■宗教・民族から見た同時代世界
    

エジプトの大統領選を制したムスリム同胞団は危険な存在か 荒木 重雄──────────────────────────────────

 世界が注目した、革命後、初のエジプト大統領選挙は、ムスリム同胞団幹部の
ムハンマド・ムルシ氏が、ムバラク政権前首相・元空軍司令官アフマド・シャフ
ィーク氏を下して当選した。

 しかし、決選投票直前、軍最高評議会は、同胞団系が半数近くを占めていた人
民議会に解散を命じ、暫定憲法を修正して立法権を奪い、さらに、軍の予算・人
事の独立や、新憲法起草での拒否権、軍事警察が市民を逮捕する権限までも手に
して巻き返しを図った。議会の再選挙は新憲法の起草後まで行われない予定で、
来年以降と予想される。

 6月30日の就任式でムルシ氏は「誰も人民が与えた力を越えることはできな
い」と軍部を批判したが、今後のエジプトの政情が同胞団と軍部、世俗派のせめ
ぎ合いで緊張に満ちた展開となろうことは間違いない。

 議会政治をつうじての緩やかなイスラム的福祉社会をめざしながら、このよう
に軍部や一部の世俗派から警戒されるムスリム同胞団とはいったいなにものなの
だろうか。
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◇◇ 同胞団が歩んだ紆余曲折
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 ムスリム同胞団は1928年にエジプトで創設された、中東で最初の、イスラ
ム復興をめざす大規模な大衆社会政治運動団体である。イスラム復興といっても、
メンバーが揃って背広にネクタイ姿で象徴されるように、西洋近代文明の所産を
否定するのでなく、それと調和させながら個人の内面や社会生活でイスラムが教
える共同性・同胞性・平等性などを実践していこうとするものであった。

 しかし、当時のエジプトは傀儡王政のもと英国の軍事占領下にあり、運動は否
応なく反英闘争ともなって、一部に武力闘争も包含し、幾多のテロも行われた。
 
 同胞団の主導のもと大衆の大規模な反英・反王制運動が盛り上がるなか、19
52年、ナセル中佐率いる自由将校団によるクーデターが成功し、真の独立を達
成する。大統領に就いたナセルは、しかし、アラブ民族主義と社会主義へ傾斜し、
イスラム主義を掲げるムスリム同胞団を脅威と感じて、非合法化し壊滅寸前まで
弾圧した。

 67年の第3次中東戦争で、エジプトはイスラエルに大敗してシナイ半島を奪
われ、ナセルとアラブ民族主義の権威は失墜する。

 ナセルの跡を継いだサダト大統領は、同胞団を非合法から解くが、アラブの大
義に背いてイスラエルと平和条約を結び米国に接近する。復活した同胞団は非暴
力を宣言したが、その内部にテロを容認する過激派「ジハード団」などが台頭し、
81年、イスラエル容認のサダトを暗殺した。それ以来、再び、ムスリム同胞団
は非合法化され、ムバラク政権下をつうじて一切の政治活動を禁じられ、厳しい
監視と弾圧のもとに置かれてきた。

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◇◇ 中東民衆運動老舗の貫録
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 このようにムスリム同胞団が辿ってきた道は平坦ではなく、その過程でさまざ
まな思想や路線を生みだした。オサマ・ビンラディン亡きあとのアルカイダを率
いるアイマン・ザワヒリや、ガザを実効支配するハマスの創始者、故アフマド・
ヤシンも、ムスリム同胞団の出身である。そのハマスをはじめ、ヨルダンのムス
リム同胞団、シリアのムスリム同胞団、クウェートの立憲イスラム運動、アルジ
ェリアの「平和のための社会運動」、イラクのイスラム党などはエジプトの同胞
団と国際ネットワークを形成する。

 エジプトのムスリム同胞団はいわば中東における多様なイスラム運動の母体と
もなる存在である。

 一方、同胞団が、長らく非合法状態に置かれながらも、幅広い大衆の支持を勝
ち得てきた理由は、その手厚い社会福祉活動にある。同胞団に属する多様な職業
人や市民、学生の組織が、イスラムの相互扶助精神に基づく住民各層の寄付を資
金に、活発なボランティア活動を展開し、医療や教育をはじめ、貧困家庭の援助
や災害時の救援に大きな力を発揮してきた。「頼りになるのは政府ではなく同胞
団」というのが民衆の常識である。

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◇◇ 新たな中東安定化の可能性
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 この容易ならぬ潜在力をもつムスリム同胞団の政治舞台への登場に危機感を募
らせた旧勢力につながる軍と司法が企てた行動が、冒頭に述べた一連の暴挙であ
る。そしてその背後には、軍に多額の援助を注ぎ込んで旧ムバラク政権の親米路
線を維持してきた米国の思惑もあろう。

 ムバラク時代のエジプトは、パレスチナ和平や国際テロ対策、イランの核開発
問題など米国の中東政策に協力する米国のよきパートナーであった。そこに、イ
スラエルとの平和条約や対米関係の維持は明言しながらも基本的には反イスラエ
ル・反米の志向をもつムスリム同胞団の政治的台頭は、米国には当然、容認しが
たい状況である。

 しかしながら、「穏健派」イスラム主義勢力の伸長は、エジプト国内と国際社
会にとって、はたしてどれほど危険なことなのであろうか。それにはトルコの例
がひとつの示唆を与えていよう。

 西欧化・世俗主義の守護者を自任する軍部の政治介入が常態であったトルコで
は、だが、2002年の総選挙以来、イスラム派の公正発展党(AKP)が度重
なる軍の介入をかわしながら3期連続で単独政権を託され、安定を維持している。
反欧米を掲げたイスラム政党から派生した同党であるが、政権を握ると欧米と良
好な関係を築いて積極的な経済政策を展開して高成長を保ち、国内で民主化と福
祉政策をすすめ、一方、親イスラムの性格から中東諸国とも友好を深めて、中東
諸国と欧米との橋渡しを担い、国際社会の好感をよんでいる。
  エジプトのムスリム同胞団もそれが主張する民主的な政策を実現できる環境が
与えられるなら、トルコとも手を携えて、イスラエルの冒険主義や米国の二重基
準を抑制しながら、中東に新たな安定をもたらせるのではないだろうか。
             (筆者は社会環境学会会長)

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