【オルタのこだま】

ジョアキム明日香さま、

鈴木 宏昌


(鈴木先生への質問) 

 記事修正のお願いという投稿を興味深く読みました。私の小論は、4年前に書いたもので、フランスの老人ホームの状況を紹介したものでした。その文章のなかに、私が知っている老人ホームでは、介護士(ヘルパー)にはフランス海外領出身者が多いという表現があり、それは差別的な表現ではないか。また、低賃金の職種である介護士に多くの海外領出身者がいることを強調することは、日本人が持っている普通のフランス人は白人という固定観念を助長することになるのではないかという批判と理解しました。少々様々な観点が混ざっていますので、私の立場を事実認識、日本人の固定観念と偏見、そして差別問題と三つに区別し、簡潔に説明したいと思います。

1)事実認識の部分

 私が知っている老人ホームでは、海外領出身者(マルティニーク、グアドルップなど)が多いと表現した箇所ですが、これは一つのケースとして紹介しています。私は福祉が専門ではありませんので、老人ホームを実際に見たのは二つに限られます。一つは、パリ市内にある民間の施設で、確かにそこでは海外領出身者が多いとは感じませんでした。ところが、パリの東の郊外にある公的部門に属する老人ホーム(大型の老人ホーム)では、海外領出身者が多かったことは、施設に当時入っていた家内の母親から直接聞きましたし、ホーム内を歩いていてみてすぐに分かりました。パリの老人ホームが民間経営であったことと郊外のものが料金規制を受ける公的部門でした。そこで、東の郊外の老人ホームでは、十分な介護士の確保が難しく、海外出身者を多く採用していると判断しました。

 ご存知とは思いますが、フランスの海外領では、雇用機会が極端に少なく、多くの人が出稼ぎの形でフランス本土に来ています。海外領出身者の中で、介護士はその代表的な職業です。日本と同じように、ヘルパーはもっとも雇用需要が大きい職業ですが、低賃金職種の代表的なものでもあります。労働が不規則な上に、体力の負担も大きく、しかも賃金が低く抑えられています。もっとも、介護士の給与は、地方では相対的に悪くなく、介護士の定着率が比較的良いと聞いています。しかし、生活費が高いパリ地域では、介護士の定着率が悪くなります。そこで、かなりの老人ホームでは、定着率の良い海外領出身者を多く採用しているようです。
 ちなみに、フランス海外領土における失業統計(2015年)をみると、失業率は全体で22.9%と高く、フランス本土の失業率10%を大きく上回っていますし、25歳以下の若年労働者になれば、当該人口の51%は失業中というとてつもない数字になります。このような背景もあり、私の見た老人ホームでは、海外領出身者が多いと表現しました。

2)本人の固定観念と偏見

 日本とフランスとは距離がありますので、一種のステレオタイプや固定観念があるのは間違いありません。固定観念は、様々な人が個人的情報やテレビや映画の断片、あるいは旅行者の目撃情報などにより総合的に形成されていると考えています。ですから、その作られたイメージには、事実と誤解が交じり合っていると思われます。このようなステレオタイプを修正するには、誤解の部分を事実で指摘すること以外にないだろうと考えています。

 その昔、日本の自動車産業がアメリカでの生産を本格化させた1980年代に、アメリカ人の大先生が日本人に「アメリカで自動車を生産するとき、白人の多い工場と黒人などマイノリティの多数がいる工場では生産される自動車の品質に差がありますか?」と尋ねたところ、多くの人が教育水準に差がある以上、黒人が多い工場で生産された自動車の方が品質が悪いだろうと答えていたと笑っていました。もちろん、正解は、企業の生産管理がしっかりしていれば、品質に差があるわけがありません。今では、かつての固定観念が修正されていると思われます。
 この例が示すように、事実を積み重ねることによって固定観念が変ってゆくと考えています。ただ、私は、日本人がもっているフランス人に関する多くの固定観念がすべて間違っているという気もありません。私たちが持つ固定観念の中には、誤解に基づくものと事実に近いものが混在していて、この二つをはっきり分けることは難しいことが多いと感じています。

3)差別と逆差別

 性、人種、信仰などに基づく差別は難しい問題です。まず、偏見に基づく差別と合理的な格差をどう判定するかという判断基準の問題があります。たとえば、すべての差別は歴史の文脈の中でつくられているので、差別の解消には、一定の期間、差別の対象になっている人たちに優遇措置を図るべきという立場があり得ます。不遇のマイノリティに対し、教育や雇用の面で、優遇措置をとる政策です。同時にそれは逆差別であると見ることもできます。アメリカのある州立大学がマイノリティグループの入学枠を定めていたことに対し、20年前に、一般の白人がマイノリティ優先枠は白人に対する差別であると裁判に持ち込まれ、勝訴したケースがありました。個人的には、差別と逆差別の問題は、結局水掛け論に終始することが多いと考え、差別の分野にはあまり深入りしないことにしています。

 ところで、私はフランスの差別解消政策には強い疑念を持っています。法律で差別を違法と大上段に構え、かえって、差別の現状にふたをしている気がします。フランスでは、差別的待遇につながるという理由で、人種、皮膚の色、宗教などの個人属性に関する統計を禁止しています。フランスの大きな社会問題であるイミグレにしてもその正確な人数すら正確に捉えられません。
 私が最近関心を持っている教育格差の問題でも、教育機会の平等が確保されているという理由で、政治の動きは実に鈍いです。実際には、イミグレの子供の多くは貧しい地域に集中し、教師不足や学級内の混乱から授業確保すら難しい地元の学校に行くことになります。ところが、富裕な階層の住む地域では、評判の良い公立校か私立の学校が必ず近くにあります。その結果、グランゼコールや大学の医学部のように入学が難しいコースには、イミグレや郊外の学校出身者は入れないのです。

 教育や雇用分野において、本格的な格差是正をするには、個人属性に関する統計が解禁され、差別の実態が可視化されれば、その対策も練りやすくなると思っています。差別や格差の問題となると、フランスでは、建前論ばかりが目立ち、なかなか具体的な改善策にたどりつかないのが現状と考えています。
 納得していただけるかどうかは確信がありませんが、以上が私の立場の説明です。

 (パリ在住・早稲田大学名誉教授)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
最新号トップ掲載号トップ直前のページへ戻るページのトップバックナンバー執筆者一覧