≪連載≫海外論調短評(73)

蕩尽される世界の海 — グローバル漁業の憂慮される将来

                      初岡 昌一郎


 1800年代に創刊されて長い伝統を持つ、アメリカの知識人向け月刊誌『ハーパーズ・マガジン』8月号が、メキシコの「コルテス海からの手紙」という長文の記事を掲載している。筆者のエリック・ヴァンスは気鋭のサイエンス・ライターで、カリフォルニアとメキシコ・シティをベースにして、『サイエンティフィック・アメリカン』などの大衆向け科学雑誌で健筆を揮っている。彼が行なっている海洋調査活動は、米国「ピューリツァー危機報道センター」の支援を得てきた。ここに紹介する論説は、海洋生物保護のために書かれた彼の多くの論文や記事の一部である。

 手紙の形式をとるこのアピールはルポルタージュ風に書かれており、現地インタービューなどがふんだんに織り込まれたアクチュアルなものだ。しかし、以下の紹介は皮と肉を削ぎ落して、筋だけを追うものとなっている。

魚貝の宝庫、メキシコ・コルテス海が乱獲で壊滅的な危機に

 コルテス海沿岸はかつてムール貝の宝庫であったが、今日ではその姿が見られなくなっている。ここ数十年の間に沿岸の漁礁がほとんど破壊されたが、これはツーリストや流れ者ダイバーたちの無責任な行為によるものである。地元の漁師たちはより危険な深海に魚を求めて潜ることを余儀なくされている。

 「カリフォルニア湾」とアメリカでは呼ばれているコルテス海は、歴史的に多様な魚類を豊富に擁し、かつては名だたる「世界の水族館」として云われた、魚貝類の宝庫であった。西岸は岩礁だらけで深く、東岸は遠浅の砂浜に恵まれている。温度は冬季の寒冷から夏季の温暖まで変化に富んでいる。一部では海水の透明度がまだ非常に高いが、他のところでは濁ってきている。

 950種類以上の驚くべき多様な魚類が棲息するが、その10%は世界の他地域に見られない固有種で、その中には絶滅危惧種が含まれている。コルテスの豊かな海は、メキシコ経済の中で主要な役割を果たしてきた。同国漁業水揚げ高の80%、特にエビ漁の90%を支え、6万人を直接に雇用している。これらの漁師は、新旧、大小が混在する26,000隻の漁船で就労している。この海は、国内消費向けというよりも、アメリカ、日本、そして今や中国という、世界で最もハングリーな市場への供給基地となっている。

 ここ2、30年間に生物多様性が最も失われた地域の一つがこの海であった。85%の魚類が最大限、過度に捕獲されてきた。したがって、グローバルな漁業の将来と海洋の危機を考察するのに、これほど適したところはない。

原住漁民に絶滅漁法を採らせた日本の商業主義

 コルテス海最大の島、ティブロン周辺はもっとも豊かな漁場で、原住民のセリ族がこの周囲で暮らしてきた。彼らはメキシコ人とは言語も異なる少数民族であるが、メキシコ政府の長年にわたる迫害により、もはやその人口が1000人に満たなくなっている。

 このセリ族や周辺の漁民は、豊かなマングローブに育まれた魚を必要なだけ捕り、伝統的に環境調和型の生計を立ててきた。ところが、日本の大型漁船が20世紀後半からコルテス海に入り込み、基地を設営した。彼らは、小麦粉、油、肉、雑貨を漁民の捕る魚や亀と交換し始めた。日本人は魚類に等級付けをして、特定魚種を高価に買い始めた。また、セリ族にモーターボートを貸与し、効率の良いトローラーで、根こそぎに捕獲する漁法を伝授した。彼らはダイナマイトを投下して、漁場を破壊しても一時的に大量魚獲する方法も厭わなかった。

 最初に第一級のヒラメなどの魚類が姿を消し、かつては顧みられなかった第三級魚類も今やいなくなっている。推定によると、世界では漁船の1%にすぎない大型漁船が漁獲高の60%を占めている。コルテス海では、50,000人の漁民が25,000艘の小型漁船で魚を捕っており、10,000人の漁民が1,300隻の近代的漁船で操業している。セリの人々は、外部から入込む大型漁船がほとんどの魚を捕獲していると苦情を述べている。

 かつては豊富に生息したエビ類や大量の亀も絶滅を危惧されている。セリ族は遅まきながら魚類を保存するための自衛措置をとり出しており、これを「エコ戦士」とロマンティックにとらえる向きもあるが、政府の政策の前には、蟷螂の斧にすぎない。

 メキシコ政府はモーターボートの購入やエンジンの買い替えに補助金を出してきた。また、観光客やダイバーの誘致には熱心だが、自然保護や種の保存には無関心であった。ダイバーによる亀の捕獲や、産卵地荒らしも規制されてこなかった。

養殖漁業の急成長 — その光と影

 養殖漁業は1980年代から急成長し、今日アメリカで消費される魚の約半分を供給している。養殖漁業の筆頭に位置する中国は最大面積の養魚場を持ち、その養殖魚は海洋で捕獲される魚の2倍以上の供給量に達している。

 コルテス海もこの傾向を追っている。南部における天然エビの水揚げは12,000トンであるが、養殖エビは90,000トンを越し、しかも増加の一途を辿っている。多くの環境保護論者は、養殖業を環境保護に資するものと評価している。ほとんど無限に安価な魚を供給し、雇用を創出する可能性をみる。

 しかし、問題は複雑だ。第一に、エビ養殖のために広大なマングローブ湿地帯が失われた。養殖池に病気が発生すると、それを放棄して新しい養殖場が切り開かれた。第二は廃棄物である。エビの殻とそれに混じる栄養剤、殺虫剤、その他の添加物はかなり有害なものである。最後に餌の問題がある。養殖エビの最上のエサは固形天然魚粉である。1ポンドのエビを収穫するためには120ポンドのエサが必要だ。これは環境保全に資するものではない。

 エビ好きのアメリカ人は年間10億ポンド以上のエビを消費しているが、国内水揚げの3倍にあたる。コルテス海のエビはかなり採り尽くされた。小柄なエビをトローラーで捕るために、本来の目的でない鮫、イルカ、カメ、カニ、鯖、イワシなどが共に捕獲される。こうして、海の生態系が攪乱され、水資源が失われてしまう。だが、代替策としての養殖漁業も環境破壊に劣らぬ否定的影響を与えるし、養殖魚による健康被害はまだ研究されていない。

壊滅的な惨事が予測されるのに、手を拱くばかり

 海岸通りの魚料理店で提供する魚は、その沿岸で水揚げされたものでないことが多い。コルテス海の魚はまずメキシコ・シティや大都市の市場に送られ、ごく一部が流通回路を経て海岸の店に戻ってくる。その間に、魚価は何倍にも跳ね上がり、生産者の漁師には僅かの収入しかもたらさない。魚場の保全策は地元漁師の自立を助けるものでなければならない。

 コルテス海の魚業が壊滅的な惨状に向かっているのは公然の秘密なのに、誰もが手を拱いているばかりだ。すでに事態は手遅れになっているかもしれない。

 1994年に、メキシコ、カナダ、アメリカは環境協力委員会を結成した。これは、北米自由貿易協定の一環である。この委員会の主要任務の一つは、貿易拡大によって影響を受ける野生生物を確認することである。それ以上のものではない。まず、小型メキシコ・イルカ(ヴァキータ)に焦点が当てられた。1997年には567頭が確認されたが、今日では150−250頭と推定され、世界で最絶滅危惧種のひとつに挙げられている。中国の河川イルカは、2006年以来姿を消している。

 魚類の激減したコルテス海に増え続けている唯一の生物はクラゲである。なぜクラゲが急増したかは解明されていない。この急増したクラゲの唯一の買い手は中国だが、クラゲでは多く漁民の生計を支えられない。

 メキシコ政府はコルテス海の保全を公約しているが、連邦政府環境保護局はコルテス海の監視に従事する船を一隻も保有していない。政府がコルテス海の北部を保護区として立ち入り禁止措置をとった時、情報を共有していない地元漁師は公用車を焼き討ちした。保護区指定はこの地域のコミュニティを経済的破滅から救済していない。

 コルテス海の海岸線が後退し、北部の沿岸地帯は干上がり、広大な荒野が白い塩で覆われている。この地域はかつて綿栽培でにぎわっていたが、アメリカのコロラド川が干上がったために、真水の流入が止まってしまった。川が栄養分を補給しなくなったので、北部沿岸の魚類も大幅に減少した。コロラド川は、アリゾナとカリフォルニアで需要が増大した農業用感慨水と飲料水を提供することによって枯渇し、メキシコに入るやところどころに池や水溜りを残すだけとなってしまった。

 「アメリカは我々に環境保護の重要性を説くが、なぜ川の水を止めてしまったのか」と漁民はいう。「漁業ができなくなると、どうやって生活できるか」「観光、とんでもない」

観光は漁業を代替する万能薬的解決法に非ず

 世界の環境保護論者は、万能薬的なオルタナティブとして観光業を推奨している。漁網を捨てホテルを建てれば、観光客のドルが流れ込むはずだと説く。2008年、メキシコ政府は漁業を廃業した漁師に補償を支払い始めた。入漁免許証あたり3万ドルの補償を払い、その金をツーリスト向けプロジェクトに投資することを勧奨した。転業のために奨励金も出された。

 その結果、サンタ・クララの海岸沿いには、ひと気のない多くのホテルやレストランが乱立している。理論的には、サンタ・クララはパーフェクトな観光地である。アメリカ国境に近く、豊かな砂浜と暖かい海水(やや濁ってはいるものの)がある。だが、世界的な金融危機と麻薬戦争の狭間で観光業はストップしたまま。町のビジネスは崩壊し、入漁権を失った漁民は生活できなくなった。

 北部メキシコ沿岸最古の街、プエルト・ペニャースコの場合はさらに悲惨だ。海岸線に沿って豪華ホテルが立ち並ぶが、駐車場はすべて空っぽ。ビーチには人影がなく、ゴルフコースも荒れはてた。これこそが、ディベロッパーたちがコルテス海全域で売りまくっているフィクションの実態である。

コメント

 この記事に紹介されているのは一地域のことだけだが、このような現象は世界各地で続出している。例えば、世界有数の漁場であるニューファンドランドが挙げられる。16世紀にこの沿岸に上陸した英国からの移民たちは、湾内に群集するタラのためにボートを漕ぐのに難渋したといわれた。このカナダ沖の有名な漁場も今では枯渇し、鱈も当時の1%程度しかいなくなっている。

 世界的漁獲量は1980年代末をピークとして減り続けている。代替する養殖漁業が各地で発展しているが、これまた新しい問題群を惹起している。人口的な餌を大量に投与することで海洋汚染が進んでいるし、化学物質を含んだ人工飼料が人体に与える影響は殆ど判っていない。

 漁業の衰退に代わる新産業として海浜観光開発が各国で相次いで進められているが、本論が指摘しているように、うまくいってないところが多い。成功しているところでも、インフラ整備を無視してホテルが乱立し、そのために海が汚染され、数年の内にビーチではもはや泳げなくなっているリゾート地が増えている。アジアだけを見ても、マレーシアのペナン、タイのパタヤなどかって人気の海浜リゾートなどはもはや放棄され、フィリピンやバリの海も最近汚染が酷くなっている。

 海洋汚染の最大原因は、国際的に無規制な未処理廃棄物海洋投棄の増大であり、特にますます大量に使用されている化学物質が海に究極的に流入してゆくことである。なかでも、プラスティック類の海洋投棄は深刻で、海がプラスティックのスープになりつつあると科学者によって警告されている。先進・開発途上を問わず、海を最終ゴミ処理場とする全般的傾向が根強い。これは犯罪行為に他ならないのだが。

 人類は環境を破壊することで豊かになってきたが、豊かになったことで環境を重視する意識も高まってきた。自然環境を守るには個人の意識と行動が基礎になるが、地球環境の保全と必要な復旧のためには、大衆的意見を政府公共団体と国際機関による適切な政策と行動に転化させることが不可欠だ。

 海が世界のゴミダメとなりつつある現状を阻止する行動は緊急なものだ。海が死するときは、海から発生したすべての生物、その一つである人間もその運命をともにせざるを得なくなるだろう。人間安全保障上の最大課題のひとつは汚染から海を守ることである。人類共通の安全保障の最大課題は地球環境を守ることであり、現在進行しているような、国家や領土を守るための軍備拡大は時代錯誤にすぎない。巨大に膨れ上がった軍事的防衛費を環境保全・復旧に転用する国際合意が、手遅れにならないうちに達成されることを願うばかりだ。

 (筆者はソシアルアジア研究会代表)
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