【コラム】宗教・民族から見た同時代世界

タイ新国王は分断社会とどう向き合うのか

荒木 重雄


 昨年10月のプミポン前国王の逝去にともない12月に即位したワチラロンコン新国王は、一年余り続いた喪が明け、国王としての公務を本格的に開始する。分断がすすむ社会で新国王はどのような立ち位置を探るのだろうか。新たな国民統合の象徴となることはできるのか。そのことを占う一助として、今号では、タイ王室の権威の基盤でもある東南アジアの王権思想を振り返っておこう。

◆◆ 王を王ならしめる物語

 王がなぜ王であり、統治の正当性をもつのか。これを説明する論理を王権思想という。
 インド文化の影響を受けた東南アジアには古来、ユニークな王権思想が花開いた。まず、紀元前後から14、5世紀頃まで各地に興亡したヒンドゥー王国の王たちが採った王権思想は、王はヒンドゥー教の神であるヴィシュヌ神やシヴァ神の化身であって、地上における神である、という観念である。これをデーヴァ・ラージャといい、サンスクリット語でデーヴァは「神」、ラージャは「王」で、「神」である「王」、すなわち「神聖王」となる。王は神の化身として超越的な権威を持つがゆえに住民の尊敬と畏怖を得る。これが権力の基盤であった。

 そのためには、王には、自らがデーヴァ・ラージャであることを住民に示し納得させることが必要になる。そこで考案された演出装置が、たとえば、カンボジアのアンコール王朝(9~15世紀)によって造られた、かの有名なアンコール・ワットやアンコール・トムである。中央神殿を中心に回廊や濠や城壁を巡らした壮大な王都の構造は、じつは、メール山(中国でいう須弥山)を幾重もの大洋や山脈が囲むとするヒンドゥーのコスモロジー(宇宙論)を模したミクロコスモス(小宇宙)なのである。宇宙の構造を地上に再現する神の化身たる王。このイメージこそアンコール王朝の権威の源であり、ゆえに、歴代の王たちは、豪壮・華麗な王都や神殿の造営に王朝の命運をかけたのである。

 米国の文化人類学者クリフォード・ギアツが洞察し名づけたインドネシア・バリ島の「劇場国家」はもう一つの興味深い例を示している。バリでは10世紀から19世紀までヒンドゥーの小王国が興亡したが、ここでは、いわば、王が興行元になり、僧侶が演出を担当し、農民が俳優と裏方と観客を兼ねる仕組みで、ヒンドゥーの神話劇が上演され、この演劇が政治の基盤となっていた。すなわち、神々が降臨し宇宙の理想が実現される王国こそ聖なる場所であり、そのような神話空間を主宰する王は神の化身たる「神聖王」と了解されたのである。

 このことを理解するためには、東南アジアで「王国」という場合、それは近代の国家のような制度的な領域支配を意味するものではなく、ある王の神聖性・カリスマ性が住民に認められ受け入れられる範囲が王国であり、王と住民が一つの「幻想」を共有することが政治であったという歴史的事情を解する必要がある。

◆◆ 仏教では王は菩薩なり

 東南アジアでは13世紀頃からヒンドゥーが衰退し、仏教とイスラムに色分けされることになるが、では、仏教王国での王権思想はいかなるものであったのか。これはカルマ・ラージャ(「菩薩王」)およびダルマ・ラージャ(「正法王」)の観念である。
 カルマ・ラージャのカルマとは「業」、前世の行いであって、すなわち、王が現在、王であるのは、過去生において無限の功徳を積んですでに菩薩となった存在であるから、とされ、そのことじたいで王である正統性を得ていることになる。一方、ダルマ・ラージャのダルマ「正法」とは仏教の教えに基づく道徳、正義をさし、王は仏教の理想をこの世に行い、護り広めることにより王である、という観念である。そしてこの両者が相俟って、菩薩である王がこの地上に仏の理想を実現するという論理をもって住民の尊敬と支持を獲得したのであった。

 この場合もやはり演出装置が重要になる。それが仏塔、伽藍の建立であった。それゆえ、パガン朝以来のビルマ諸王朝(10世紀~19世紀)でも、スコータイ朝以来のタイ諸王朝(13世紀~)でも、夥しい数の壮麗な仏塔、伽藍を建立し、併せて、王はサンガ(仏教教団)の庇護者を任じてきたのである。

◆◆ 分断社会における新国王の課題

 西欧型民主主義路線を志向したピブン政権を1957年、サリット将軍が倒したクーデター以来、力を回復したタイ王室が採用した理念も、この伝統的な「王は仏教の擁護者」の観念であった。すなわち、王は、民衆の生きる拠り所であり社会正義の規範である仏教を護持・興隆するがゆえに王であり、ゆえにまた、その仏教の最高の擁護者として民族を代表する国王を守ることが政治指導者および国民の最大の責務である。

 こうして得た国民からの敬愛・信頼に基づく権威のもとに、プミポン前国王は、73年のタノム=プラパート軍事政権と学生・市民の衝突や92年のスチンダ軍事政権と民主化の旗頭チャムロン前バンコク市長の対決など、タイ政治の幾多の危機に調停者としての役割を果たし、国民の信頼を一層高めた。その国民の敬愛・信頼の深さは、10月に催された前国王の葬儀の情景でも随所に見られたところである。

 ワチラロンコン新国王は、さて、この前国王までの権威の遺産を引き継ぐことができるのだろうか。社会の近代化と経済価値最優先が進む中で伝統的な王権思想の効果はすでに怪しくなっている。しかも、農村に基盤を置く民衆的政治勢力がタクシン派として台頭し、都市既得権益層との間に激しい摩擦が生じて以来、軍、官僚とともに既得権益層の一翼を担う王室は、もはや公正な調停者ではなく、対立の一方の当事者となりはてている。新国王は国民への新たな信頼と権威をいかにして創るのか、その課題はあまりにも重く大きい。

 (元桜美林大学教授)

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