【オルタの視点】

むのの言葉
― むのたけじさんとの長い旅(3)

河邑 厚徳


●秋田での医療関係講演 2014年10月

 96、7の老いぼれに、満5歳以下の子どもの問題を求めてくる。なぜか私も考えました。
 もしかしたら、本当に幼い子どものことが分かるのは、経験いっぱいの年寄りなのかな?と考えてみたり、まてよ、私は戦争を経験し、中国の戦場やインドネシア、国内の状況をみた。あの15年戦争で、国はなんだったのか。
 軍部の命令で総動員されながら、邪魔者扱いされた国民がいる。それは13歳未満の人と55歳以上の老人です。戦争の役に立たないといって、子どもと老人は切り捨て状態でした。それを私は心の中で、本当にあってはならないと思っていたが、もしかしたら、再びそういう許してはならない人間軽蔑、差別が可能性をもったために、こういう100歳前のじじいにまで、子どもの問題で頑張れよと、いうことで言ってきたのかなと思って、その仕事に取り組みました。

●自宅 2014年9月

 「むのさんが亡くなったと思っている人もいるのでは」
 そういう人が多いですよ。まだ生きていたのか、化けものみたいだって(笑)。秋田県でも、ずっと病気もしたし、外向きで働いていませんでしたから、そういう風に思っている人もいるようです。
 徳川270年の間に3,000件の百姓一揆があった。決して何もしていないわけではない。それから明治3~7年までの地主階級の新政府への百姓一揆も、教科書には出てこないけど上野の図書館にあって、私、敗戦後に調べに行った。今はそれを思いだしている。日本の民衆は決して馬鹿たれではなく、戦うべき時はたたかっている。でも、あまりにも犠牲が多く、得るところが少なかったため、権力はすりかえをし、民衆はすり抜けるんだろうな。まともに戦うと犠牲が多い。

●むのたけじ100歳を祝う会 2015年2月

 歴史は今行き詰まっているでしょ。地球温暖化の問題にしたって、地球のおかしな天気に国連は何も出来ない、原発が何万発あるか分からん。しかしアメリカ・中国・ロシアの三角関係がくずれれば、いつ何があるか分からん。国連は何もできない。我々は80億人、黙ってみているわけだ。だけども、これを動かすことはできる。私! 私ですよ! かけがえのない、1個1個の生命。それを持って生きる。そして、お互い敬いあい、力を合わせる。そうしたら、世の中変わってきますよ、奇跡が欲しい、起こらないかなと我々は言うが、それが間違いだということです。奇跡が起こるかというと、起こらないに決まっている。通常起こりえないことを奇跡という。だけど我々は人間、わたくしです。奇跡を起こす! 奇跡を起こす、状況は変わってきます。普通では起こらないことも起こるんです。「起こる」という他人行儀な単なる動詞を使うか、「起こす」という自分自身の動詞を使うか、これで世の中はがらっと変わるんだ。これで話しを結びます。

●2015年6月20日 自宅にて

 21からジャーナリズムで言葉の仕事をしてきて、言葉っていうのは怖い! 言葉がないとコミュニケーションは成り立たないけど、言葉ゆえに人類は堕落もしてきた。両刃の剣ですね。
 安倍政治を見てみますと、あの方が2年ばかり総理をやってきて、言葉を武器につかっていますもんね。まず出てきたのは、八方美人の美しい、民衆が喜ぶような言葉でしょ。エコノミックという万国共通の大事な言葉を、安倍個人の名前をつけてアベノミクスなんてやって、景気をよくしますよ、女性が結婚して子育てが上手くいきますよ、と、四方八方に美辞麗句を並べ、そして今度はその後に来たのが、本当の狙いはすでに現実に現れたように憲法9条の最後の平和の約束を骨抜きにして、軍事行動へ自衛隊は参加できないことになっているけど、軍隊じゃないから、それが出来るようなところへもっていくために「積極的平和主義」というような言葉を出してくる。私は100になるまで、そんな言葉は聞いたことがないもんな。だから思わず、どこかの講演でも言ったが、「安倍さん、積極的平和主義というなら、お尋ねします。消極的平和主義って何ですか?」って。そういう言葉ははないでしょう。言葉を四方八方に美しく飾る。これはとってもよくないことだと思っているから、

●2015年6月20日 自宅にて

 「100歳まで長生き出来たのには、なにか・・」
 やっぱり死ぬわけにはいかなかった何かを持っているからだと思います。だって、胃がん、肺がん、心臓に水もたまり、87歳から治るなんてないもの。
 アイルランドから聞きにきたんです。横手までわざわざ。世界第2次対戦のテキストを英国とアメリカで作ると。で、それは記録ではなく肉声で語ってもらいたいと。それを諸国で求めている。日本ではどうしても見つからない。むのに会いたいと言って、アイルランドから横手まで通訳連れて来ましたよ。
 今日はたまたまアナタが聞いてくれたから夢中で、大きな声で・・
 「他にそういうことを話せる人は・・」
 いないだろうね。だから生かしているんでしょう。必要なくなったら、ぽくっと死ぬかも分からない。ま、いつもそう思っている。だから、勉強会へ呼ばれれば行けるようにしなきゃいかんとね、

●横手 2015年10月

 大きな新聞なんてできない、タブロイド版のちっぽけな新聞でも作って、みんなで勉強しながら文章を書いて、全国へ配って、日本の出直し運動やろうって思ったの。その新聞の名前は『たいまつ』だ。なんでたいまつなのか、六郷でお百姓のせがれで農作業手伝って、たいまつは何度も、電燈のない時代だからね、火をかざしながら農作業やったこともあるんですよ。私の小学校4年くらいかな、電燈が灯りはじめたのは。だからたいまつは身近で、それでたいまつという言葉が出たと思う。それはどういうことなのか、暗いと思ったら自分らで明るくするしかない、誰にでも作れるのは、たいまつだ。それだけでない私の体には、木がなけりゃ私の体をたいまつにすればいいじゃないかと。それぐらいの気持ちで出直さなきゃ日本は変われないなと思った。たいまつの名前が浮かんだ。
 それから2番目。どこでそれやる? そしたらあっ!それまであなた17年間も東京や浦和に続けて住んでいたから、あ、横手だって。横手ずっとはなれておったのに横手だって。横手住んでいたのは戦後でしょうもの、それまでは中学校へ通っただけなのです、何の縁もないんです。なぜ横手だと頭に浮かんだか、

●2015年8月20日 自宅

 100年生きたけど、国家のおかげで助かった、国家のおかげで災難をまぬがれた、国家のおかげで借金が解決したなんてないもんな。
 20になったら徴兵検査だ、身長が150センチで足りないから、おまえは丙種不合格だって。そのときのことを思うと本当に腹が立つよ。一人ずつ連隊司令官の前にいくの。「むのたけじ!」はい、と呼ばれて行ったら、こうやって見て、私の前に座って、手を伸ばして、私のおちんちんのカメの頭をびんとやるの。もう痛くてぴょんと飛び上がった。「親不孝者! 身長がもう5~6センチ高ければ甲種合格で親の名誉を輝かせることができるのに、なんでそうなんだ」と言って、おちんちんの頭をびしっとやられたときの痛さと屈辱感。人間じゃないもんね、モノ扱いだもんな。しかも人殺しにいく。
 そういう日本社会のゆがみがそのまま続いてきて、きちっとそれを我々国民自身の手で処分しないまま今の憲法体制になってね、だからどこかで穴があいているんだなー。

 (映画監督・元NHKプロジューサー)


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