【宇治万葉版画美術館】

宇治 敏彦


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(1)防人(さきもり)たちの思いは「家族」
 万葉集第20巻には東国から徴用されて北九州の守備に当たった兵士たちの歌が特集されている。任期は3年だったが、彼らの思いは故郷に残してきた家族のことだった。掲載の2首も「お賽銭をあげて社の神に祈るのは恋しい妻のこと」「神に祈るのは両親のため」と歌っている。

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(2)酒好きだった大伴旅人(おおとものたびと)
 万葉集には酒を詠んだ歌が結構あるが、代表は大伴旅人作の「酒を讃える」13首。「下手の考え休むに似たりで、まず酒を飲めば良い知恵も出よう」と歌っているのはともかく「なんと醜いことか。利口ぶって酒飲まぬ人は、よく見れば猿に似ているじゃないか」の一首は、少し言い過ぎではなかろうか。

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(3)多弁過ぎて桜の枝が折れた?
 ユーモアに富んだ恋の問答歌。藤原広嗣という役人が恋する乙女に「この一枝には僕の思いが沢山詰まっているのだから、粗末に扱わないでくれ」との手紙を結び付けて桜の枝を贈った。すると乙女は「貴方の言葉が重すぎて桜の枝が折れてしまったのではありませんか」と返した。大事なのは沢山の言葉より誠実な心と言いたかったのでしょう。

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(4)鳥の鳴き声で眠れないじゃないか
 万葉集編纂者の一人とされる大伴家持(おおとものやかもち)の作。「春になって物悲しいのに夜更けに羽ばたきしながら鳴く鴫は、どこの田に住んでいるんだ」。当時の家持は暗殺事件への連座を疑われるなど悲運の晩年に差し掛かっていた。

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(5)遷都跡の奈良の都を見て嘆息する
 作者は恐らく「白村江の戦い」(西暦663年、百済からの要請で出撃した大和船団が唐・新羅連合軍に大敗を喫した)の後、中大兄皇子(天智天皇)が都を奈良から近江大津に移したことで、旧都の荒廃ぶりを嘆いて歌にしたのであろう。


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