支援策(FIT—CfD、債務保証など)が、欧州連合(EU)の定める競争法に抵触するか否かを審査していた。EU競争法は加盟国政府による特定の事業者に対する財政支援を原則的に禁止している。こうした国家補助は公平な競争の場を歪める恐れがあるためだ。

 審査の結果、ECはいくつかの修正を条件に同原発に対する支援策を承認した。それに対しオーストリア政府は、「価格保証は再生可能エネルギーのため」のものであり、その適用を同原発に認めるのは「悪い前例」をつくることになる、として欧州司法裁判所への提訴を検討している。なぜなら今回の決定により、英国だけでなく、EUに加盟する東欧諸国も同様の制度の導入へと向かいかねないからだ。これらの東欧諸国もまた、原発の輸入・建設を計画しており、海外企業の投資を呼び込もうとしている。

 ここまで英国流・原子力再興の試みを見てきた。この英国手法がどう展開していくかは予見が難しい。日本をはじめ海外企業が頼りにしている英国のFIT—CfDにしても、一定期間を経て技術中立になるという。つまり風力や太陽光などと買取基準価格を競争することになる。そうなると廃炉や放射性廃棄物といったバックエンド費用に加え、大量放射能放出事故に備えなければならない原子力は、とても優位に立てるとは思われないのである。

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 「核の後始末」ビジネス
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 最後に、「核の後始末」について付け加えておこう。英国は同国の核エネルギー開発の初期に設置されたUKAEA及びBNFLの施設と、それらの運転や事故で生じた放射性廃棄物を「核の遺産」と呼ぶ。要するに後世に先送りされた「核のツケ」だ。

 NDAはそれらの管理・処分を実施するために設立された政府外公共機関である。その主な業務は、原子力施設の廃止作業、放射性廃棄物やプルトニウムなどの管理・処分、そして資金確保だ。NDAに移管されたのはマグノックス発電所、UKAEAのドンレイ高速炉施設、BNFLの核燃料サイクル施設など一七か所(これらの敷地はNDA所有となった点に注意)。現場で実際に作業にあたるのはセラフィールド社などだ。BNFLは解体・売却を経てセラフィールド社と改名し、NDAの業務を請け負う企業として再出発した。

 NDA本部はセラフィールド施設のある英国北西部カンブリア県に設置された。これはNDAが背負う「核の負債」の大半は同施設で発生したことによる。同施設には一六〇〇棟もの建物が五平方キロほどの敷地内にひしめき合っている。うち二〇〇棟余りが放射性物質を扱ってきた。

 たとえばマグノックス用再処理工場、酸化物燃料用再処理工場(THORP)、プルトニウム貯蔵施設、MOX燃料工場、高レベル廃液タンク、軍事用原子炉(ウィンズケール一号炉・二号炉)などである。これらは日本の原子力事業とも密接な関係があるのだが、ここで詳しく述べるには紙幅が足りない。日本の電力会社が再処理を委託してきたTHORPは二〇一八年に閉鎖予定であることだけ記しておこう。

 一九五七年に火災事故を起こして閉鎖されたウィンズケール一号炉は、放射能が低減するのを待って、ようやく解体作業のスタート地点に立ったところだ。作業を終えるのは早くとも今世紀半ばという。それでもこれはセラフィールド施設全体では最も容易な部類の作業であり、あとに控える再処理工場などの後始末にかかる時間は一〇〇年を下ることはない。

 いずれの作業も困難をともなうが、なかでも使途が不明確のまま保管され続けている一二〇トン余り(うち約二〇トンは日本分)に及ぶプルトニウムの管理・処分は超が付く難題だ。日立—GEは、プルトニウムを照射して“汚す”(核兵器の材料になりにくくする)とともに発電にも利用できるとして、同社製の高速炉・PRISMの建設をNDAに提案している。高レベル廃棄物として地層処分する可能性も含め、最終決定はこれからだ。

 NDAの年間予算(二〇一四年度は三二億ポンド)は国からの助成金が三分の二、残りはビジネス収入である。ビジネスには海外企業への除染技術の提供、新規原発計画へのNDA所有地の売却などが含まれる。たとえば日立の子会社・ホライズンや東芝が共同出資するニュージェンが建設計画を進める土地がそれにあたる。言わば「核の後始末」ビジネスで資金を稼ぎ、それを「核の負債」処理につぎ込むという算段だ。

 世界に先駆けて核エネルギー利用に着手した英国は、事故と汚染でも先行した。NDAによると、そうした経験から得た知見を世界と共有していくのだという。そのひとつが福島原発事故処理にあたる東電社内分社「福島第一廃炉推進カンパニー」とセラフィールド社との連携だ。両者は二〇一四年五月、技術協力で合意。調印式には安倍晋三首相も同席した。

 いずれにせよNDAの作業は緒についたばかり。その前途には高レベル廃棄物の最終処分をはじめ、数多の超難題が横たわっている。

注)本稿をまとめるにあたっては日本学術振興会科研費26301003(代表・今中哲二)の助成を受けた.

 (筆者はフリーランス・ジャーナリスト・英語・中国語翻訳者)

※ この原稿は著者及び出版社の許諾を得て雑誌世界2015年2月号から転載したもので文責はオルタ編集部にあります。


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