【自由へのひろば】

ウイグルの人権問題(4)
一人ずつ一人ずついなくなっていく

坪野 和子


 金曜日。イスラム教徒は礼拝のためモスクに行く日。お昼すぎになると、その帰りと思われる人たちの姿をたくさん見かけます。そしてハラル食堂やお茶する場所で国や民族を超えてともに過ごしています。共通語が日本語である場合も少なくありません。インドネシア人のカップルとともにお茶をしていた、先月、数年ぶりに偶然会ったウイグル・ムスリムの友人を見つけました。日本語で、12月中旬インドネシアでウイグルのために抗議デモ集会を行ったことに対するお礼を言っていました。

◆ 病院は命を救えない

 ネット上のウイグル・ムスリム友人。実際に会ったことはないのですが、ネット電話で時々話す人です。日本にいたこともありました。先月、彼の弟さんが「癌」で亡くなったと言うのです。まだ30代です。弟さんは2年ほど前に癌が発見されました。緊急手術が成功し、しばらく通院治療を行って「あと3回位放射線治療をすれば完治するからね」と言われていました。
 ところが1年前に主治医さんが「再教育センター」に連行されてしまいました。この主治医さんは日本で勉強されていて日本の大学病院に勤められていたこともおありで日本に残らず、後進の指導のため帰国し、外科主任としてウイグルで働くことになさった先生です。私も間接的に知っています。この素晴らしい先生が病院から去り、その後、またはその時、この病院に勤めていたウイグル・ムスリムの医師・看護師全員がいなくなり、現在は漢族の医師・看護師しかいないようです。

 弟さんは漢族の主治医に担当者が変わりました。数か月前、「余命半年」と告げられ、中国(漢民族地域・中国語では漢区・日本語で訳されるときは「内地」)の病院に転院したらいい医者がいるといわれたそうですが、怖くてそのままその病院に通院することにしたそうです。彼はネット電話で「毎日モスクに行ってお祈りして神様のそばにいたら」と言ったそうです。弟さんは「兄さん、そんなことをしたら捕まってしまう。僕は殺されるし、ほかの人も危なくなる」…死を宣告されたはずがなかった人間が死を宣告され、それでも殺されて死にたくない…。複雑な気持ちになっていたようです。

◆ 連絡が取れず孤独を感じる

 そして、突然、弟さん本人・家族・親族とネットで連絡が取れなくなっていたそうです。その数日後。どうやって知ったのかは明らかではありませんが、弟さんが亡くなったことを知らされたそうです。そして、傷心の想いがあっても、家族・親族、友人、故郷のご近所さん、それどころか同じ村の人たち全員と全く故郷と連絡が取れなくなってしまっていました。故郷とのネットのすべてがブロックされた状態です。
 「いまだにどうなっているのかわからない」
 そして、彼のお母さまも病気になっていたとの情報もありました。自宅療養中で弟さんの死を知られないように家族・親族が気遣っていた、とのことでした。…なぜそれを知ったのか…聞き出そうとは思っても聞き出せませんでした。

 イスラム圏に住んでいる人たちは周囲の現地の人たちを味方につけられるのですが、それ以外の国および中国と友好国などに住んでいると…しかも同郷人が近くにいない場合もあります。海外在住のウイグル・ムスリムたちの多くは、最初はその地域で一緒に人権活動活動を行っていた仲間も減っています。やめてしまった人、どうも中国側のスパイを強要されているような様子の人を排除し…生きていても孤独にならざるを得ない状況にあります。モスクに行って一緒にお祈りをする他国の友達が心のよりどころのような状態になっています。

 そういえば、私が直接知る日本を含めた海外在住のウイグル・ムスリムの友人のほとんど全員が故郷と連絡が取れない状態に陥っています。また仲間内でもシークレット設定でネットの情報交換も漏れたりサイトがなくなったりする危険もあります。
 私の友達の多くは初めて会った時よりの痩せてきました。
 実際に行われているジェノサイドだけでなく、間接的に一人ずつ一人ずつ身近な同胞がいなくなっているようです。

 (高校時間講師)

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