宗教・民族から見た同時代世界

チベットの巡礼聖地カイラス山

荒木 重雄


 チベット、青海、雲南、四川、甘粛、モンゴルの数千万人の仏教徒やボン教徒、インド、ネパールの10億に及ぶヒンドゥー教徒やジャイナ教徒が、それぞれ聖山と仰ぐ山がチベットの奥地にある。チベット語でカンリンポチェ(尊い雪山)とよばれるカイラス(サンスクリット語でカイラーサ)山である。
 各地から巡礼が訪れるが、今年は12年に一度の巡礼年。とりわけ巡礼者が多いという。わたしたちも誌上で巡礼に加わって、いっとき巷の暑さを忘れよう。

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◇◇ 高原を越えてはるばると
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 カイラスへの道は、東から西から、あるいは南からヒマラヤの峠を越えてと、幾筋もあるが、わたしたちはチベット自治区の首都ラサから西へ向かう道を辿ろう。約2千キロの旅である。
 チベットは、ほぼ全体が、海抜4千メートル前後の緩やかな起伏が連なる高原である。冬は氷雪に閉ざされ、夏は僅かな雨量で丈の低い草がまばらに生える。
 稀に見える人家はといえば、土造りの小屋かヤクの毛で編んだテントで、人びとは、羊やヤクの糞を干して燃料にし、バター茶とツァンパ(麦こがし)と僅かな干し肉を食べ、家畜を育てたり小さな畑を耕して暮らしている。

 千キロも進むと、日本の国土の二倍はあるといわれる、不毛な荒野のチャンタン高原に差しかかる。赤鉄鉱を含んだ巨大な岩山が行く手を遮るように立ちはだかり、出口を失った雨期の水が干上がって塩湖をつくる。
 容赦なく照りつける太陽が陰ったと見るや忽ち全天、暗雲に覆われ、突風が竜巻を起こして砂礫を巻き上げ、雲を切り裂く稲妻が閃いて雷鳴が轟き、激しく雹が降って大地が白一色に変わる。小半時もすれば嵐は去って、雲間から金色の斜光が差し、大きな虹がかかる。この繰り返しがチャンタン高原の夏である。

 荒れた大地を、巡礼たちは、何か月もかけて、着のみ着のまま、僅かな荷だけを背負って、野宿しながらやってくる。最近はトラックを利用する人たちもふえたが、道ともいえない悪路を何日も荷台で揺れながらくるのも、かなりの難行である。それでも途中からは徒歩になる。

 カイラスの聖地は山だけではない。清冽な水を湛えた広大なマーナサローワル湖や温泉と蒸気を噴き出すティールタプリーなどもあるが、主目的のカイラス山に急ごう。

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◇◇ 五体投地で岩山を巡る
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 夏でも万年雪を戴いて特異な山容で屹立する標高6656メートルの独立峰カイラス山は、ヒンドゥー教徒にとってはシヴァ神と妃パールヴァティー女神の玉座であり、ジャイナ教徒にとっては祖師リシャバの解脱の地、ボン教徒には開祖シェンラプ・ミボの降臨の地、仏教徒にとっては南面の崖に卍を刻む須弥山であり、とりわけチベット仏教徒にとっては、釈迦牟尼そのものと崇められ、また、密教の主尊サンヴァラとその妃ヴァジラヴァーラーヒーの御座所とされ、行者パドマサンバヴァが魔神たちを調伏したゆかりの地でもある。

 したがって各宗教の巡礼が、この岩山の周囲を、それぞれの仕方で祈りながら巡る。仏教徒、ヒンドゥー教徒、ジャイナ教徒は右回り、ボン教徒は左回りに。

 巡礼基地のタルチェンという集落を起点にカイラス山の麓を回る一周52キロの巡礼路は、急な登り降りの連なる瓦礫の道で、途中には、色とりどりのタルチョー(祈禱旗)がはためく石塚や、仏塔、仏足石、力尽きて倒れた巡礼のための鳥葬場などがある。鳥葬場には死者が遺した衣類や遺品が散乱し、凄惨な雰囲気を漂わせている。

 この巡礼路を、通常の巡礼者は一日で巡る。夜明け前に発って夜半に戻る。足の弱い人は、食糧と寝具を用意して泊りがけで回る。また、多くの巡礼者が、立っては地に身を投げる五体投地礼を繰り返しながら尺取虫のように地を這って、一周を15日から25日かけて回る。
 しかもこれを一度ならず10回、20回、あるいは100回以上も繰り返すのである。チベットでは13が吉祥の数字で、13回を目標にする巡礼者も多いという。

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◇◇ 人はなにゆえ巡礼するのか
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 標高4千メートルから5千メートルに及ぶ高原の岩山を何日も何か月も、ときには何年にも亙って彷徨するのだから、子どもを含む老若男女の巡礼者は皆、衣服は襤褸同然となり、頬や額は紫外線に焼け爛れ、深い皺を刻んでいる。だがその顔には、等しく、無垢な満ち足りた笑みが浮かんでいる。

 その笑顔の意味について、1992年にこの巡礼路で面接調査をした社会学者・上野千鶴子氏は、要約、次のように書いている(『KAILAS 松本栄一写真集』小学館)。

 巡礼路には、家族連れや村ぐるみの講で、あるいは女性の単独行や、三人の女性を伴った僧侶など曰くありげな連れ立ちも含め、さまざまな巡礼が行き交う。氏はそれらの巡礼者に、「なぜ巡礼するのか?」の問いを繰り返すのだが、その問いに困惑顔とともに返ってくる巡礼者の答えは、異口同音に「すべての生類のため」、「よりよい来世のため」である。

 このワンパターンの答えには、氏ならずとも訝しく思われるのだが、生まれ変わりと来世への信仰をリアルにもつチベットやインド文化圏の人たちにとっては、この厳しいカイラス巡礼は、喜捨や念仏、不殺生など、積めばよりよい来世に近づける功徳(善行)のなかでも最たるものとして、大きな得点になることは疑いないのである。

 そして、上野千鶴子氏は、巡礼の動機に「本音」や「個人性」を求め、巡礼者が語る「一切衆生のため」「よりよい来世のため」という動機を「たてまえ」としてしか受け取れなくなっている、「近代」に呪縛されているわたしたち自身の思考の位相をこそ問うべきと、いうのである。

 8月に入ると巡礼者の姿はめっきりと減る。カイラス周辺にはすでに風雪の冬が迫っていることと、多くの巡礼者には、故郷で家畜を里に戻したり農作物を収穫する仕事が待っているからである。

 (筆者は元桜美林大学教授)


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