【メイ・ギブスとガムナッツベイビーの仲間たち】

(2)ガムナッツベイビーの誕生

高沢 英子


 前回紹介したオーストラリア在住のドキュメンタリ映画のプロデューサー、モーリン・ウォルシュ夫人は、ギブスの生前に、そのインタビューをもとに短編ドキュメントフイルムを製作していた。1975年の国際婦人年のため、6人の女性の人生物語の映像ドキュメント化する企画に加わった時、ウォルシュ夫人はメイ・ギブスのインタビュー作品を選んだが、企画が結局実現しなかったこと、オーストラリアのこどもたちにあれほど人気のあった絵本作家メイ・ギブスについて、伝記的ドキュメントがほとんど無いことを非常に残念に思っていたことが、みずから彼女の伝記を書くきっかけとなったと告白している。
 20年後の1986年、ニューヨークの国際ドキュメント映画フェスティバルの伝記部門でこの短編ドキュメントも受賞している。

 あらためてモーリン・ウォルシュ夫人を紹介すると、オーストラリアの四世世代に属する人で、1960年のテレビシリーズ、WHIPLASH のクルーと結びついた50の劇場をバックグラウンドにして 北アメリカとオーストラリアの撮影所で、プロデユーサー、ディレクター、台本作家としてのキャリアを積んだひとである。引退後クイーンズランドの湿潤地帯で、のちに『ガムナッツたちの母』と題した伝記を書いたことは前回紹介したとおりである。
 さらに、オーストラリアでは、いわば日本のサザエさん並みに、子供たちばかりでなく、大人たちにも親しまれ、愛されているこの地独特の自然のなかで、植物や生き物たちが繰り広げるユニークなファンタジーの世界が、いまだに日本には殆ど紹介されていないうえ、作者のメイ・ギブスの存在すら知られていないことも申し上げた。

 ウォルシュ夫人は、その著『ガムナッツたちの母』のはじめに、すでに80歳を超える高齢ながら、現役で物語を書き続けていたメイ・ギブスが、彼女のインタビューに答えて、実に楽しげに生き生きと語った言葉をそのまま、冒頭に引用して添えている。

 「そもそも、このブッシュの赤ん坊たちがわたしを見つけたのか、それともわたしが、このかわいい生き物たちを見つけたのか、どっちなのか。いまじゃ、思い出せなくて云うことは難しいのよ」

 彼女が仕事を始めた頃、オーストラリアでは、白人の移民たちが、いつまでも故国を忘れられず、郷愁にとりつかれながら、失われた自分たちのアイデンテティに縋り付くようにして暮らしていた。
 四千年も前からオーストラリアに住みついていた、といわれるアボリジニたちが語り継いできた豊かな伝説や、素晴らしい自然環境や、めずらしい生き物たちに出会いながら、あいかわらず慣れ親しんだヨーロッパの暮らしや慣習への愛着を抱いて、この未知の土地の自然が持つ独特の美しさや素晴らしさに目を向けず、ただただ野蛮なものと斥けてきた。

 子どもたちにも、母国のファンタジーに出て来る生き物や妖精が繰り広げる優雅な物語――昔ながらのイギリスのお伽噺の中に出て来るアイルランドのレプラコーン(黄金を隠し持っているいたずら好きの小妖精)や、ウエールズのケルピイ(水の精)、スコットランドのブラウニー(夜中に家事を手伝う妖精)、それからイギリスのピクシー(いたずら好きの小妖精)などの妖精たちや、小鬼たち、美しく優雅な花たち、傘の破れたキノコや、サフランの花、秋には葉っぱを赤く塗る小人たち、豪華な花の衣装をまとった妖精たち、黄昏に漂う柔らかい淡青色の蝶の羽、などが描かれた絵本を、本国から取り寄せて、一世紀以上も、当りまえのように理想的な読み物として、押し付けようとしていた。

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 子供たちは、自分たちの環境が、こうした特殊なおとぎの国ではないと思いつつも、それに従っていた。私がこの地に住んでいた1990年代でも、そうした育ち方をした世代がまだ存在していて、土着の話を話題にするのは上品ではない、と躾けられたせいで、ある種の階級意識にとらわれていた。
 たしかに本国イングランドへのあこがれを捨てきれない文化が存在していることは、当時なお、わたし自身ことあるごとに感じさせられていた。

 メイが仕事を始めた20世紀初頭、オーストラリア独自の童話の本もぼつぼつ出はじめたときでさえも、土着のなかではおとなしめの動物が、家ウサギと仲良く遊び、可愛いい野生の花々が仄暗い森の中や、ヨーロッパ風の菫たちに混じって群生して、立派なドレスをまとった妖精が優雅にそのなかを動き回る物語が受け入れられていた。

 イラストレーターとして仕事を始めたメイ・ギブスも、はじめのうちは、他の作家のオーストラリアをテーマにした作品に、魅力的だが型どおりの、純粋なイギリス風のシーンに置き換えたイラストを添えねばならなかった。

 しかし、やがて彼女のイマジネーションの中で、ゆっくりとオーストラリアのブッシュの森のお伽噺の世界が育ち始める。昔から森に住みついている被創造物たちが、彼女のイラストの中に招かれざる客のように、こっそり忍び込んできはじめたのである。
 1913年、これらのユーカリの実たちが、彼女のイラストに初めて登場する。次の年には、ユーカリの実だけでなく、野生の花のベイビーも描き加えた本の栞と、表紙絵も世に出た。

 時を同じくして、第一次大戦に参戦していたオーストラリアで、ギブスのこうした一連の作品が、戦地向けの慰問品にこっそり忍び込ませて、さかんに送られている。今では貴重なコレクター品目になっているそうだが、当時の前線でよく見られたものだったらしい、とウォルシュ夫人は紹介している。

 北フランスの泥まみれの塹壕のなかや、じりじりと陽光に焼かれる乾いた大地の上で、疲れ果てた兵士たちは、赤十字の小包のなかに、手編みのソックスやウールと羊の皮で仕立てた土地独特のつば付き帽子といっしょに入れられていた、メイ・ギブスの愛くるしいユーカリ坊やの絵と共に、可愛い高慢ちきなソネット風メッセージを受け取って喜んだものだという。メッセージはおよそつぎのようなものだった。

  ぼくらはユーカリの実
  ぼくらは戦さに行くところだ
  敵はきっと きっと
  やっつけてやるぜ!
   (National Museum of Australia)
画像の説明
 やがてこれが本になる。『ユーカリのベイビーたち』と『ユーカリ花のベイビーたち』というのが、それらの本の最初のオーストラリアでのタイトルだった。メイは、イラストと文章の両方を書きはじめる。

 やがて彼女の作品はオーストラリア本国ばかりでなく、イギリスにも受け入れられ、批評界の反応は、素晴らしいものとなった。1917 年、ロンドンの『サンデータイムズ』で書評を大きく取り上げた、とウォルシュ夫人は全文を紹介している。

◆ユーカリベイビーとユーカリ花のこどもたち、これはこれまで市場に出た冊子のなかでもっともはっきりした、オーストラリア独自のふしぎな風土的な二つの創作物だ。聡明なアーティストが、かの大陸に以前からひろく見られたごく普通のものたちを学びとり、それをもとに、こうした小さな可愛い空想の産物を、かくも細密に描き出す日が来るのは、あまりにも遅すぎたくらいだ。メイ・ギブス嬢は、はじめてこうした世界を開いてみせた作家だ、とためらうことなく誇ることができる。我々は彼女と共に、このもう一つの世界を、さらに奥深く知ることを待望している――
  ロンドン 『サンデータイムズ』書評欄 1917年10月7日付

 続いて同年、彼女が住んでいたオーストラリアのシドニーでも、『イヴ二ング・ニュース』が次のような紹介文を掲載した。

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◆ミス・メイ・ギブスというガムナッツベイビーの創作者は、これらの小創造物を、賢明にも、まるでチエッカーのババ抜きのようなやりかたで、あたかもシギ鳥みたいにアイデアを忍び込ませて物語を進めた。これらの小さな生き物たちはアイルランドのお伽噺のレプラコーンと同じカテゴリーに属しているが、このアーティストは自分の創りだした小さな生きものたちに、何倍もの個性を与えている。童話と云うにはあまりにも写実的過ぎるとしても、彼女はあらたなオーストラリアの民俗伝承の創始者として残ることだろう。
 (注:シギ鳥は水辺の湿地などにいる鳥で、西洋料理ではよく食べられるが、羽が白黒褐色の細かいまばら模様で、枯草と見まがう見つけにくい色をしている。

 では、これらの物語の主人公たち、ユーカリの実のサングルポットとカッドゥルパイは、ギブスのファンタジーのなかでどんな活躍をするのだろうか。
 次回は、ギブスの創造物たちが、ブッシュの森を舞台に仲良しの生きものや草木や花々と、どのような世界を繰り広げるのか、すこしずつ具体的に紹介してみたいと思う。       

●メイ・ギブス公式サイト https://www.maygibbs.org/

 (エッセイスト)

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